第5話 『第二姦門』(*)
「なんだか騒がしいなァ......? まァた、どっかで喧嘩でも始まったのかねェ?」
乱れたシーツの上で上体を起こし、気怠げに細長い眉目を顰める男は、寝起きの不明瞭な思考のままに呟きをひとつ落とす。
自分の半身とすぐ隣に横たわる肢体に覆い被さる毛布を捲りあげて、ひやりとする木床に寝台から下ろした両の踵を接地して立ち上がった彼、ギルベルト=スプラッシュは、のそのそと窓際へと歩き近づく。
一糸纏わず全てをさらけ出す、その彫刻のように整った肉体は、健康的に日焼けをした皮膚を思わせる見事な褐色で、程よい肉付きと適度な筋肉で構成される各部位を隅々まで均一に。
全くむらのない彩りは、それがギルベルトの生来の肌の色である事を示している。
木製の開戸の蝶番をはずし外に向かって開け放つと、扉が風に押されてバタンッと予想外に大きな音を立てた後、より大きくなった街の住人たちの騒めきが、ギルベルトのいる二階の寝室へと津波のように押し寄せてきた。
「見て! あれ〝夜王″さまじゃない!?」
「うそっ!? キャーー! 夜王さまーーッ! 素敵! 抱いてーー!」
そんなざわめきの中、すぐ真下から上がった黄色い悲鳴にギルベルトが目を向けると、こちらを凝視して興奮気味に手を振る若い娘が数人、往来で足を止めて姦しく囀っていた。
どうやら今し方窓を開けた際の雑音が耳目を集めてしまったようで、「夜王」と呼ばれたギルベルトは、色気溢れる上体を窓枠から衆目に見せつけつつ、ど派手な桃色の前髪をかき上げて、ニコリと歓声に応える。
滑らかな鎖骨が覗く双肩にかかった癖の強い長髪はボリュームたっぷりで、部分的に後頭部で縛り垂らされた後ろ髪が、吹き付ける風にさわさわと女心をくすぐる色を揺らしている。
左右の眼で虹彩の異なる、ピンクとパープルに分かれた神秘的な眼差しを受けた女性たちは、夜王のサービスショットにますます甲高い声を大きくして。
「はァ......くだらないな。どの女も、似たり寄ったりだもんなァ......」
作り笑いを貼り付けたままにボヤく夜王、ギルベルトの内心は、華やかな外面とは正反対に昏く暗澹としていた。
ーー正直、つまらないのだ。
恵まれた容姿と鍛え上げた巧みな話術、女心を容易く籠絡する手練手管を修めた自分にとって、女なんてものはどれも同じに見える。
外見や性格といったものに美醜の差はあれど、すっぽんぽんにしてしまえばどれも一緒。
色や形、臭いが異なるくらいで、どいつもこいつも似たようなモノから似たような汁を零すばかり。
最初は未知の刺激に夢中になってはいたものの、好きが高じて世間から「夜の王」と呼ばれる程に数をこなし極まってしまった今では、飽きに飽いて惰性で行きずりの女体と躰を重ねる体たらく。
尽きることの無い探究心や湧き上がる興奮といった情熱など、遥か昔にどこかへ落っことしてきた。
「あーあ、どっかにいい女、いないもんかねェ......」
それでもなおまだ見ぬ女を求める自分は、骨の髄まで女というものに執着しているのだろう。
それ無しでは自身の存在意義を確立できない程度には、依存していると言えるのかもしれない。
真昼間を悠に過ぎ去り、徐々に夕暮れへと向かい始めた太陽を追って吹き抜ける空っ風に冷たさを感じて、ギルベルトはフルリと胴体を震わせる。
満たされぬ欲を埋めてくれる誰かを求めて、あてもなく放浪の旅を続ける彼が立ち寄ったこのグリュンタルク第二都市にも、そろそろ寒波が訪れる兆しが見え始めていた。
真新しさのカケラも感じない女たちを視界から退けて、窓際から立ち去り二度寝をしようと考えたギルベルトだったが、
「ーーーー」
ドオオォォンという、かなり遠方で響いた激音に気を取られ、「なんだァ?」と野次馬根性丸出しに窓枠から身を乗り出すギルベルトの視線上に、大きく立ち昇る土煙が。
ここから相当遠くの位置で上がった轟音は、この第二都市の城壁の一角を大規模に破壊して、そこを起点に内部へと進行。
続けざまに、「ドン! ドン! ドン!」と三連して巻き起こった地響きにつられて、大空へと地から噴出した石材と人影混じりの爆煙が、それを起こした存在の軌跡を描くように間を隔てて次々と生み出される。
ついさっき目覚めたばかりのギルベルトには知るよしも無い事だが、城壁を突き破った侵入者に駆逐された障害物たちは全て、先刻被害を被った第一都市からもたらされた情報により、急遽立てられた妨害対策の産物。
災害級の進撃速度を少しでも削ぐため、ありったけの石材や鉄具で組み上げた防壁を驚異的速さで各所に設置。
それを大多数の武闘派のマッチョ達がガチガチに強化魔法を注ぎ込んで、あわよくば押し留めてやろうと待ち構えていた努力の結晶だ。
しかしながら、聞くと見るでは大違いの破滅的破壊力を伴う鳥人イアンの爆走の前にはまるで役には立たず、ただただ被害を拡散させるばかり。
かの災厄の行進を矮小な存在が妨害しようなどとは、天に弓引くが如き愚にもつかない浅慮というもの。
イアン=ヴァイスロードを止められる者など、いはしない。
いるとすれば、それは彼と同じく人を遥か凌駕する同格の人外のみだ。
「あっはァ! 面白いねェ! どれどれェ......?」
人がゴミのように吹き飛んでいく光景が愉快になり、好奇心の塊となったギルベルトは、この痛快な事態を引き起こしたのがどんな奴なのかを確かめたくなって、自身の両眼にチカラを込めた。
やる気なく下りていた瞼をがっつりと上げて、薔薇色と菫色が鮮やかに色めくと、急に彼の視界に映る情景が速度を失い緩やかに。
ほとんどの物体が静止に近い減速を見せる中、ギルベルトの興味の対象物は真っ正面の空中に。
ちょうど高く跳躍し建物をぶち抜いて反対側へと飛び出た所のようで、ここからは植物の種子くらいの大きさにしか見えず、ギルベルトはより詳細を知るべく双眸の焦点を絞る。
途端に顔の造形まではっきりとわかる程に、目標物は拡大された。
「ヘえェ......これはまた、随分と男前だねェ。オレといい勝負できそうだなァ。しかし、すごいな......」
格好は珍妙ではあるものの、ちょっとお目にかかれないくらいに整った対象の容姿に目を瞠るギルベルトは、それ以上の驚きを自分の能力下でも微速で前に進んでいるイアンに抱く。
限定的な時間とはいえ、自分以外をほぼ停止といってもよい状態に切り取っているにも関わらず動きを止めていないイアンは、余程の速度で駆けているという証拠。
それだけで、あの男が並々ならぬ力量を備えている事が分かる。
「んん? もうひとりいるなァ? あれは............はッ!?」
その男の鳥頭から伸びた紐みたいなものの先を目で追ったギルベルトは、自分の眼に飛び込んできた存在に劇的な衝撃を浴びせられて、躰を大きく震わせた。
なぜならば、ギルベルト=スプラッシュが人生で初めて味わう、魂を舐め上げられたような官能を催す美の極致が、そこにはいたからだ。
美しいという陳腐な言葉には到底収まりきらない金の髪は、突破した建物との衝突で髪紐が切れたようで、天使の羽衣に似た優しさを醸し出して扇状に広がりたなびく。
涙に潤う儚げな黄金の瞳はこちらの鼓動を止める程に魅惑めいて煌き、透き通る白肌に薄赤く添えられた唇は吸い付きたいくらいに色に満ちて。
必死に綱紐にしがみ付く滑らかな肢体は、丈の長い上衣に膝上まで覆われて、見えそうで見えない大事な部分にじれったさを感じて、更なる欲情を掻き立てられてしまう。
いつまでも見ていたいと思う彼女の容姿に囚われていたギルベルトだったが、鋭い痛みを眼に感じて瞼を閉じて呻きを漏らす。
どうやら見惚れてしまった事で、少々チカラを酷使し過ぎた様子。
直後に正常な速度を取り戻した世界の中で、爆発的速さのイアンとフュフテがあっという間に都市を突破して、城外へと過ぎ去ってしまった。
「ああァ......まさか、こんな事があるなんて......ッ!」
目頭を抑えて瞳を閉じるギルベルトは、うわ言のように熱の篭った声を上げて、瞼の裏に焼きついた彼女の幻を追う。
なんということだろうか。
自分は、今この瞬間に彼女の虜となってしまった。
今まで生きてきて、生まれて初めて。
女を惚れさせることしか、してこなかった自分が。
他人に執着するなんて馬鹿のする事だと、嘲り笑っていた自分が。
「欲しい......君が欲しい。絶対に、手に入れてみせるよォ? 金色の君。
オレが、君を必ず......〝スプラッシュ″ させてあげるからねェ?」
ああ......想像するだけでたまらない。
あの嫋やかな躰を組み敷いて、美しい瞳から流れる涙を舐めとるのを夢想するだけで、体の震えが止まらない。
そのままメチャクチャに欲望を叩きつけてやったら、一体どんな反応をするのだろうか。どんな嬌声を上げるのだろうか。
ふと気が付くと、下半身の息子が興奮の汗を滲ませて存在を主張していた。
「フフフ......お前も、我慢できないのかィ? そう焦るなよ、待ち遠しいのはオレも一緒さァ」
ニヤニヤと収まらない笑みを浮かべて、自身の相棒に声をかける。
この世の中にそんな奴がいる筈もないが、もしも下半身が喋り出したとしたら、きっと自分のこの想いを十全に理解してくれることだろう。
いつも欲望に忠実に反応してしてくれる、心強い相方なのだから。
ともあれ、次の目的地は決まった。
あの二人の目的がこの国の首都にあるのか、はたまたその先にあるのかは分からないが、足跡を辿れば必ず追いつけるに違いない。
この胸の情熱がそう簡単に冷めるとは思えないが、鉄は熱いうちに打てとも言う。
早急に行動に移すべきだろう。
「ギルベルトさま......? 起きておられたの、ですか?」
この先の予定に思いを馳せていた夜王の後ろから、若い女の声がかけられる。
振り向くと、ベットの上で身を起こした女が胸元までを毛布一枚で覆ったあられもない姿で、ギルベルトを見つめている。
その視線が夜王の夜王たる王笏の直立を目にして、
「どうされたのですか......そんなに、なってしまわれて......。あの、良かったら、もう一度、その......」
恥ずかしげに頬を染める女の、瞳だけは情欲にたっぷり染まったちぐはぐな痴態を目にして、久方ぶりに興奮を取り戻したギルベルトは、荒々しい勢いでベットまで戻り、その上に乗り上げ、
「んッ! ぐ......ぅ......」
ぐぼり、と淫猥な音を立てて、その分厚い唇に王の杖を無言で差し込んだ。
無遠慮に欲棒の丈を押し込まれた女は、ぞんざいに扱われながらもどこか嬉しそうに。
対するギルベルトは、そんな女の顔を、自身が最も執着する「金色の君」の顔と重ねて。
女と違い彼にとって、これは単なる予行演習に過ぎない。
それを皮切りに行われる一連の交わりは、激しくも決して分かり合うことなく続けられていく。
取っ替え引っ替え女を乗り捨てる夜王の行いは、今日も変わる事はなく。
しかし、決定的に変わったものもあって。
「スプラァァッシュ!!」
「あ......はああぁぁんっ!!」
災害の通り過ぎた街並みと繋がる開け放たれた窓から聞こえた、滅多に見せない夜王の、彼の代名詞とも言える必殺技が、飛び散るナニかの噴出音と共に盛大に炸裂した。
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※挿絵のイラストは「貴様 二太郎」様より頂きました。ありがとうございました!