第4話 『第一関門』(*)
平穏な日々というのは、ある時を境に突然終わりを迎えるものである。
常と変わらぬ生活を送っていたにも関わらず、ずかずかと無遠慮に踏み込んでくるその終焉は、得てして本人の想定外の要素を含んでいる事が多い。
武力大国グリュンタルクのこの第三都市において、日課である毛繕いを行なっていた大男、カール=ダルマという人物にとっても、それは例外ではなかった。
通行人行き交う大通りの中央で胡座をかいて座り込み、よく晴れた日差しを浴びて全身の体毛をケアする男は、はち切れんばかりの膨れ上がった筋肉質な肉体の、至る所に生い茂る無駄毛を唾液で撫で付けている。
胸、臍、脇といった箇所を中心に剥き出しの上体を黒く覆うが如き体毛は、全てが見事な直毛で長毛。
顔面真ん中に目立つ高い鷲鼻の下の、でっぷりと肥えたタラコ唇から出た液体を使ってワキ毛をしゃぶっていた大男カールは、
「ムムっ!? これは......イカンぞ! 何やらとてつもないエネルギーが、こちらに向かってきているではないか!」
自慢の直毛を口から離し、周囲の人々がそれとなく避けて通るためポッカリと空いた人混みの中で、やおら立ち上がる。
「皆の者ッ! 緊急事態であるッ! 今すぐ避難せよ! 敵襲じゃあああァァっーーーー!!!!」
しみひとつないツルッ禿げを陽光で輝かせ、眉無しの鋭い眼を全開でひん剥いて急に大音声を上げたカールを目にした通行人たちは、一瞬固まった後、蜘蛛の子を散らしたように指示に従って逃げ出した。
人々にとって、カールの言葉に従うのはひどく当たり前のことだ。
理由あるからこその行動。
というのも、人混みでペロリと毛づくろいをするハゲ男は、初見であれば吐き気を催すほどに不快だが、ここの都市の住人たちにとってカールの行いは日常の光景であり、見慣れたものでもある。
ましてやカールはこの武力至上の国の中でも、権威を象徴する序列付けで上位に位置する猛者であり、この都市の防衛を任される重要人物。
毛づくろいも街の巡視を兼ねたものであり、カールに危険性などある筈もなく、自分たちの国家の上位者が逃げろというのなら、それに従って素直に逃げるのが常識というもの。
また、この国に住む者の気性が、やたらと情熱的というのも無関係ではない。
直ぐに感情的になる傾向が強いため、大なり小なり事件は日常茶飯事に発生する。
面白いことに、諍いの直前に必ずこう言った周知がなされるしきたりがあるので、逃げ遅れて巻き込まれたとしても基本的には自己責任という大雑把な風潮が強い。
グリュンタルクに住んでいれば、非常事態の際の予行演習に事欠かず、危機管理は自然と研磨されるのだ。
あっという間に閑散としたこの都市最大の大通り、城門と城門を一直線に結ぶ広大な通路から、カールの驚嘆すべき音量の咆哮と市民の学習能力によって、遥か遠方まで非戦闘民は撤去された。
と、同時に、その代わりとでも言うように、袋小路の至る所からワサワサと屈強な男達が湧き出てくる。
「カール様! 何事ですかッ!?」
「カール様! ただ今到着いたしました、ご指示をッ!」
「カール様! 事件ですね? 腕がなりますッ!」
「カール様! お毛を一房頂きたい! 家宝にしますッ!」
「カール様!」
「カール様!」
「ーーやかましいわああァァッ!! 城門正面に敵じゃあッ! 迎撃せよ! 吾輩に続けッ!」
筋骨隆々の肉体に群生する滑らかな長い体毛をしなやかに風に靡かせて駆け出すハゲ男は、その巨体に比べて些か短めの足を若干内股気味に、ちょこちょこと高速で動かして走る。
奇怪な走り方に似合わずその速度はかなりのもので、他の追随を許さぬ勢いは先陣を切るに相応しき勇壮な出で立ち。
カールの後ろからは、続々と集まり出した戦士らが次々と参陣し、行軍速度を保ったままに見事な合流を果たして規模を増大。
あれよあれよと言う間に大部隊となった彼らは、そのまま直ぐにでも城門に到達すると思われたが、
「ーーーー!」
その前に、カール達の前方で都市を固く守る役割である鋼鉄製の巨大城門が、轟音と共に爆散。
そこから、諸悪の根源であるエネルギー体が突入してきた。
「ッ! 連結堅陣じゃッ! 急げえぃッ!」
角アゴを突き出して迎撃態勢を指示するカールの一声に、全ての戦士が即時対応。
互いにがっしりと密集し、ありったけの身体強化魔法を発現して陣形を整えた彼らの部隊練度は神速、感嘆の一言に尽きる。
カールを最前線に、その体毛にまみれた背中へと部下がひとり抱きつく。
その部下に、両隣の同僚が抱きつく。その同僚にーーといった形で、むさい男達が雪だるま式に連結して抱きつき増えていく様子は、凄まじく男臭い。
その暑苦しさに比例して、各人の強化魔法のオーラは膨れ上がり、最先端のカールへと送られて、軟毛直毛筋肉ダルマの、唾液でぬらぬらと輝く肉体を最大限に強化した。
実は、身体強化魔法には、自身の肉体以外に「自身に接触する物体」も強化する、といった特性がある。
例を挙げれば、身につけた服や武器、はたまた触れた人物など、身体の一部とみなして強化を施すことが可能。
ただしそれは、魔法を発現出来る場所と常に接していなければならない、という条件がつく。
衣服であれば体表(毛穴)から、武器であれば握る手から、といった具合に。
強化の効果は、基本となる身体の強化段階に準ずることから、「身体強化魔法」と呼称されているのだ。
ちなみに、哀れにも尻からしか魔法を発現出来ない青年についてだが、彼ももちろん尻穴に触れたものは強化出来るが、精々が下着を覆う範囲が限界。
武器を強化したかったら、常時尻に挟み込めば可能だろうか。
当人の熟練度にも左右されるので例外もあるが、大凡そのような特性となっている。
そんな皆の力を結集して、「連結堅陣」という最高防御陣形を組み、今まさにカール達が迎え撃とうとする人物。
言わずと知れた、人類最強の肉体と股間をもつ男、伝説の竜族かつ只今鳥人に転職中の戦士、イアン=ヴァイスロード。
真後ろにお荷物をぶら下げて災害レベルの突撃を敢行するイアンと、数百を超える熱い男たちに背を支えられて、国の威信を背負い都市を守るべく立ちはだかるカール。
「邪魔だ」
「一歩も通さんぞおおおぉぉーーーーッッ!!」
男と男の、激突の直前。
大都市のひらけた大通りの中心、石畳が男達の覇気でひび割れ、破片が舞い上がる最中。
さまざまなものが、刹那の時間に交錯した。
イアンの絶対零度の鋭い眼差し。
カールの熱意に満ちた眼光。
怪鳥の攻撃的なツノ。
大人数の男達の飛び散る汗。
鳥籠から皮をピロピロさせる安定のグググ先生。
脇汗を染み込ませて黒光りする長い直毛。
冷や汗まみれの割れ目を覗かせる尻。
それぞれの誇りと思惑と訳の分からないものが混沌として、場を支配する。
ーーそして遂に、両陣がこの一戦の雌雄を決する時が来た。
「ぬううッ、はああああぁぁーーーーーーーーッ!! っぁぁああ!?」
分厚い上唇と下唇を裏返して激声を振り立てるカールの、腕毛にビッシリと覆われた両腕をクロスさせた中央に、イアンが走るために前に出した膝頭が触れた瞬間。
「ーーはぶうっ!!」
ドンッ! という振動が伝わると同時に、カールが後方に仰け反ってそのまま天を見上げて宙に舞う。
当然イアンは止まらずに直進 。
進行上の大人数を連鎖式に大空へと巻き上げ、弾き飛ばしながらの大疾走。
幾百もの男達が色取り取りのオーラに光って大気中を高らかに染め上げる様は、安全地帯から遠巻きに眺める市民達の目に、幻想的な花火のように美しく映った。
しかし、吹き飛んだ男たちにとっては生死に関わる大問題であり、それぞれが死に物狂いで落下や建物への衝突に対応し、自身の命を助けるべく行動。
痛そうな音を各人が奏でて、死人こそ出ていないものの、重傷者を量産する大惨事となった。
その中でも、最も重い負傷を負ったのは、全身の毛を血まみれに濡らす禿げダルマのカール。
「な、何という男だ......。この吾輩が足止めにもならんとは......。おのれぇぇ、このままでは、済まさんぞッ!
急ぎ、武王様に、伝えねば......ッ!」
このままでは、あの男はじきに第二都市へとたどり着き、そのままそこを突破してすぐさま武王の居る第一都市へと行き着くだろう。
よもや、自分たちの王が負けるとは思えぬが、万が一を考えてしまう程に、あの男は脅威である。
今直ぐに連絡用の魔道具を使って状況を報告すれば、いくらかの対策を講じる時間は作れる筈。
事は、一刻を争う。
再び遠方で轟音が鳴り響き、対となる城門が破壊され、鉄屑が城壁外に弾け飛ぶのがカールの眼に映った。
「誰かッ! 報告を......っ!」
薄れそうになる意識を懸命に繋いで部下へと指示を送るカールは、名前と違って一箇所も巻いている部分の存在しない肉体を震わせながら、いつの日かあの男にリベンジを果たす事を、自身に固く誓っていた。
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【カール=ダルマ】
※閲覧注意!!(心臓の弱い方はご遠慮ください)
下記イラストは「貴様 二太郎」様より頂きました!
少々刺激が強いため、十分な心の準備をした後にご覧くださいませ。
ぐは......ッ! 貴様 二太郎さま、ありがとう......ございましたっ!!