第2話 『天高く羽ばたけ』
「あらイアン。早かったのね? いくつか種類を用意したから、選ぶのに時間がかかると思ったのだけれど。
それにしたのね。ふふ、似合っているわよ?」
快晴の大空の中天近くに上る、眩しい照明に威勢良く当てられたグリーブを、威風堂々と鉄の輝きに光らせてこちらに歩いてくるイアンへと向けて、ネメシアがにこやかに笑みを覗かせる。
『我としては少し窮屈にも感じるが、動きを阻害されるよりはマシか。肌を晒してはならんとは......全く以って、人の常識は不便なものよ』
イアンの代わりに返事をしたグググ先生は、不本意だという様相を微塵も隠さず言葉に乗せていたが、それらのやり取りはフュフテの耳に全く入っていなかった。
何故ならば、そんなものより目に入ってきたものの方が、遥かに情報豊かであったからだ。
固まったままに瞳だけを動かして、不満を口にするグググ先生の定位置を見たフュフテは、驚きに瞳孔を大きく見開く。
その目に飛び込んできたものは、頑丈な鉄の鳥籠。
イアンの腰から曲線の丸みを帯びて膝上まで覆う鋼の格子が、僅かな隙間を等間隔に空けてぐるりと腰回りを囲む。
その中に囚われたといっても間違いではない状態のグググ先生は、どういう訳かぼんやりと肌色に映るのみで、外からはそのいきり勃つ御身を目にする事が叶わない。
「すまない、グリフ。だが、視線を浴びるのは、好きではないだろう? これなら、問題はない」
視線を下半身に向けて喋ったイアンは今、巨大なクチバシに顔を食べられていた。
いや、正確に言うならば頭部にすっぽりと被る、得体の知れない怪鳥の口内に顔面を収めている。
二本の立派な赤角がそれぞれを枝別れさせて天を衝くように猛々しく上を向き、気持ちの悪い真緑色の体毛から直接生えていて。
変な鳥の本体らしき緑の球体の中心には、黒光りする円らな瞳が二つ、キラキラと。
真っ赤な上嘴がイアンの額と重なる位置にあり、下嘴は彼のアゴの下から生えている事から、飲み込まれているようにも見える。
側面から生やされた漆黒の羽が二羽、両肩からイアンの胸部へと真っ直ぐに伸びて、彼の二つのお豆さんだけをしっかりと守っていた。
魔都とも呼ばれる迷宮都市。
探索者たちの大多数が集まる、聖王国の要所。
そこへ行くために今まさに出立の準備を整えた男は、頭に奇怪な鳥をかぶって乳だけを隠し、腰に鳥籠を装備した半裸の姿で、大勢の人々が住む地域に堂々と向かおうとしていた。
(ええっ......なにコレ? この人と一緒に行くの、すごく嫌なんだけど......。その鳥籠は何なの? 鳥、外に出てますけど?
意味が分からない。なんでグググ先生が、捕まってるんだろう......)
あべこべな格好をしたイアンの、もはや鳥人とも言うべき姿を見て、「どの辺りが問題ないのだろうか?」と疑問符を頭に浮かべるフュフテをよそに、
「ネメシア。お前は来ないのか?」
「ええ。今は少し厄介ごとのせいで動けないの。ちゃんと後から合流するから、先に行ってて頂戴?」
「そうか。分かった」
鳥人は真顔でネメシアと意思疎通したのち、腰のカゴをかちゃかちゃと鳴らしてフュフテの前に立つ。
「準備はいいな? 行くぞ」
「はい。......あの、一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
本当はひとつどころではなく聞きたいことは山程あるのだが、敢えてひとつに絞ったフュフテは、
「その、頭の鳥みたいなのは、生き物なのですか?」
「これは............帽子だ」
恐る恐る尋ねた後に、歯切れ悪く返ってきたイアンの有り得ない回答に耳を疑った。
と、同時に、
ピィィイエエエエェェェェーーーーーーーーッッ!!!!
急に乳隠しの羽を自らの胴体と垂直に持ち上げて、黒の目玉を光らせた頭の怪鳥が、凄まじい奇声を出し抜けに嘴から放つ。
その雄叫びは尋常ではなく、鳥人中心に辺り一帯に広範囲の衝撃波を生み出した。
周囲に転がる手のひらサイズの石塊は一つ残らず吹き飛び、遠くに見える疎らな木々が大きくしなる程の威力で。
真正面にいたフュフテも鼓膜が破れないよう咄嗟に耳を塞ぎつつ、物理的に襲いかかってきた風圧にいくらか押されながらも、足を踏ん張り懸命に耐えた。
程なくして止んだ高音域の叫びに満足したのか、再び羽を下ろして豆を隠す鳥の口内から、
「この帽子は、日に三度鳴く。鳴いた時が、食事の時間だ。いいな?」
クチバシから滴るヨダレで顔面を濡らしつつ、さも重要なことであるという風にフュフテへと告げて、イアンが青年に背を向けて歩き出した。
射抜くような鳥人のシリアスな眼差しに、「絶対それ帽子じゃないだろ」と言うことも出来ず、非常にモヤモヤを抱えながらも、フュフテは大人しくその背中を追う。
ーーどうやら、自分とイアンでは、見ている世界が違うらしい。
竜族から鳥族へと、華麗な変身を遂げた男の後ろをついて歩きながら、フュフテはそう結論付けた。
ネメシアが用意したという着替えの中から、なぜアレを選択したのか、とか。
どの角度からも鳥籠の中のグググ先生が見えないのは、一体どういう仕掛けなのか、とか。
考え出すとキリがないのだが、こう見えてイアンは意外とまともな人物だ。
だからきっと、今は分からなくとも必ず理由があるに違いない。
彼があの気色の悪い生き物を帽子というのなら、信じ難いことだがアレは帽子なのだろう。
ひとまずはそういった雑事は脇に置いて、今から迷宮都市へと向かう旅路について考える方が健全かもしれない。
まともに考えると、頭がおかしくなってしまいそうだ。
建設的な方向に思考を切り替えたフュフテは、迷宮都市についての情報を頭の中で反芻する。
自分と鳥人が向かうのは、正式には過去にレガラニカと呼ばれていた魔の都で、約千年前に誕生しその後隆盛を誇ったが、二百年前の聖アシュレと邪神との決戦で都市ごと崩壊し、地中深くに埋もれた場所である。
そこから紆余曲折を経て、今現在は沈んだ魔の遺跡を探索するもの達が集まる、迷宮都市として生まれ変わっている。
その所在地はこの大陸の中心に位置し、周囲を三つの大国が取り囲んでいるため、目的地にたどり着くためには相当の距離を旅した後に、いずれかの国を抜けていく事になるだろう。
常識的に考えるならば、移動手段は、まずは徒歩。
最寄りの街などで足の速い動物に乗るなり、何かしらの乗り物を使用するなりして、周辺国に到達した後に入国。そこから迷宮都市を目指す。
考えただけでも、かなりの長旅になりそうだ。
恐らくは何ヶ月、いや何年もかかるかもしれない。
それを、この奇怪な鳥人間と共に歩むのかと考えると、はやくも気が狂いそうだ。
誰か、助けてください。
これから先の未来を想像してこめかみに強烈な頭痛を覚えたフュフテは、吐きそうになりながらも何とか気持ちを鼓舞する。
心が折れそうになる程に、フュフテは鳥人と一緒が嫌だった。
それくらいに、イアンの頭の鳥は気持ちが悪い。正直、直ぐにでも処分して欲しい。
いや、絶望するにはまだ早い。
ずっと二人だけの旅路とは限らない。
きっと道中で色んな出会いを経て、道づれならぬ同行者を確保できるかもしれない。
それに、ほぼ外界を知らない自分にとっては、目に映るもの全てが新鮮に感じるだろう。
そういった僅かばかりの希望も、まだ残っているのだ。
「もう真面目に考えるのめんどくさい」と、遂には思考を放棄したフュフテの前で、突然鳥人が立ち止まる。
現実逃避という名の思念の海で漂流していたフュフテは、鳥人の向かう方向をちゃんと見ていなかった。
もし見ていれば、先程の考えがまるで見当外れである事がすぐさま理解できたであろう。
「フュフテ、気を抜くな。死ぬぞ? 己の身は己で守れ。お前ならば、可能な筈だ」
振り返り、微かに口唇を釣り上げる鳥男が強い眼光でフュフテを射抜くと、それに応えるかのように怪鳥の尾の辺りから何かが高速で飛んできた。
びっくりして咄嗟に身動きが取れないフュフテに向かって伸びた、縄を思わせる茶色い尻尾が瞬く間に腰回りへと巻き付き拘束。
「これでお前は〝雛″ と認識された。では、行くぞ!」
裂帛の気合の一声。
鳥人が切っ立つは、断崖絶壁のギリギリ一歩手前。
彼の全身から、薄紅色の魔力光が立ち昇る。
紛れもなく、身体強化魔法。
それも、推定1000倍以上の超強化だ。
ーー考えても見て欲しい。
人とはまるで違うケタ外れの力を持つ者が、果たして凡人と同じ道筋を辿ろうとするだろうか。
あらゆる生き物は、意識無意識に関わらず、自然と最適化をはかるように出来ている。
同じ動作を繰り返し行えば、より効率よく体が動くようになる、といった具合に。
歩くよりも、走る方が。
人よりも、動物の方が。
動物よりも、乗り物の方が。
現存する移動手段の中からより快適さと高効率を求めて、人は最適解に到達するのだ。
ならば、人を超えた存在が取る手段など、考慮するまでもなくたったひとつに決まっている。
次元が歪む程に濃密な赤光を迸らせて、鳥人が天高く飛翔。
フュフテの見上げる大空には、頭部の鳥が翼を広げるのと同じ仕草で、イアンも両手を水平に。
右足を曲げ、左足をぴんと伸ばす彼の背中は、太陽目指して天空を躍動するペガサスの如き美しさ。
腰の鳥籠さえも、キラリと煌めいて燦然と華やぐ。
その眼を見張るような光景に、不覚にも見惚れてしまったフュフテだったが、ここに来て唐突に理解する。
「そうか! あの鳥は、そのために! さすがはイアンさん!」と、歓声を叫んだ後、
ーー鳥人は、そのまま落下していった。
「ええええっ!?」
見渡す限りの絶景広がる展望の中、見る見るうちに豆粒みたいに遠のいて行く落ちた鳥に呆然とするフュフテだったが、しゅるるる、という異音を聞いて、はっと我に帰る。
『親鳥が雛を置いていくはずがなかろう?』
ピインッ! ーーと張った腰綱を目視したと同タイミングで、矢玉が飛び出すに等しい速さで宙空に投げ出されたフュフテの耳に、愉快げな鬼畜先生の囁きが聞こえた気がした。