第28話 『奇跡の光』
冷やかに傍観を決め込んでいた洞窟内の空気が、慌ただしく鳴動を始める。
フュフテの放出した閃光を伴う強撃は、確かに化け物と天井を貫き巨大水晶の落下を利用することで、邪なる存在を沈黙へと沈める事に成功した。
しかし、破壊的威力がそれのみで落着する筈も無く、冷たい岩盤を強烈に撃ち抜かれて破損した洞窟は今、基盤を失いその身を崩落させようとしていた。
「うおっ!? まずいなこれは......。おいリティリー! フュフテを起こせ! 逃げるぞ!」
「フュフテ君! 立てる!?」
継続して微振動を起こす地面によろめき、焦りを含んで言い放つオスタと共に、フュフテに急いで近寄ったリティリーは、
「フュフテ君......だめ、意識がないわ! どうしよう、なんでこんな事に......っ!」
「何とかなんねえのか? お前、この病気に詳しいだろ!?」
「無理よ! 発症してからじゃ手遅れなの! ......そもそも、どうして急に症状が進行したのかが、よく分からないの!」
「どういう事だ?」
御影草によってゆっくりと地面に降ろされ、蒼ざめた表情で瞼を閉じた、うつ伏せのまま意識のない少年を見て、困惑する。
自分を救ってくれた少年の窮地に、冷静さを欠くオスタの問いに対し、
「魔血乏症は、発症前に意識障害が顕著に出るのが特徴なの。例えば、意思疎通が上手く出来ずに曲解したりとか、無機物を人と誤認したりとか......。
でも、彼にそんな兆候は見られなかったわ! 多少独り言は多かったけど、ちゃんと話も通じてたし......。
事前に症状が現れてくれてたら、発症前になんとか出来たかも、しれないのに......っ!」
口惜しそうに語尾を詰まらせるリティリーは、フュフテの容態の変化を悟れなかった自分を責めていた。
リティリーが悲壮な面持ちで少年に寄り添い、そっと彼の頬に手を当てると、ひやりとした感触が伝わってきて、フュフテの体温が徐々に低下しつつあるのが分かった。
御影草の輸血によって一時期的に命を永らえたフュフテであったが、あくまでもそれは応急処置の域を出ないものであり、病が取り除かれていない以上根本的な解決には至っていない。
無理を通して化け物と戦ったフュフテは、最後の一撃をケツから振り絞った直後に気力が尽きてしまい、もはや意識を保つことさえ出来なくなっていた。
「フュフテはどうなっちまうんだ!? リティリー!」
「......今から御影草で治療しても、半日以上かかる......とても、保たないわ。
特効薬が手元にない以上、フュフテ君は、もう............」
「ッ! ふざけんな! こいつは俺たちの命の恩人だ! こんなとこで、死なせてたまるかっ!
......そうだ! あの素ッ裸の竜族なら、何とかしてくれるかもしれねえ! 俺は諦めねえぞっ!」
厳しい現実を述べたリティリーの言を意地でも覆す、といった風態で、オスタはフュフテの側にしゃがみ、少年の体の下に腕を差し込んで、負担をかけないよう慎重かつ迅速に自身の背中におぶる。
ずり落ち無いようにフュフテの血塗れの尻に手を回し立ち上がったオスタは、背中越しに感じる弱々しい鼓動が止まる前に、全速力で移動しようとしてーー、
「おいおい......マジ、かよ......!?」
「そんな......っ!」
広間の中心に鎮座する巨大な水晶の残骸から、絶望の黒煙が巻き上がるのを目にし、停止を余儀なくされた。
ーーまだ、終わってはいなかった。
あれだけの巨塊の群に下敷きにされてまだ生きている事にも驚きであるが、こちらに向ける憎悪の念が一向に衰えていないことが、何よりも恐ろしい。
片目と口を潰されて、ひとつの紫眼だけを爛々と光らせ這いずる手負いの黒獣は、自己修復機能に損傷でも受けたのか。
明らかに人の形を維持できずに、ずりずりと醜悪な四つ足で瓦礫の隙間から抜け出そうと藻搔いている。
この分では、時期に抜け出して襲いかかってくるであろう。
こいつはここで仕留めなければ、例えこの場を切り抜けたとしても、未来永劫追いかけてくるに違いない。
それだけの執念を、オスタは眼前の化け物から感じ取った。
「全く、次から次へと............これだから、神ってやつは大っ嫌いなんだ......」
聖王国出身のオスタにとって、唐突に試練を与えるとされる神という存在は忌々しいものでしかなく、現に此処に来てからも散々な目に遭っているのだ。
なにせ、胸糞悪い魔石に操られ、相方を手にかけるという暴挙を起こしそうになった挙句、強烈にぶっ飛ばされた。
気味の悪い草に捕まって化け物を生み出してしまい、責任を取って自分の尻拭いをしようと思ったら、今度は命の恩人の尻が破裂。なんだ、この状況は。
その上、漸く倒したかと安心した所に、洞窟が崩壊を始める気配が濃厚になり、少年の容態も急激に悪化。尚且つ、化け物復活ときたもんだ。
これだけ立て続けに厄介ごとを押し付ける神とやらは、きっととんでもないクソ野郎に違いない。
「......リティリー、分かってるな? 何度も言わねえぞ。 ......フュフテを、頼んだぜ」
「っ!............わかったわ。オスタ、また......後でね?」
「......馬鹿野郎が」
細身のフュフテの身体は非常に華奢で、男の割に大した重さじゃない。
リティリーひとりでも、洞窟の外まで十分に運べるだろう。
そう判断して、少年の身を預ける際に交わった彼女の瞳は、聞き分けのない子供を見るように、呆れと優しさを湛えていて。
オスタは胸に込み上げる形容し難い情動を悟られぬよう、彼女から視線を逸らして、化け物の前に立ちはだかる。
ここから先は、一歩も通させはしない。
一度は捨てるつもりだった命だ。
多少タイミングがズレただけで、やる事には変わりはない。
俺にとっての恩人二人が助かるのなら、いくらでも死んでやるというものだ。
リティリーがこちらに背を向けて、走り出す準備を整えた。
ほぼ同時に、戦意みなぎる黒の復讐者が瓦礫から抜け出し、一触即発状態に対峙。
武器もなく、魔力も僅か。
文字通り、肉の壁としての役割しか果たせないが、それでも時間を稼げるのであれば、一秒でも長く食らいついてやる。
無論、死ぬまで。
そう覚悟した途端に、時間がゆっくりと流れ始めた。
化け物が自分に向かって腕を伸ばし、鋭い爪先が胸元を狙って一直線に突き出されるのが、はっきりと見える。
勿論身体は動かず、意識だけが緩慢に現況を知覚して。
ああ、こいつは助からねえな。
胸をひと突き。それで、お終いだ。
皮肉みてえだが、これで家族みんな揃って、突かれて死んじまうって訳だ。
突かれるのにやたら縁のある一家だ、と、どうでもいい考えが刹那の間に浮かび、可笑しくて笑い出しそうになる。
ふと。
この土壇場で、何故かオスタは、目に見えない相手に向かって、一つだけ文句を言いたくなった。
それはもしかしたら、彼がずっと無意識に胸に押し込めてきた、願望なのかもしれなかった。
ーーなあ、神さまとやら。
あんたが本当に、奇跡だの何だのを起こせるすげえ存在なんだとしたら、一個くらい俺にも見せてくれねえかな?
今まで、あんたには散々、酷い目に遭わされて来たんだ。
よく言うだろ?
幸も不幸も、帳尻合わせりゃゼロになるってよ?
最後に一回くらい、なんかあってもいいんじゃねえか。
俺を助けてくれって言ってる訳じゃねえ。
でも、たぶんこのままじゃアイツは、一生俺の生んだ化け物に狙われちまうだろう?
それだけは、どうにかしてやってくれねえか。
頼むよ。
ひとつくらい、俺にも希望ってやつが欲しいんだ。
それがあれば、俺はここで終わっても構わねえからよ。
なあ、見してくれよ。
絶望ばかり見てきた、俺に、見してくれよ。
あんたの、奇跡ってやつをーー。
言葉は、想いに。
想いは、願いに。
そして願いは、奇跡となる。
オスタの心の臓を刺す一撃が、ピタリと止まる。
僅かばかり標的に届かず、薄皮一枚を破った所で。
オスタの願いによって、奇跡は起こった。
いや、彼が願う前からすでに、奇跡は起こっていたのだった。
化け物は、攻撃を防がれた訳ではなかった。
ただ腕の長さが、オスタまで届かなかっただけ。
何故ならば、一歩も足を動かすことが出来なかったからだ。
オスタが動けなかったのも、全く同様の理由。
リティリーも。
彼女もまた、駆け出そうとして、地面にくっついたように動かない足に動揺していた。
誰もが、動けない。
そんな有り得ない奇跡を起こしていたのはーー。
神が降臨したが如くに眩しく輝く、フュフテの尻だった。
輝いていたのは、尻だけではない。
リティリーに背負われて、グッタリする少年の身体全体が淡く白光し、一際強い光が尻の輪郭を強調している。
その不思議現象は全て、フュフテの右の魔臓を起点として、厳かに現出していた。
「え!? 何?」
「フュフテの、尻が......!」
「グ......ガガガ」
この場の全員の視線が、フュフテの尻一点に集中すると、それに応えるかの勢いで、鮮烈な白の波動が爆発的発光を伴って、周囲一帯全てを呑み込んだ。
それは、魔力とはまるで違うものだった。
破壊ではなく、対極の。
まさに、浄化というに相応しき恩恵。
青の洞窟内は、即時に白亜の聖域へと強制的に変じられて、純白の炎が悪しきものを悉く殲滅しにかかった。
その筆頭は言うまでもなく、悪意の塊、黒の化け物。
頭のてっぺんから爪先まで、余すところなく邪悪で構成された異形は、声ひとつ立てることも出来ずに、あっという間に焼き尽くされて、消し飛ばされた。
そして、それを生み出した青く光を帯びる霊草たちも、纏めて一掃。
最後に、この洞窟を支配する悪意の気配が、どこか遠くで打ち砕かれる音が、微かに聞こえた。
凄まじい光の奔流に目を開けていられず、懸命に耐えるオスタとリティリー。
変わらず意識のないままに光るフュフテと、楽しそうに揺れる、元気な御影たち。
仕上げとばかりに、尻が高らかに音色を上げると、それを合図に光が全てフュフテの尻穴に吸い込まれていき、後には静寂のみが訪れた。
「......なんだったんだ......今のは......」
「分からないわ......。っ! 見て! フュフテ君が!」
死を目前としていたのに、一転して好転した神のみわざとしか思えない事態に呆然とするオスタは、リティリーの吃驚の悲鳴を聞いて、すぐさま二人に駆け寄る。
「どうした!? おい、これまさか......」
「ええ! フュフテ君の身体が! これ、治ってるんじゃないかしら?」
「一体、どういう事だ......? ッ! やべえ!」
見違えるように健康的な血色を取り戻し、規則的な寝息をたてるフュフテを見て、病が完治したとしか考えられない少年の様子に疑問を抱いていた二人だったが、突如として激震した洞窟内に慌てふためく。
立って居られない程の揺れと、天井からいくつもの岩塊が落下して近くで轟音を生み出す危機的状態に、
「話は後だ! これ本気で崩れるぞ! フュフテを寄越せ! うおおおッ! 逃げろ逃げろ逃げろッ!!」
乱暴に少年を右手でお米様抱っこに抱えたオスタは、もう一方の手でリティリーを引っ掴むと、全力でこの部屋の入り口に向かって飛び込む。
入れ違いで背後から崩落の音が聞こえるも、振り返る余裕もなく、まだ微かに白く光るフュフテの尻を照明代わりに、狭い通路を必死の形相でひた走る。
提灯アンコウのようにプリプリ光って揺れる尻のおかげで、なんとか視界を確保できていて、まさにお尻様様と言えるこの奇妙な現象に、
「まじでどうなってんだ、コイツの尻はッ!! ありえねえ! なんか変なもんでも、入ってんじゃねえのか!?」
無事にここを出たら、尻から魔法やら謎の光やらが出ることも含めて、絶対に問い詰めてやろう! ーーそう固く決心して、オスタはリティリーの手をしっかと握りながら、死に物狂いで出口求めて走り続けた。