第27話 『心、合わせて』
「いっ......は......はああぁぁ............」
猛烈に流出した血の噴水で尻を赤く染めるフュフテの口から、力の抜ける音が流れた。
こんな筈では、なかった。
本来であれば、凝縮した魔の力を破壊に変えて、黒の化け物にお見舞いしてやる予定だったのに。
何の間違いか、破壊されたのは自分のお尻の穴。
こんなタイミングで試練を与えるとは、神さまはどれだけ自分に優しくないのだろうか。
体を支える両の膝をガクガクと揺らし、少年は崩れそうになる姿勢を懸命に維持する。
両手の御影さんたちが地面にへばりついて固定してくれているお陰で、辛うじて上半身は倒れ込まずに済んでいる。
それでも、辛い状態には変わりない。
魔力を充填している間は、特に問題はなかった。
しかし、丁度オスタが化け物を羽交い締めにした辺りから、妙に尻がピリピリして、魔力ではない別の何かが勝手に尻先に流れ込むのを感じた。
「やばい......なんか、出そう......ッ!」
動悸と息切れに加えて全身が変に熱くなり、お腹の下が異様に重くなって困惑。
異常事態に魔力制御が乱れそうになり、慌てて操作に意識を割くが、その間にも違和感は止め処なく上昇して、発射口が混沌に渦を巻く。
このままでは、暴発してしまうかもしれない。
そう思ったのも束の間。
急に膨れ上がった異物感が肛門の内で荒れ狂い、外の世界に通ずる扉を押し開けようと、全力でノックを始めた。
これを解放したらきっと、とんでもない事になるーーと、本能が警鐘を鳴らす。
だが、「フュフテ砲作戦」の要となる、集めきった魔法の源を維持するのに必死で、それ以外の行動をとれるはずもない。
せめてもの抵抗に、フュフテは尻の括約筋に力を込めて、ミシミシと決壊しそうな門を守る。
そんな、少年の涙ぐましい努力も虚しくーー。
「やれッ! フュフテっ!! ぶちかませええぇぇーーーーッ!!!!」
「あああああァァァーーーーッ!!!!」
オスタから何かが聞こえた気もしたが、その内容はフュフテには届かない。
それどころではなかった。
いよいよ限界を迎えた防波堤が崩れ去るのを感じて、もう尻が保たない事に絶望していた最中だったからだ。
とうとう、抑えきれない尻の圧力に屈してしまったフュフテが、恐怖とも混乱とも悲鳴ともつかない、誰かに助けを求めるかのような逼迫した叫び声を上げた。
ーー直後の大噴火。
少年の可愛らしい菊の蕾は緋色に染まる大輪の花を咲かせ、内側から吹き出す赤の蜜たちは、刺激的な香りを内包しながら対象へと飛びかかる。
獲物を誘致する役割を担う分泌された粘着質の液体は、「第一印象から決めてました!」と言わんばかりの勢いで、化け物とオスタの目玉に突撃。
酸味豊かなスパイスで、痛みと共に各々の視力を奪う。
しかしながら、大量の蜜を放出したにも関わらず、虫たちは集まって来ない。
それも当然。
フュフテの容姿は花のように可愛らしく、お尻にキュートな菊の花を持っているが、彼は決して植物ではない。
飛び出した液も甘い蜜ではなく、ただの真っ赤な血液。
虫など集まる訳もなく、集まった所で困るだけだ。
そもそも、そんな意図でぶっかけた訳ではない。
単なる、発作の産物。
偶然にも、紫の急所を突かれた化け物の視界を潰すことに成功したが、それと同時に味方のオスタまで巻き添えにしてしまい、かの黒い存在の拘束は解かれてしまった。
「フュフテ君! まさかっ! 発症したの!?」
「嘘だろっ!? 大丈夫かフュフテ! ......なんてこった、やべえぞ......」
武器を破壊され、戦う術を失ったリティリーと、同じく剣を何処かに飛ばされた上に、目に痛手を負ったオスタ。
どちらも身体強化魔法の酷使によって魔力残量が心許無く、戦力は大幅にダウン。
頼みの綱であった決定打となりうる役目の少年は、何の需要もない真っ赤なスプリンクラーと化してしまった。
このまま行くと、じきに復調した化け物の手によって、三人とも血の海に沈められるのは、想像に難くない。
抵抗手段をなくしてしまった彼らに、この化け物から逃れる方法を見つけ出すことは、到底不可能というもの。
ちなみに、すでに沈みかけている者が一人いるが、そこはご愛嬌というものだ。
立ち尽くす、オスタとリティリー。
復帰しつつある、異形の化物。
血の池に沈みゆく、お尻。
一転して陥った窮地。
おとぎ話のように、救援が現れる事もなく。
刻々と、時だけが歩みを進める。
絶体絶命という崖っぷちに追いやられ、無力感に苛まれる彼らに、再び立ち上がる気力は残されていなかった。
どん底に突き落とされ、心が折れた者たちに待ち受けるのは、救いのない終末。
だが、しかしーー。
誰もが無情な現実に嘆き、諦めに身を投げ出そうとする中ーー。
この絶望的状況に、ただ死を享受するしかないと観念する最中ーー。
まだ、諦めていないもの達が、いた。
ーーその名は、「御影 草」。
常識はずれの、すごい奴らだ。
草さん達は、自分たちの寄生する宿主が力尽きそうになっている事に気付くと、すぐさま自身の蔓を伸ばし、フュフテの身体に巻き付き始めた。
上体を持ち上げられ、腰から下をぷらぷらと揺らすフュフテは、横から見ると下向きに「L字」の形となる。
次に、右手の草ーー「草男」が、フュフテの右足を。
左手の草ーー「草子」が、左足に触手を伸ばして巻き付き、二人がかりでフュフテの両足を大開脚させる。
互いの根っこを大地にどっしりと構えて、空中に持ち上げた少年と合体した姿は、高エネルギーを一点集中させた長距離射撃ライフルを思わせる出で立ち。
血みどろの銃口は、凄惨なぬめりを帯びてギラリと煌めく。
草男と草子が触手を振りかぶり、「パン!」「パン!」と、フュフテの頬に二連撃。
「うっ! いたい! 何するんですか、御影さん......」
朦朧とする意識の中、突然頬っぺたに喝を入れられ、フュフテが覚醒する。
どうやら出血性ショックにより、意識レベルが低下していたようだ。
でも、どうして今自分は無事なのだろうか? と考えるフュフテは、草さん達の触手のいくつかが、自分の皮膚に突き刺さっているのを目にして、驚嘆する。
茎から伸張した触手は、血管によく似た透明な管から緋色の液体を循環させて、フュフテの体内に謎の液の注入を行なっていたのだ。
おそらくそれが、代用血液の役目を果たしており、流れ出た分の血を補って少年の命を繋ぎ止めていた。
御影の輸血によって、フュフテは失血死を免れた、といってよい。
「助けてくれたんですか......御影さん......」
「ーーーー」
「ありがとうございます。ええ。まだ、これからです!」
自分の顔の前にひらひらと揺れる二つの花弁にお礼を言うと、それぞれがフュフテを励ます仕草で蠢動して、その動きに少年は勇気付けられた。
尻の出血は今は止まり、病が治った訳ではないが、御影輸血によって何とか動く事が出来る。
もしかすると、強壮剤的な成分も含んでいるのかもしれない。
御影さんは、やっぱりすごいのだ。
幸いにも、尻に溜めた魔力は健在。
無意識に暴走しないように維持されていたのは、肉体の生存本能によるものだろうか。
はっきりと意識を取り戻し、やるべき事に集中するフュフテの目に、光が灯る。
まだ、戦える。
まだ諦めていない仲間がここにいる限り、自分が先に諦めるなんて、そんな情けない事は出来ない。
「見せてやりましょう......。僕たちの......絆の、力をッ!!」
股をおっ広げて、空中に浮かぶ少年は、勇ましくも不敵に笑う。
それに答えるように、草男と草子がフュフテ銃身を傾けて、破壊すべき標的に照準を合わせた。
今度こそ、悲しみから生まれた、哀れな生き物を終わらせよう。
それを成すのは、一人の少年と、奇妙な植物二人。
異色の組み合わせは、気炎を吐いて、この戦いに決着をつけるべく立ち上がる。
ここに、「御影フュフテ砲作戦」が、新たに発足した。
※ ※ ※ ※
「ーーーー」
「撃ちます!」
草さん達の声にならない合図に合わせて、フュフテの尻が火を噴く。
蔓の操作によって寸分の狂いも無くターゲットを捕捉した銃口から、今まさに視界を復活させた化け物目掛けて初弾が撃ち放たれる。
音速の砲撃が化け物に着弾し、ドパンッーーと胴体に風穴を開けた。
「やったか!?」
「......いえ、だめよ!」
巻き添えを食わないように距離を置くオスタとリティリーが見つめる先には、胸元に大穴を作りながらも堪えた様子もなく、徐々に傷口を塞ぎ始める化け物の姿。
「ーーまだまだぁ!」
続けて発射されるフュフテの魔弾は、今の一発で仕留められない事など想定内だとでもいうように、次々と標的目掛けて繰り出される。
ーー連射、連射、連射、連射の嵐。
風弾が、火弾が、水弾が、土弾が。
あらゆる属性の魔法の弾丸が、瞬時に尻の先っぽに集い、高速で射出。
撃ち出された反動で、御影諸共フュフテ砲身が振動し、尻たぶがブルブル震えて、絶え間なく肛門が開閉する。
質よりも量。
とはいえ、そのどれもが中級以上の。
一撃でも当たれば、人体に人の頭ほどの大きさの風穴を容易にぶち開ける威力を秘めた、脅威の速射。
まさしく弾幕というに相応しき魔法の数々が、破竹の勢いで化け物へと襲い掛かる。
腕が千切れ、肩が抉れ、足が欠けて、腰が吹き飛ぶ。
相手が肉持つ生物であれば、すでに絶命して当たり前の惨状。
まともな相手であれば、だが。
「くっ......効いて、ないみたいですよ、御影、さん......! どう、しますかっ!?」
「ーーーー」
「そうか! その手が! さすが、御影さんです!」
言葉こそ通じないものの、不思議と草さんの意図する事を読み取ったフュフテが、 魔法を放つのを止めずに、平行して魔力を集める。
これだけの連弾を食らいながらも、絶妙な動きで急所である顔面を守り抜いている敵を倒すには、点ではなく面で押し潰すしか方法がない。
しかし今現在、多数の攻撃とその合間に風撃を叩きつける事で、辛うじて化け物の動きを封殺しているからこそ、成り立っているこの均衡。
相手の足を止める手段がない以上、溜めを要する極大魔法は使えない。
先程のように、オスタを犠牲にするやり方など論外。
ならば、手段は一つしかない。
狙うべきは、ただ一点。
うまく行くかは、御影さん次第。
「一発かまします! 頼みましたよ!」
フュフテの全幅の信頼を背負う御影たちは、無言で照準を調整。
緩急を付けて当てるべき箇所を撃ち抜き、わざと距離を詰めさせて、目的の位置へと誘導を始めた。
そして、待ちに待った瞬間が訪れる。
仕掛けるは、特大の罠。
これでダメなら、打つ手は無しだ。
出し惜しみはしない。
いま集結する全ての魔力を。
魔法現象としてではなく、純粋なエネルギー弾として撃つ。
この上ない魔力の無駄遣い。
こんな使い方など、普通はしない。
威力が極端に低下するからだ。
仮に全部を風の魔法に変えたとすれば、この洞窟を跡形もなく吹き飛ばせる程の破壊力を生み出せるだろう。
しかし、今のフュフテの技術では、それだけの魔法に変換するのに多大な時間を要する。
病に侵された身では、御影無しで動く事もままならず、発動前に殺されるのは間違いない。
だからこその、この手段。
速射性を最重視に。
膨大な魔力に物を言わせて、今撃てる最大の一撃をーー。
「ーーーー」
「ーーはあッ!!」
かつてない勢いで、尻が、開門した。
溢れんばかりの魔が、解き放たれる喜びに、極上の産声を上げる。
ただ、放つ。
閃光の、ように。
その刹那、草男と草子の触手が、菊門に集う。
艶かしい触手の先っちょが、門に刺激を与えて閉塞。
発射口を、二つに分けた。
二条の光が、洞窟内を打ち抜く。
ひとつは、穴だらけの化け物の下半身に到来。
瞬時に腰から下を焼き尽くして、その場に釘付けにする。
予想通り、化け物は頭部以外は避けない。避ける必要がないからだ。
その代わり、足を止めた。
それが、命取りだ。
ーーパキン。
黒の化け物の耳に、微かな割れ音が響いた。
今し方の閃光による轟音の後に鳴ったその控えめな音響は、さしたる脅威などまるで感じないぐらいに優しい。
だが、音色の発生源を見上げて、化け物はそれが大きな間違いであったことに気付く。が、もう遅い。
天地がひっくり返る程の衝撃音。
オスタから生み出された憎悪の産物は、最後まで本質に気付く事なく、フュフテが放ったもうひとつの閃光によって、天井から切り離された超重量の水晶郡の大塊に、醜く押し潰された。