第25話 『発射 All right』
人が、ある日突然自分に危害を加える存在に遭遇した場合、とっさに取る事の出来る行動は、大きく二つに分けられる。
逃げるか、戦うか、その二択だ。
単純に、逃走か戦闘、という意味ではない。
「恐怖で動けない」という状態は現実逃避にあたるし、「説得」という手段を用いるならば、言葉を武器に戦う、という事でもあるだろう。
いずれにせよ、そういった状況では、望む望まないに関わらず、必ず選択を強いられる。
生物として生まれながらに細胞へと刻まれた、防衛本能ともいうべきその二択は、いついかなる時であっても、「どちらが正解なのか?」という問いに対し、誰もが解を持つ事が出来ない。
結果としてならいざ知らず、渦中でその回答を導き出せる者がいるとすれば、それは人知を超えた存在か、預言者くらいのものであろう。
故に、人は現況を打破するために、手探りで必死に足掻かねばならない。
今フュフテの目の前で、漆黒の肉体を持つ襲撃者と交戦する二人ーーオスタとリティリーも同じく、戦闘という手段で道を切り開こうとする者たちだ。
果敢にも鉄の刃を打ち鳴らして縦横無尽に駆け巡る姿は、逃走というもう一つの選択をはなから捨てている様にも見える。
しかし、それは合理的な判断とも言えよう。
なぜならば、二人が戦う相手は、あまりにも強大かつ厄介であるからだ。
「くっそ! 臭いで鼻が曲がりそうだ! こんな臭ぇやつと、よく戦ってたな! リティリー」
「あまり吸わない方がいいわよ!? 目眩がしてくる、からッ!」
臭気が具現化して襲ってきた、とでもいうように、一合打ち合った後、片手を自身の眼前に翳すオスタの文句に対し、化物の死角から加速しながらも忠告を口にしたリティリーが、脇腹目掛けて鋭い刺突を放つ。
真っ直ぐな軌跡を描く剣の先端は、狙い違わず胴体をくし刺しに貫いたーーにも関わらず、異形は一向に動きに陰りを見せずに、振り向きざまに黒く塗り潰された豪剣をふるって反撃する。
形こそ人型を保ってはいるものの、澱んだ紫の眼と口という三つの穴がじゅくじゅくと不快に波打ち、全身にかかる黒の靄から耐え難い悪臭を漂わせる様は、明らかに生物という範疇から逸脱している。
先程から斬りつけられる度にすぐさま修復する黒肌からは、血の一滴も流れ出る事はなく、切った手応えはゼリー状の物体に刃を通した感覚。
限界まで腐らせた卵と、蛆が涌くほど放置した腐肉を捏ねくり回し、それを生まれてこの方一度も歯を磨いた事の無い男の口の中で咀嚼させて、もれなく吐き出させたモザイク必至の汚物から立ち込めるような臭いが、黒い肌に傷をつける度にこちらに匂ってくる。
攻撃する度にえずきそうになる邪気を嗅がされ、おまけに痛手を与えている感触もなし。
でありながら、相手が繰り出す攻撃は破壊的質量を持つのだから、全くもって手に負えないというものだ。
「あれが身体強化か! リティリーさんもオスタさんも、すごい......。でも......このままじゃあ......」
黄と青の二人の戦士が、黒の剣士と互角以上に渡り合う姿から、深い感銘を受けるフュフテであったが、それと同時に拭い去れない懸念を胸中に抱く。
確かに二人は強いし、現状は押しているかもしれない。
しかし、身体強化魔法で戦力を底上げした、二人がかりの攻勢ですら未だ倒すこと能わず、リティリーひとりで戦っていた時より、多少有利となっただけ。
今はまだ五分以上に戦闘を継続できているが、彼らの体力は有限だ。
いずれは力尽きてしまう。
かといって、方針を変えて逃げに転ずる、というのもまた不可能に近い。
この狭い洞窟内では、例え逃げの一手を打ったとしても直ぐ様追いつかれ、各個撃破されて一巻の終わりとなるのが目に見えている。
つまり、この戦いに終止符を打ち勝利を手にするためには、自分のケツ魔法による攻撃、通称「フュフテ砲作戦」の成功が大きな鍵を握る、という事になる。
「うう......緊張する............と、とにかく、準備しないと!」
オスタの手前、自信満々に任せろとは言ったものの、二人の戦いを目にして、命を預かるという責任をじわじわと感じ出したフュフテは、プレッシャーに桃尻をせわしなく揺らす。
これまでにいくつかの戦いをフュフテは経験してきたが、そのどれもが主に自分の身を守る為のものであり、今のように誰かの命を背負って戦うのは初めて。
フュフテの細い双肩には、かつて無い重みが、ずっしりとのし掛かる。
元来、臆病といってもよい性格のフュフテは、思い切りのよさはあるものの、こう言った重圧に対する耐性は決して高くはない。
それは経験不足という点を差し引いても、一歩間違えれば押し潰されかねないくらいに、弱々しいものだ。
だがーー、
「オスタさんは、任せると言った......だから、僕が守るんだ......ッ!
二人を、死なせるわけには、いかないっ!」
オスタは自分を信頼して、命を預けてくれた。リティリーも。
ならば、ここでその期待に応えなければ、男が廃るというものだ。
自分は男だ。
華奢で女顔の自覚はあるし、悲しい事に女装したら幼馴染の女性陣よりも可愛いかもしれない。
でも、男なのだ。
父親がわりの母ニュクスからは、「男は決めるときは決めるものだ」と教えられた。
近所のお姉さんも、「据え膳食わねば男の恥」と言っていた。
据え膳が何かはよく分からないが、きっと整えられた舞台、という意味なのだろう。
ならば、自分は一発バチっと決めて、据え膳を食らい尽くすまでだーー。
折れそうになる心を意思の力でねじ伏せて、フュフテは精悍に前を見据える。
そうして、ぷるぷると震える両足に喝をいれた後、フュフテは戦場に背を向けて、おもむろに地に伏せた。
両膝を地面にガニ股で接地し、御影付きの両手をぐっと伸ばして、上体を支える。
きらりと汗の光る尻の発射口は、黒の的をしっかりと、その射線上に捉えて。
地面にへばりつく姿は、お世辞にも美しいとは言えない。
潰れたヒキガエルを思わせるその格好は、もしこの場で美を尊ぶ同族が目にすれば、嘲笑と嫌悪に貶められるには十分な醜態。
こうなってしまうからこそ、フュフテは人前で魔法を使うのを躊躇してきたともいえる。
「集めるんだ......! ありったけの魔力を......っ! ーーはああぁぁ.....ッ!」
フュフテの気合の入った掛け声と共に、膨大な魔力が生み出され、彼の身体の一箇所に集中を始める。
次々に送り込まれるエネルギーの塊は、先刻御影草に放った時よりも、さらに多く。
真剣な表情で己の成すべき事に没頭する今のフュフテからは、ケツ魔法の使用に対して、一切の躊躇を感じない。
それは、彼の中で、ひとつの答えが出たからだ。
ーーたとえ、人から嘲りを受けようとも。
たとえ、誰からも認められなかったとしても。
自分だけは、自分を肯定してやらなければならない。
なぜ自分だけが尻から魔法が出るのか、その理由は未だに分からないが、出る以上はコレと向き合っていかねばならないのだ。
目を逸らしていては、何も始まらない。
逃げていては、いつまで経っても前には進めない。
まだまだ自分に出来ることは少なくて、体を張って戦う二人のようにはいかない。
格好悪くも、地面に這い蹲るのが精一杯。
だけれどもーー、
「ぐうううぅぅ......ッ! まだだ......ッ! もっと、威力を......! もっとッ!!」
ーー「変わる」と、決めたから。
どんなに無様で、情け無い姿を人前に晒そうとも、今自分に出来る最善を尽くす。
それが、フュフテの出した答え。
彼が変わるために踏み出した、偉大なる第一歩。
桁外れの濃度に満ちた魔の大波が、真っ二つに割れた尻のど真ん中に、荒れ狂いながらも収束していく。
ビリビリとひりつく秘孔の奥底に溜まりに溜まった暴力の源が、今か今かと鼓膜に響く唸り声をがなり立てる。
抑えきれないエネルギーを押し留める菊門が、ヒクヒクと脈動し、時たま目を眩ませるスパークを撒き散らして、「フュフテ砲」の充填完了をお知らせした。
「オスタさぁぁんっっ!! いつでもっ! いけますッ!!」
小さな身体に圧倒的な暴威を滾らせて、後ろ向きに叫ぶフュフテの合図を耳にしたオスタは、
「よっしゃ! 直ぐにコイツを止める! もう少し、辛抱してくれ!」
横薙ぎに払われた黒剣を反射的に飛び退いて躱し、この化物を仕留める準備を整えた少年に向かって、高らかに声を張り上げた。