第23話 『災厄の化身』
パラパラと落ちる岩の破片が、眼下に見下ろす青味がかった光だまりへと向かっていく。
今し方起きた大音響と煌びやかな水晶を抱く天蓋まで響く振動によって生じた、幾ばくかの割れた破片達が行き着く先は、円形に広がるこの洞窟の最も壮美な光源体の只中。
夢幻的な青白色でライトアップされたその狭い圏域の中で、中心だけが景観を損なう黒々とした染みを作り出すその頭上へと、彼らは緩やかに降り注ぐ。
その黒い異物は他でもない、生態系から大きく逸脱した異質な薬草により殴り飛ばされ、倒れ伏した黄髪の若い剣士ーーオスタである。
御影草から胸に食らった強撃は、相当な威力を持っていたのであろう。
ぐるりと裏返った眼球は真っ白でどう見ても意識がなく、口から赤い泡を吹いて微かに痙攣している彼の姿は、過剰な青い舞台装置に照らされて不気味なオブジェと化している。
うつ伏せになっていて目視する事は出来ないが、金属であしらわれた胸当てはべっこりと大きなへこみを作っているに違いない。
「......オスタ、死んでないわよ、ね......?」
「......たぶん」
自分の相方の、生存が危ぶまれるほど凄まじい一撃を受けて壁面に激突した姿を見届けたビチリーが、衝撃に頬を引き攣らせて確認してくるも、御影さんが勝手にやったために確証などある筈もなく、フュフテは曖昧な答えを口にする。
キシャシャシャシャーーと勝鬨の音を上げる御影草たちにドン引きして、身の危険を感じながら自分の胴体に彼らが接触しないよう、大の字に姿勢を保って仁王立ちするフュフテに対し、
「ごめんなさい、フュフテくん......。危ない目に合わせてしまって......。
......ううん、違うわね。助けてもらって、謝るのは違う............ありがとう」
「いえ、僕が勝手にやったことですから。気にしないで下さい」
遠方の意識のないオスタから目を離して、ビチリーが弱々しく少年と向き合う。
少し態度が冷たいフュフテに落ち込みながら、俯きがちに睫毛に影を作るビチリーの、
「そういう訳にもいかないわ。命の恩人ですもの。
それに、さっきのあなたの言葉......。私も聞いていたのよ? ......身につまされたわ」
「? というのは?」
ふと面をあげて、しっかりとこちらを見据える視線に変化を感じ、「おや?」と少年は目をぱちくりとさせる。
「あなたの言う通り、私も変わらなければいけないと思ったの。
オスタに殺されることが、罪を償う唯一の方法だと思ってた。......いえ、償いを盾に、もう終わりにしたかっただけなのかもしれない。
でも......私にも、大切なものがあった。
守りたい存在がいた。
今あの子を置いて、自己満足で、死に逃げるわけにはいかない。
その事を、あなたのおかげで、思い出したの」
自身に言い聞かせるかの口ぶりで語る、フュフテから受けた影響による感情の推移を、静かに吐露したビチリー。
徐々に力を帯びるビチリーの声には、先程までの暗澹とした趣きを払拭する兆しが、確かに見えていた。
その事に気付いたフュフテは、
「ビ............リティリーさんは、どうするんですか? これから」
「オスタと、ちゃんと話をするわ。こんな場所じゃなくて、きちんとした所で。
その上で、彼の想いをすべて受け止めて、殺される以外の償う方法を話し合いたい。
それでもオスタが私の死を望むのなら、妹が一人でも生きていけるように環境を整えてからにしたい。
その時間を貰えるように、彼にお願いするつもり。
せめて、あの子には全てを伝えてから、私は逝きたいの」
「そうですか......」
ビチリーの重い決断を耳にし、少し考えを改める。
なるほど。
確かに、ビチリーは間違いを犯したーー文字通り、犯したのかもしれない。
だが、今は充分に反省し、変わろうとしているようにも感じられる。
ビチリーの言葉は真摯で、いくらビッチだとはいえ、これは信じても良いのではないだろうか。
ビッチは、自分の事しか考えない。
自分が良ければそれでいいのが、ビッチというやつだ。
でも彼女は、妹のことをちゃんと考えている。
自身を優先せず、相手の気持ちを第一に行動しようとしている。
そうだ。
彼女はきっと、更生したのだ。
若き日の過ちというのは、誰にでもあるのだろう。
犯した罪は消せないが、受け入れて前を向こうとする姿勢には、敬意を示すべきだ。
野性を捨てて、理性を取り戻した。
もう彼女は、ビチリーではない。
理ティリーだ。
あんな話を聞かされる妹さんはかわいそうだけどーーと、フュフテは幾分かの同情心を抱きながら、リティリーに近付こうとし、自分が今非常に危険な状態である事を思い出して立ち止まると、
「ひとまず、オスタさんを連れてここを出ましょう。もし暴れ出しても、またなんとかします。
それに、目的の御影草は今、僕の両手に生えてますし、これで薬作れますよね?」
「ええ、二つもあれば十分よ。あの子とフュフテくんの治療分も、十分に足りると思うわ」
「よかった。それじゃあ......」
さっそく行動に移ろうとして、不意にがさり、と響く異音に気が付き、そちらを注視する。
音の発生源は、言うまでもなく目的の人物ーーフュフテたちが会話をしている間に意識を取り戻した、オスタからだ。
彼は、自分が地べたに這いつくばっている事を認識し起き上がろうとするも、体に負ったダメージの大きさに抗えず、四肢を再び地に打ち付けた。
それが、余程の屈辱であったのか。
手元のすぐ側に生えていた光る霊草を、八つ当たりするように手のひらで強く握りしめている。
鳴った音の正体は、怒りに震える手で力一杯掴まれた、草の葉擦れによるもの。
ーーそう、オスタは触れてしまったのだ。
かの竜の忠告を無碍にして、災厄の源たる、神秘で偽装された悪しき霊草に。
ざわり、と洞窟内の空気が色めき立ち、ただならない圧迫感が辺りに充満する。
狂い咲く青光の、御影草によく似た外観を持つ草花たちが、突如として激しく動き出した。
嗤いさんざめく彼らは皆一様に頭部を揺らして、オスタに触れられた仲間を囃し立てるように触手を伸ばし踊り始める。
その様子は、生贄を取り囲んで悪神へと供物を捧げる狂人さながらの、儀式めいた有様だ。
オスタの手の霊草が、周囲の狂乱に答えるべく、明滅を繰り返す。
身に纏う青が、点いたり消えたりする度に色彩を段々と変化させていき、最終的にあの道中に鎮座した魔石と同色の、禍々しい紫へと定着。
黒に近いその暗紫色を放つ草にはもはや神秘性など欠片もなく、獲物を捕食する瞬間を待ち侘びた食虫植物に等しき用意周到さを遂に露呈させる。
そしてとうとう、揺らめく紫炎のオーラに包まれた霊草が、奇っ怪な現象に呑まれて唖然とするオスタ目掛け、満を持して襲い掛かった。
「ぐあああぁぁぁーー!!」
響くはオスタの絶叫。
瞬時に腕、胴体、頭部という順に伸ばされた膨大な蔦の触手に覆われて、毒々しい紫に侵されるオスタが激しく痙攣する。
明らかに質量のおかしい触手の数々は、醜悪に蠕動をしつつ、獲物を取り巻いていた。
逃れるための抵抗すら許さない鮮やかな捕食行動を目にして、フュフテは肌が粟立ち、全身から冷や汗がどっと吹き出す。
あれに捕まったら終わりだーーと、生物的嫌悪感に身を震わせて、少年は一歩も動けない。
助けに入りたいのは山々だが、闇雲に突っ込んだ所で、どう考えても二の舞になるのは目に見えている。
ーーというか、気持ち悪過ぎる。
絶対に捕まりたくない、死んでも嫌だ。
あれに比べたら、両手の御影さん達など可愛いものだ。
今なら、頬ずりぐらい出来るかもしれない。
だから、アレに対抗してウネウネし出すのをやめて欲しい。
それに、気付かれないとでも思っているのかもしれないが、徐々に巻きつく蔓を侵食させて尻の方向に伸ばしてくる点も大問題だ。
せっかく上がった好感度が駄々下がりになってしまいますよ? 御影さんーー。
互いに尻穴を巡って、水面下の争いを繰り広げる少年と御影とは違い、
「オスターーッ!」
腰に下げた細剣を引き抜いて、相棒の名を叫びながら駆け出すリティリー。
強靭な脚力で妖草の霊園に迫った彼女の、囚われの仲間を救い出すべく放たれた剣線が、疾風の速さで立ちはだかる草花を刈り取りにかかるーーが、
その剣戟の悉くを、手前の霊草たちが撃ち落とし、行く手を阻む。
ひとつひとつがフュフテの腕の御影氏と同等の硬度、攻撃速度を持つ。
それが、少なくとも百体以上。
突破は不可能に近い。
リティリーの剣士としての力量は、驚くべきことにオスタよりも遥かに高い。
一撃の重さ、切り返しの速度、間合いの詰め方から身のこなし、どれを取っても比べようもなく優秀。
一対一であれば、相手を降すに十分値する能力を彼女は有していた。
しかし、これだけの数相手では流石に分が悪すぎた。
連綿と続く打ち合いは一向に終わりを見せず、彼女は一歩も進めずに足止めされる。
それ見て、フュフテもただ見ているわけにも行かず、御影と共に加勢に向かおうと一歩を踏みしめた所で、オスタに変化が起こり始めた。
いや、正確には、オスタを捕らえた霊草に。
シュルシュルと巻き付いていた蔓が、次々と霊草本体へと戻っていき、地に伏せるオスタが目視出来るようにはなったが、生きているのか死んでいるのか、彼は全く動く様子を見せない。
反して、紫の霊草は劇的に変化を見せる。
全ての蔓を収納した後、おもむろに頭部を屈め、地面に向けた花びらから、真っ黒な煙とも靄ともつかない物質を吐き出し始めた。
冷たい大地に沈殿する黒煙は量が増えるに連れて、人型を形作っていく。
その形状はオスタとそっくりで、彼を漆黒に塗り潰した姿、といっても差し支えない。
大きく違うのは、眼窩と口内が人にあらざる濃紫一色、という所だろうか。
特に目の部分は眼球すらなく、微量に発光する紫が不気味そのものである。
ギョアアアァァァーーーーッ!!!!
生み出された化物と呼ぶに相応しい異形が、耳をつん裂く咆哮を上げて、フュフテとリティリーに紫の二穴を向けてくる。
バリバリと振動する大気と同時に、咆哮で生じた風圧を身に受けながら、片目を瞑って異形を見据える少年は、
(ーーあ、これ、死ぬかもしれない!)
恐怖が一周して逆に冷静になった思考で、これから間違いなく起こるであろう戦闘の予感に、尻をピリピリとさせた。