第22話 『失う事で分かるモノ』
「ーーーー!」
青の光沢が燦然と彩る地盤の上で、空気を揺るがす激突音が鳴り渡り、それを切っ掛けとして両者の戦いの口火が切られる。
両腕に強力な援軍を従えて、疾風の如くオスタへと突貫したフュフテの右手の御影草が、オスタの握る長剣と激しく火花を散らして衝突したのだ。
少年の手で振るわれた御影草は、長い茎の先端に重量のある根っこをぶら下げて、まるでフレイルーー柄の先に鎖で打撃部を連結した殴打武器ーーのように大きくしなり、その硬質な根を鉄の刃に勢いよくぶつけた。
ギャリギャリという、植物としてはあり得ないほどの固い摩擦音を立てる謎の存在に、オスタははっきりと驚きを露わにして、未知の脅威から遠ざかろうと力任せに剣でそれを弾き、距離を取るため後退しようとする。
が、そんな男の回避行動を、フュフテの左の御影氏が簡単に許す筈がない。
隙を生じぬ二段構えの連撃を締めくくる強烈な御影アタックが、オスタの胴体に容赦なくめり込み、彼の体躯に多大な衝撃を与えた。
「ぐっ......!」
軽金属の防具の上から響く予想以上に重い一撃に苦痛の声を上げつつも、なんとか態勢を崩す事なく耐えたオスタは、反撃に転じようと剣を構え直して、少し距離を置いた正面の邪魔者を視認し、驚愕に目を見開く。
「なんだっ! ......それはっ!?」
オスタが驚くのも無理はない。
なぜならば、目の前で両手を左右大きく広げる少年の手元は、異常な光景となっていたからだ。
フュフテの肘まで絡みつく蔓は血管に似た色で生々しく脈動し、左右先端の根っこが触手の如き動きでウネウネと蠢いている。
ごわごわした大葉は威圧的にその身を大きく展開し、どこから出ているのか、キシャアアーーと奇声を上げる様はおぞましいの一言に尽きる。
そして、まさに寄生されたと言うに相応しい少年は、生気を奪われているのではないかと思うくらい、顔色を悪くしていた。
(こっちが聞きたいよ......これ絶対やばい! なんなの御影さん......もう植物じゃないだろコレッ!?)
こちらの意思を丸無視して、勝手気儘に動き出す御影草たちのあまりの不気味さに、フュフテは自身の軽率な判断をはやくも後悔し、不安を抱いて青ざめる。
変な草だとは思っていたが、まさかここまで意味不明な生命体だとは思ってもみなかった。
というか、事が終わったら無事に外れてくれるのだろうか、彼らは。
それすらも全く分からない。
もはや、恐怖だ。
「ふざけやがって......ッ! うらああぁ!」
嫌悪感しか感じない異様な物体に気圧されないよう、裂帛の気合の一声を発して、オスタはフュフテに猛然と斬りかかる。
その斬撃を受けとめるべく、自動で反応する謎の物体、御影。
意思持つ植物は、鈍い軋みを奏でつつも、左右の硬度の高い根元を交差させて、オスタの一撃をがっしりと食い止めた。
だがオスタとて、その一撃には相応の想いを込めて放っている。
当然、簡単にいなせる訳もなく、オスタと御影、双方の力比べは拮抗していた。
ビリビリと御影ごしに腕へと伝わる負荷の重さを感じつつ、フュフテはぐっとこらえる。
怒りで冷静さを欠いているとはいえ、オスタとて一人前の剣士。
さすがに、一筋縄にはいかない。
童貞を拗らせた男の剣は重い。
重いのだ。
「なんで分からねえ......! あの女に守られる価値なんかねえんだ!
フュフテ、お前だって......お前だって、失くして見れば分かる!」
大切なものを奪われた男の嘆きが恨み言となり、それを原動力にして膂力が増していく。
込められる力の強さが、想いの強さだと証明するかのように。
不協和音をあげる武器が、オスタの心の悲鳴を訴えかけている。
さしものフュフテも、これだけ至近距離で情念を叩きつけられれば、同じ男として真剣に彼と向き合わざるを得ない。
意を決して、少年はオスタと眼を合わせ、思考を加速させる。
ーー自分は確かに未だ童貞であるが、オスタほど童貞に対する括りを持ってはいない。
だから、彼の気持ちに共感するのは、正直難しい。
しかし、それではいけないのだ。
今のままでは、この男にフュフテの言葉は届かない。
届かせるには、男と同じ境地に至らねばならない。
つまり、童貞がなによりも大切なものであると、認識できていなければならないとも言える。
(よし! 考え方を変えてみよう! 童貞は大切......童貞は相棒......童貞は家族......童貞は命......」
自身に言い聞かせるつもりで、フュフテは己に暗示をかけていく。
御影氏が鉄壁の防御を勝手に行ってくれるお陰で、フュフテは思考に没頭する事ができる。
御影さんは、優秀な相方なのだ。
多少の怪奇現象には、目を瞑るべきだ。
たっぷりと時間をかけて自身の考えを洗脳し、口を開くフュフテは、
「......確かに、僕はあなたと違って、まだ失ってはいません。
だから、本当の意味で、失う辛さも分からない。苦しみを、想像する事しか、できない」
一句一句に気持ちを込めて、自身が出した答えを真摯に語る。
そんなフュフテの言葉に込められた思いに気付いたのか、男は攻撃の手を休めて、耳を傾けた。
「失くしたものは大きく、代わりなんてきかないでしょう。
男として、いや人として、守りたいものを守れなかった苦しみは、決して消えないし、失ったものは戻ってきません」
年少とはいえ、フュフテも同じ男だ。
ならば、きっとオスタにも届くはず。そう信じて。
「でも、本当にそれだけが大切だったのですか? 他には、何もなかったのですか?
失った事で、代わりに得たものはなかったのですか!? 思い出してください!」
フュフテの懸命な叫びが、それを黙って聞くオスタの胸に突き刺さる。
言葉が刃となって、物理的に刺されたかに見える動きで胸を押さえる男は、内から湧き上がる何かに堪えて、苦しげに面相を歪ませる。
その姿は、自身に封じ込められたものを、思い出す事を必死に拒絶する素振りに見えた。
「それだけが、全てではないでしょう?
変わらなきゃいけない、いつまでもしがみついていては、ダメなんですきっと。
無くしたことは辛い事かもしれないけれど、受け入れないといけない。
じゃないと、一歩も前にも進めないんです」
フュフテとて、何も苦しまずに生きてきた訳ではない。
生まれついての理不尽を、纏わりつく不平等を、理解できない非合理を、変えられない不条理を。
踠き、足掻いて、苦しみ、嘆いて、それでもまだ諦められない。
折れて、崩れて、投げ捨てて、縮こまって、そうして全てに嫌気がさしても。
まだだ、諦めるな、終わりじゃない、これからだ、そうやって自分を奮い立たせてきたのだ。
上っ面で何かを語っても、それは誰にも伝わらない。
賢しらなだけでは、重みなんてこれっぽっちもありはしない。
だからこそ、フュフテの言葉はオスタに届く。
少年の生きてきた苦悩の歴史の重さが、たった一人の男を動かせない訳がない。
「いくら大切なものでも、きっといつかは失う日がくる。
でも、それでも生きなければいけないんです!
あなたは、ぼくたちは、みんなが、誰もがーーッ!」
互いに交わる剣と御影ごしに、熱い眼差しを交錯させて、フュフテの猛々しい雄叫びが、膨大な熱量を込めてこの碧の空間に木霊する。
反響する熱意の渦は、対面のオスタだけではなく、それを二人から離れた場所で胸を押さえて聞いているビチリーをも巻き込み、この場に深く浸透していった。
ぜいぜい、と、気持ちを込めすぎて息が乱れたフュフテの呼吸音だけが、静かな沈黙の場に落とされる。
言うべきことは言い切った。
あとは、この男がどう受け止めるかだーー。
次第に落ち着いてきた息をしっかりと整えて、少年は男の様子を伺う。
しばし面を伏せて、組み合ったまま沈黙を貫いていたオスタだったが、
「言いたいことはそれだけか......ッ!? やっぱり、お前には分からねえか......。
......いや、お前が言う事は、きっと正しいんだろうさ。......だがなッ!
それなら、この苦しみは、何処に持っていけばいいっ!?
生まれた憎しみを、失くした命を、全て忘れて、無かった事にして生きろってのか!
......そんな事は出来ないッ! 俺には、それが全てだったんだ......他には、何もいらなかった......」
地の底から這い出す亡者にも似た、低い音量で絞り出す声音は震えを帯びていて。
たった一つの家族を想って生きる男の葛藤が、少年の説得に呼応して、表に曝け出される。
男にとって、受け入れる事はとても残酷なことなのだろう。
フュフテの言葉は、凝り固まっていた男の芯に深々とねじ込まれて、先端を確かに届かせることが出来た。
しかし、それでもなおーー、
「俺には、どうやっても受け入れられねえ......。奪った奴がのうのうと生きている事が、どうやっても許せねえんだっ!
だから、殺す! この世から消滅させてやる! 俺に先なんて必要ねえ!
復讐こそが全て! そのために、俺は生まれたんだッ!!
この答えは変わらねえ! 変えさせはしねえ! 邪魔するってんなら、お前諸共叩っ斬るまでだ!」
男の意思は変えられない。
変わる事を良しとするには、男は憎悪に濡れすぎていた。
再び戦意を復活させて、鍔迫り合いから攻撃へと移るオスタと、それを事も無げにあしらう安定のダブル御影を眺めながら、フュフテはしみじみと述懐する。
ーーやっぱり、自分には無理だった。
さすがに、童貞がどうとか、そういう事はよく分からない。
一応頑張って、自分の一番大事な者たちーー母のニュクスやニーナの姿を、童貞と置き換えて想像してみたのだが、それでも駄目だったようだ。
どうやら、もっと重要度が高いものであったらしい。
そもそも、童貞って一体何なのだろうか。
童貞とは、それを失って初めて分かるものなのか?
と言うことは、童貞である内は、童貞とはどういう状態か実感出来ない、という事でもある。
童貞を知りたくば、童貞を捨てよ。
なんだ? これは禅問答か!? ーー。
考えれば考えるほど深みにはまっていくフュフテをよそに、オスタと御影の乱戦はどんどんと苛烈さを増していく。
激しさを伴うオスタの乱撃は、自身の存在意義をありったけ注ぎ込んで、御影氏に襲いかかっている。
しかし、皮肉なことにオスタの全身全霊を込めた剣技は、御影草という只の草を突破できない。
なんの主義主張も抱かない無生物に行く手を阻まれるその姿は、運命という感情を持たない障害に翻弄される様を暗示するかに見えた。
「がはぁっ......!」
疲労の極致に至ったのか、遂に動きの鈍ってきたオスタの顎を、御影フレイルが強烈に打ちぬく。
目の焦点を失ってよろめき、無防備を晒した胴体に、この攻防で一番の威力を秘めた大打撃が、ツイン御影から繰り出された。
「おぶっーーッ」
ドゴンッーーという重た過ぎる衝撃音がフュフテの目の前で鳴ったと同時に、潰れた声を上げたオスタが面白いように吹き飛んでいく。
(やり過ぎでしょ......御影さん......)
それを呆然と見送るフュフテだったが、オスタが遥か遠くへ飛んで行き、壁に激突した後、落下した地点を見て、嫌な予感に全身を支配される。
オスタが白目を向いてうつ伏せに倒れる場所は、グググ先生が『絶対に採取してはならない』といった、最奥に群生する、光る草達のど真ん中であった。