第21話 『難聴系男子』
目は口ほどに物を言う、という言葉がある。
人の感情、いわゆる喜怒哀楽といったものを、最も顕著に表す場所が目であることから使われる語句であるが、今のオスタの目を見れば誰もがその正しさに納得するであろう。
憎しみをこれでもかと詰め込んだ黄の瞳は、口という器官から音を発しなくても、十分に彼の負の感情を伝えてくれる。
本来それを向けるべき相手は、床にへばり付く丸出しの少年ではないのだが、オスタにとって悲願とも言うべき断罪の瞬間を邪魔されたことは、相当に腹立たしい事だったのか。
憎っくき仇であるリティリーに向けるのと同レベルの眼差しを浴びて、フュフテは心臓がきゅっと縮み上がるのを感じた。
「どうしてですか......オスタさん。なぜ、リティリーさんに剣を向けるんですか......?」
オスタに、「お前は関係ないだろう」と先程言われたが、仲間とはいかずとも同行者として事情を聞くくらいの権利はあるんじゃないか? と思いながら、燻る尻の痛みに耐えてフュフテは身を起こす。
恐る恐るといった様子で問うてくるフュフテに、苦虫を噛み潰したかのように顔を歪めながら、
「へっ......聞きたいか? それはな、この女が殺されて当然の事をしたからだよ。ああ、コイツは死んで当然だ!」
話す内に怒りが込み上げてきたのか、オスタは立ち竦むリティリーへと視線を投じて声を荒げる。
オスタの感情をぶつけられたリティリーは、神妙に面を伏せて、ただじっと足元を見つめており、その様子は彼の言を全て肯定するかに見えた。
「フュフテ、お前に分かるか? 大切なものを奪われる事が、本来あるべき道程を、あっさりと失う事がどれだけ辛い事か、お前には分からないだろう!」
そんな殊勝な態度のリティリーの姿も、オスタの気に触り、怒りを助長する原因となっているのだろう。
フュフテに投げかける形をとりながらも、オスタの目線は憎々しげに彼女を捉えたままだ。
(ドウテイ......? なんの話だ? 奪われるって......えっ......そういう話? いや、まさか......)
違う違う、そんな筈はないーーそう思いつつも、オスタの聞き逃せない一言に動揺するフュフテの頭には、とある変態狂信者の姿が浮かび上がっていた。
思い出したくもないが、以前フュフテに欲情してきた、かの聖職者は確か、異性との交わりを禁ずる戒律で縛られた宗派に属する者であった。
レアオス教と対をなす、アシュレ教と呼ばれるその宗派は、純潔を守る事を最上の美徳としている。
つまり、男であれば童貞である事が、何よりも大切なのだ。
もしや彼も?ーーと思ったフュフテが、
「その、オスタさんにとって、ソレはとても大事なものだったのですか?」
「ああ。何よりも俺にとって守るべき、大切なものだった......。俺の、唯一の居場所、それを、失った......」
確認のために尋ねると、オスタは見てるこちらが胸が張り裂けそうになるぐらい痛々しい表情で、苦しげに声を漏らす。
「破門されたのか!」と、内心でびっくり仰天のフュフテを置き去りに、
「この女は、何の躊躇いもなく、ひと突きに、俺の全てを奪った......ッ! 許せる訳がない!
何も知らないお前には、コイツが清楚だの清廉だのに見えるかも知れねえが、中身はただのクズだ!
クズ女なんだよコイツはっ!!」
ぶるぶると身体全体に怒りを蔓延させて激昂するオスタが、左手の人差し指をリティリーに向けて、勢いよく吐き捨てる。
真っ直ぐに差された指先を追いかける、
(嘘だと言ってよ、リティリーさん......)
というフュフテの懇願の視線を受けた彼女は、自分を見る二人の眼を見返し、一度ギュっと下唇を固く結んだ後、力なく吐息を漏らし、懺悔の言葉を口にした。
「彼の言う通りよ......。私は、私の欲望のために、彼の大事なものを奪ったわ。
あの時の若い私は、我慢がきかなかった、色々とね......。本当に、救いようのないくらいに......」
リティリーの声音は悔恨に満ちており、それがより一層の真実味を増して、語られる内容に重みを与える様に、フュフテはまるで彼女に裏切られたかのような錯覚を覚える。
ーーなんてことだ。
まさか、彼女がそんな女性だったとは。
嘘だったのか。
あの、聖女の如き眼差しで優しく頭を撫で、抱擁までしてくれた、あの清らかさに満ち溢れた慈愛の姿は、単なるポーズにすぎなかったというのか。
恐ろしい。
これが俗に言う、ビッチというやつか。
リティリーは、ビッチだった。
合わせて、ビチリーだ。
襲いかかるショックの大きさに、ヨロヨロとたたらを踏む少年に、
「それだけじゃねえッ! この女だけじゃなく、コイツの仲間もだッ!」
まだまだこれで終わらせはしないとばかりに、オスタの叫びが追い打ちをかける。
「仲間の男はな、俺の親父をヤりやがった......卑怯にも、後ろから貫いたんだ......ッ!
そのせいで、親父は......死んだ......。無念だったろうさ、あんな風に、果てるなんて......ッ!!」
(お父さんも!? え? それで死んだの? ていうか、果てるって......ええっ!?)
父親の非業な死を思い出したのか、鬱血する程に剣の柄を強く握りしめるオスタの悲憤に当てられて、フュフテはますます混乱に拍車をかける。
ーー尻を貫かれた父親。
なるほど、それで命を落としたとなれば、相当に無念であっただろう。
フュフテも、尻を攻撃される痛みをよく知るものである。
しかし、それで死ぬのは御免であるし、間違っても果てるなど考えられない。
その二つを同時に、しかも男相手に味わされたオスタの父親の苦しみは、想像を絶するものに違いない。
オスタが復讐したいと考えるのも、当然というものだ。
しかし、えらいことになった。
これは、痴話喧嘩どころの話ではない。
完全なる修羅場だ。
あまりにも内容が濃すぎて、はっきり言って付いて行けない。
こんなものに巻き込まれてしまうとは、本当に勘弁して欲しい。
どこか、他所でやって下さいーー。
どこまでもズレた感想を抱く、全くもって見当違いな考えで二人に挟まれる耳年増な少年、フュフテ。
そんな彼を一瞥したオスタは、
「これで分かっただろ? 俺がこの女に剣を向ける理由が。復讐のために生きてきたこの苦しみが。
そうだ......さしずめ今の俺は、『復讐の道程』といった所か。たが、ここでそれは終わる。終わらせるッ!」
お喋りはここまでだ、と、手にした剣を正眼に構え、全身に禍々しい殺気を纏わせる。
邪魔をするならば容赦はしないーーそう、男の吊り上がった瞳が、雄弁に語っていた。
「もう童貞じゃないだろ」と言いたい所をぐっと堪えて、フュフテは目の前の男が、いつ動き出しても対応できるように腰を深く落として身構える。
相手は防具を身につけて、武器まで所持する一端の剣士。
かたや素手な上に、防具どころか下着すら身につけていない半裸の少年。
いくらフュフテに魔法という武器があり、多少の徒手空拳の心得があるとは言え、丸腰では余りに不利な状況だ。
おまけにビチリーに助けを求めようにも、憔悴して成り行きに身を委ねるビチリーは、有り体に言って役に立たず、そんな様子を見てフュフテは珍しく舌打ちを鳴らす。
実は、フュフテはビッチが嫌いなのだ。
それ故に、ビチリーへの態度が少々冷たくなってしまう。
その理由はーー、いや、理由は確かにあるのだが、今はそんな事を呑気に語っている場合ではない。
ただ、たとえビッチであったとしても、フュフテはビチリーを見捨てる気はなかった。
それとこれとは、話が別。
これしきのことで、信念が揺らぐほど、少年は意志薄弱ではない。
貫く男、フュフテ=ベフライエンなのだ。
なにか、男の剣を防げるものはないかと、せわしなく動くフュフテの瞳が、視界の隅にあるものを捉える。
「があああ!」
と、同時にオスタが間合いを詰め、気合いの篭った雄叫びを上げながらフュフテに切りかかった。
斜め上から風をきる斬撃は鋭い。
充分に修練を積んだ者が放つ事の出来る一刀。
体捌きに劣る魔法使いなど、軽く一刀両断にして当たり前。
だが、それは普通の魔法使いが相手の場合だ。
振り切られる刃筋を完璧に目で捕捉するフュフテ。
低めに構えていた姿勢を更に深く沈ませると、頭上で空を斬って獲物を逃した剣を視認して、オスタの足元の地面に、自身の両手と左足をつく。
地面擦れ擦れに、右手、左手、左足の順にタタタッ、と三点で支える軸を中心に、低空で時計回りに旋回する右脚が、捻りを加えて強烈な回し蹴りを男の右脇に炸裂。
細身な上に軽重の少年であっても、遠心力に乗った蹴撃は重く、オスタの脇腹に鈍痛がはしる。
が、その体を吹き飛ばすこと叶わず、オスタの反撃が少年に向かおうとするが、その時にはすでに威力を失った右足を自ら蹴って、フュフテは目的の場所へと地を転回していた。
オスタから五、六歩離れた位置で停止した少年は、最初からそれが目当てだったのだろう。
地面に転がっていた、二つの煤けた物体を、フュフテはそれぞれ両手にむんずと掴み取る。
ーーその物体の形状は、武器というにはやや頼り無さすぎた。
というよりも、誰が見ても、それは武器ではない。
所々に黒い汚れのついた花びらは、元の美しさを失っているが、それが却って野生的な輝きを帯びている。
少年の手が握り締める茎は、そんじょそこらの草花とは一線を画して太く頑丈に。
フュフテが手にしているのは、植物だ。
恐らくは、地盤ごと吹き飛ばす大爆発に巻き込まれて、ここまで飛ばされてきたものであろう。
果たして、そんなものが、何の役に立つというのか。
現に、目の前の剣を持つ男は、訝しげな表情で少年を見つめている。
なんのつもりだ? 気でも狂ったのか?ーーと。
だが、少年は知っている。
これが、そこらの植物と同じではない事を。
バサバサと揺れる凶悪な葉っぱの下には、何よりも硬い鋼の如き根っこが隠されている事を。
一度、命がけで戦った相手だからこそ、彼の強さを身にしみて理解しているのだ。
(ーー行きますよ! 御影さん達ッ!!)
一人相手に苦戦した強敵を、今度は二人も両手に鷲掴んで、フュフテはライバルの力を強制的に借りて、戦場へと果敢に突っ込んだ。