第20話 『熱き闘い』
いざ、リティリーを救うために行動を、と思ったフュフテだったが、その動きは当然のように阻止される。
誰にーーというのは言うまでもない。
御影氏だ。
彼は、フュフテの考えなど意にも介さない様子で、平然と尻に熱を注ぎ込み続けている。
御影氏にとって大切な事は、目の前の患者を治す事、それのみなのだ。
本来であれば、治療をして欲しい患者と、治療をしたい医者。
互いの利益は一致を見せ、両者の互恵関係が保たれたのであろうが、今は様相をガラリと変えてしまっていた。
治療をしたい医者と、全力でそれを拒絶する患者、といったところか。
(離してくださいッ! 御影さん!)
心の中で叫び声を上げながら、尻から葉っぱを剥がそうとするフュフテだったが、御影氏の意志は固く、一向に手を離してくれる様子はない。
渾身の力を込めて尻を前に進めようとしても、まるでビクともしないのだ。
尋常ではない、力強さだ。
本当にこれは、植物なのだろうか。
ならば、と、フュフテは御影氏の根元に手をやり、根っこから引き抜いて脱出を試みる。
しかし恐ろしい事に、フュフテが手に掴んだ根は鋼の如き硬さで、大地と一体化しているのではないかとさえ思える位、しっかと地に根を張っていて、一寸すら動かす事も不可能であった。
即座に、これは無理だ、と悟ったフュフテは、なんとかして尻から葉っぱを引き離す別の方法を考える。
(やっぱり、ここは魔法しかない......ッ! でも、出来るだろうか......?)
もちろん、フュフテの魔法の発射口が尻の穴、というのは言わずもがなだ。
それが現在、御影氏の手で尻穴に封をされている、そういった状況にある。
みっちりと隙間なく塞がれてしまっている以上、このままではまともに魔法を放つ事は出来ないであろう。
もし仮に、この状態で、葉っぱを吹き飛ばすために風の魔法を使ったとしよう。
そうすると、魔力から形を変えた風魔法は出口を見失い、フュフテの尻の中で、行き場を失った力を解放するに違いない。
結果、尻を内側から破裂させた少年がひとり、世に生み出される事となる。
普通に死んでしまうだろう。
(死因が暴発とか、笑えない......)
起こりうる情景を想像して、あまりの悲惨さに身震いをする少年は、なんとかして他に脱出する手段がないか、頭をひねって抜け道を探す。
ウンウンと唸り、頭を悩ませるフュフテだったが、遂にひとつだけ危険な方法を思いついてしまい、そのリスクの高さに辟易しながらも、覚悟を決める。
失敗すれば、自分が死ぬ事はないかもしれないが、お尻は死ぬかもしれない。
そんな、危険過ぎる覚悟を。
ーー精神を集中するために、固く瞼を閉じる。
大きく息を吸い、この洞窟内に満ちた濃度の高い魔素を十全に魔臓へと取り込み、それを変換して尻の発射口の一点に魔力として蓄積していく。
通常であれば、ここで魔力から魔法現象へと移行して、魔の奇跡を行使する。
だが、それをしない。
それをすれば先ほども言った通り、尻の中で、パンッ!ーーだ。
魔法の種類によっては、ジュっとしたり、ビチャっとしたり、ゴリっとしたりするかもしれない。
フュフテは次々に魔力を尻口へと送り込んでゆく。
指向性を与えられていないそれらは、膨大なエネルギーを保ったまま、どんどんと尻の中で密度を増していく。
その量は、はっきり言って異常だ。
彼自身に自覚はないが、フュフテが扱える魔力総量は、実は規格外に多い。
何故ならば、師匠ニュクスのキチガイ染みた特訓のせいで、齢12にして、平均的魔法士の70年分の訓練をやらされてきたからだ。
それも、魔力を増やす、使う、という基礎訓練のみを。
ハッキリ言って、そんなアホみたいな事をした魔法士など、歴史上誰一人として存在しない。
余談だが、魔法の訓練を行う上で、最も重視されるものは、安全性だ。
精神が多大な影響を及ぼす魔法という存在は、軽々しく扱っていいものではなく、未熟であれば尚更、万全の体調・精神状態で行使すべきものである。
当然、初心者のうちは一つ一つゆっくりと、確実に魔法の基礎を修めていき、決して無理はしないように、と言い含められる。
そうして、多くの時間を費やして一通りの基礎訓練を終えたのち、その発展である魔法操作や戦闘訓練といった、より実践的分野へと移行する。
これまたじっくりと、安全性重視で、時間をかけながら。
それが、一般的と言われるレベルの、魔法士の育て方である。
間違っても、どっかの尻に問題を抱えた少年のように、死にかける事などまずあり得ない。
如何に、ニュクスの訓練が常軌を逸したものであったかが、窺い知れるであろう。
もっとも、より正確に言うならば、ニュクスはフュフテを育てようとした訳ではなく、潰そうとしたのだ。
魔法士になる道を諦めさせるために、安全性など度外視の、命の危機を覚える程に苛烈な方法で。
ニュクスにとっての誤算は、フュフテがそれを普通だと思い込み、死にかけながらも懸命に食らいついてきてしまった、という事に他ならない。
そうして出来上がったのが、膨大な魔力量に任せてひたすら魔法をぶっ放すだけの、固定砲台とも言うべき技術ゼロの歪な魔法使い、フュフテ=ベフライエンだ。
(くっ......! き、きつい......ッ! もってくれよ、僕の、お尻っ!!)
未だ嘗てない量の魔力を尻にかき集めるフュフテの首筋に、じんわりと脂汗が滲み出す。
身体にかかる負荷が相当に辛いのか、苦悶の表情で歯を強く噛み締める少年は、必死の形相だ。
絶大なエネルギーを蓄えた尻は、その力を逃すまいとぶるぶる激しく振動し、その秘孔からは、ビビビビビビビビビーーという、威圧的な異音が鳴り響いている。
そんな、患者の容態の急変に、医師である御影氏は驚きを隠せない。
しかし、彼にも医者としてのプライドがあるのだろうか。
尻に当てた一葉以外の、他の葉っぱをザワザワと慌ただしく蠢かせた後、それをフュフテの尻に差し向けた。
もはや、一刻を争う事態だーーとでも言うかのように。
どんな事があっても、患者のために全力を尽くす。
それが、「名医」というものなのかもしれない。
名医、御影だ。
名医の研ぎ澄まされた葉っぱが、暴れる患者の患部に、より一層の熱量を注ぎ込む。
彼の魔力に近い性質の熱が、葉の維管束から液体を運搬するに似た形で、次々と尻穴注入されていく。
ーー互いの熱量が、熾烈な勢力争いを繰り広げた。
これはすでに、医療行為という枠には収まらない。
己の決意を成し遂げようとする少年と、名医の名にかけて治療を完遂しようとする医師。
互いの誇りをかけた、熱き闘い。
(っ! やった、予想通り! 今しかないっ!)
そんな名医御影の姿を見て、フュフテは自身の予想が外れていなかった事に安堵し、勝利の予感に拳を握りしめる。
そのまま、決壊寸前に留められた増水する河川の堰をきるかのように、尻に貯めた全ての魔力を、御影氏向かって叩き込んだ。
密着した事で逃げ場のない魔力は、唯一と言っていい通路である御影草の葉の葉脈に襲いかかり、漏れ出る熱を押しのけて御影氏の体内へと侵入を開始する。
すると、あっという間に尋常でない量の魔力を注ぎ込まれた御影氏は、破裂寸前にまでその身を膨らませ、その異常な自身の容態にフラつきはじめる。
何があっても半日は外れぬといわれる葉っぱを、遂に尻から浮かせてーー。
(とどめだーーッ!!)
尻から葉が離れたとはいえ、また別の葉ですぐに塞がれては堪らない。
葉っぱが離れた一瞬、今この瞬間に、トドメを刺す。
フュフテの尻から流れ出る魔力の、最後の一握り。
今から御影氏に入り込もうとする、最後尾の魔力に指向性を与える。
あらかじめいつでも発動できるように、構築しておいた火の魔法構成をそこに上書きして、魔法現象として現出させた。
(さようなら、御影さんーー!)
ーー直後に訪れる、天地を揺るがす大轟音。
弾け飛ぶ葉っぱ、燃え上がる茎幹、火を噴き出す花弁、巻き込まれるお尻。
フュフテが発動させた火魔法が、この世に生み出されると同時に、自分に連なる魔力をエネルギー源とし、御影氏の体内で爆発を引き起こして、彼を大炎上させた。
すでに全魔力を放出しきっていたフュフテに引火する事はなかったが、零距離で隣接している尻に被害が及ばない筈もなく、周囲に飛び火する爆心地から大きく吹き飛ばされて、弾丸の如きスピードで少年は空中に打ち出される。
偶然にもフュフテが発射された先には、剣を振り下ろす事に全神経を集中させたオスタの背中。
異変に気付いて振り返る彼は、尻を燃やして接近するフュフテの姿に大きく目を見張り、迎撃を試みる。
が、その余りの速度に身体の反応が間に合わず、痛そうな激突音を奏でて、二人は洞窟の固い岩床に身を打ち付けた。
「ぐっ......」
打ち所が悪かったのか、オスタは鳩尾を押さえて詰まった声を上げるがすぐに身を起こし、立ち上がろうと片膝を付いて、険しい顔をしながらフュフテを睨みつけている。
対する弾丸少年は、プスプスと尻から黒い煙を上げて、半べそをかいていた。
一連の行動の結果、無事リティリーを守る事はできたのだが、その代償は大きく、フュフテは自分のお尻を守る事はできなかったようだ。
ともあれ、最悪の事態を回避できた事に、フュフテは涙目になりつつも一安心する。
リティリーの危機に間に合った事も当然だが、御影草からの脱出方法が上手くいった事が、何より。
唯一の危惧は、御影草に魔力が通らない可能性があったという点だが、何となく治療の熱が魔力的な要素を含んでいた事から、成功の公算は高いと踏んでいた。
そして、尻に入る熱量が増した事で、その感覚は確固たるものとなり、予想が確信に変わったのだ。
万が一駄目だった場合、恐ろしいことになっていたのだが、結果オーライだ。
「なんのつもりだクソガキ......。てめえには、関係ねえだろうが......」
じんじんする尻を抱えて床に転がるフュフテの耳に、剣呑な声がかけられる。
恐々とそちらに頭を向けると、膝に力を入れて立ち上がった男が、言葉の端々に苛立ちを滲ませて、尖った眼差しで少年を射殺さんばかりに見下ろしていた。