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無題  作者: ナナシ
第2章
37/102

第15話 『過日の咎 Case:R -1』

 

 《Sight:リティリー》


 ふと気がつくと、リティリーの視界は、訳の分からない状態となっていた。


 目に映るのは、石造りの家々、敷石で舗装された通り、すれ違う人々。

 どう見ても、何処かの見知らぬ街並みの風景だ。

 それらが、なぜか次々と後ろに流れ去ってゆく。


 体は全く動かす事ができない。

 瞬きさえも不可能。

 まるで、金縛りにあったかのような事態で、目線だけをキョロキョロと動かしながら、順送りに前へと進んでいく事だけが分かる。


(これは......走ってるの?)


 そう、リティリーが思った理由は、自分の耳が正常に音を拾っているらしい、という事に気付いたからに他ならない。


 今いる場所は、住宅地の路地のひとつであるようで、過ぎ去る際に、井戸端会議をする女性たちの話し声や、はしゃぐ子供逹、キリキリ石畳と摩擦音を立てる荷車など、ささやかな騒めきが入れ替わり立ち代わり耳に入り、遠ざかってゆくからだ。

 なにより、断続的に続く、他人のものと思うには余りにも近すぎる息遣いが、間近で聞こえ続けている。

 視界に映る前髪と鼻先らしきものに加えて、チラチラと目の端に入る細長い手足。

 全てひっくるめて、今の自分の状況を知る判断材料となった。


 これらから導き出される答えは、自分が誰かの中に入ってしまっているのではないか?ーーというものである。


 なぜこんな事になっているのか、リティリーには全く理解できない。

 当然、先程まで自分の側にいたオスタとフュフテの姿も無く、ここは御影草のある洞窟内ですらない。

 薄暗さとは真逆の、真昼間の明るい街中にいるのだ。

 

 頭上で照らす日光によって熱せられた地面から陽炎が上がり、遠くに蜃気楼さえ生まれる陽気の中、ひたすらに疾走する身体に入って、ただ景色を眺めているという現況。


 やはりあの魔石は転移の罠だったのか、と一瞬考えるが、こんな誰かの体内に飛ばされるなど、聞いた事がないしあり得ない。


 混乱の最中にありながらも、努めて冷静であろうとするリティリーだったが、突然女性の甲高い叫び声が、街中の喧騒を切り裂いて耳に飛び込んできたため、意識を全てそちらに持っていかれた。


 視界を共有する身体の持ち主もそれに気付いたようで、急激に走るのをやめ、悲鳴の上がった後方を振り返る。

 立ち止まった瞬間に、ぶわっと熱気が立ち込めて、熱さが込み上げるのをリティリーは感じた。

 どうやら、五感をすべて共有しているようだ。


 走り続けていたせいか、停止した事で一気に汗が吹き出して、身体が燃えそうに熱くなる。

 軽装とはいえ、そこそこの重量の鉄の胸当てと長袖なんて着たまま走れば、この暑さで汗だくになるのは必然というもの。

 この身体の主は、何を考えてこんな格好をしているのか。


 一向に操作する事のできない五体のせいで、汗を拭うこともできず苦しむリティリー。

 そんな彼女など全く感知せず、身体は声の方へと向きを変えて、景色を置き去りにする速度を増しながら、目的地へと全力で駆けてゆく。


 何をそんなに急ぐのか、と疑問に思うリティリーだったが、不意に違和感を感じた。

 徐々に慌ただしい雰囲気の現場が近づくにつれて、リティリーの中の何かが、急に警鐘を鳴らし始める。


 ーーだめ、これ以上、近づいてはいけない!


 意識の奥底から湧き上がる焦燥に戸惑うも、自由のきかない身体は、一刻も早く現地に辿り着くため、勢いを落とさず走り続ける。


(なぜこんなにも、嫌な予感がするの......? 違う......私は、きっと知っている......!?)


 ーーあるわけが無い、そんな筈はない。


 忘れたはずのーーいや。

 忘れられずに、思い出さぬよう厳重に封をしたはずの、苦々しい記憶がゆっくりと蓋を開け漏れ出した。


(止まって! 行かないで!)


 リティリーの、声にならない必死の叫びは体に全く伝わることなく、街通りを駆け抜ける人物は遂に舞台へと足をかけ、事件の渦中へと飛び込んだ。

 そこで目にした光景を前に、リティリーは絶句する。


 行き着いた先で上映されていたのは、彼女にとって最も忌避する、忌まわしき過去の情景であったーー。



 まず真っ先に目に入るのは、抜き身の剣を幼い少女の首筋に当てる、壮年の男の姿だ。

 三十代半ばの剣士くずれの男は、それが自分の生命線であるとでも主張する体勢で、少女を胸に抱き寄せている。

 隈の浮いた目をギラギラと血走らせ、追い詰められた表情で息を荒げているのは、ここまで何かしらの逃走劇を経たせいであろうか。


「近寄るな! コイツを殺すぞ!?」


 左腕でガッチリと、少女の細く未成熟な胴体を拘束する男は、口から唾を飛ばして二人の追跡者に脅しをかける。


(ああ......そんな......嘘よ......だって、あの二人はもう......)


 少女を人質に取る男と向かい合う二人の男性の顔を見て、リティリーは悔恨で泣きそうになり、思わず両手で顔を覆おうとするが、強制的に四肢の自由を奪われた今、自ら視界を塞ぐ事は許されない。


 彼らは、以前のリティリーのパーティメンバーだ。

 探索者として駆け出しの自分を育ててくれた恩人でもあり、大切な仲間たち。

 そして、もうこの世にはいない者たちでもある。


 ここまで来れば、流石にリティリーも今見ているものが、過去に起こった出来事である事に気付くと同時に、この身体が誰のものかも悟る。


 これはーー自分だ。


 八年前の、無思慮で根拠のない自信に溢れた、若い自分の身体の中に入っているのだ。

 剣の才能に胡座をかき、実績も無いくせに自分には何でも出来ると奢った、愚かで哀れなリティリーという名の少女。


 彼女は、今から現実を知り、一生拭うことの出来ない罪を背負う事となる。


 過去のリティリーの仲間である二人、リーダーの大剣使いと弓士の男は、捕らえられた人質のせいで迂闊に動く事が出来ず、機を伺っているのか只々暴漢と向き合うばかりだ。


 彼らの視線の向かう先には、くすんだ黄髪の十歳前後の少女が、胸を締め付ける腕の強さに苦悶の表情を浮かべている。


「い......もうと、を......はな......せ」


 その足下から、息も絶え絶えな、か細い声が上がった。

 見ると、質素でお世辞にも身綺麗とは言えない汚れた格好の少年が、うつ伏せに地面に倒れており、必死の形相で剣士くずれの男を見上げている。

 鼻の周りを赤く濡らし、唇から血を垂らしているのは暴行を加えられたせいだろうか。


「うるせぇッ! 黙ってろこのガキャあっ!!」


 耳障りな罵声と共に、非情な足蹴りが少年の横腹に見舞われ、鈍い音とくぐもった呻きが人通りの減った路地に落とされる。


「お兄ちゃんっ! うっ!」


「モ......二......」


「動くなガキぃ! おらてめえら! さっさと武器捨てて、馬車持って来い! コイツがどうなってもいいのか!?

 俺はいいんだぜ? こんな薄汚え小娘、死のうがなんとも思わねえからなぁ!」


 醜く口端を歪めて愉悦に浸る男は、反射的に兄に飛びつこうと動いた少女の首に腕を回し、抵抗できぬようキツく締め上げた。


 このまま男の要求を飲んで、リティリーの仲間二人が武器を手放したとて、あの男が人質を解放する保証など何処にもない。

 いや、確定的に無防備になった二人を斬り捨て、すぐさま逃走を図るであろう。

 どうすればこの状況を打開できるのか、分からない。

 手詰まり、といってもよい。



 ーーと、普通ならば、そう思うだろう。



 だが、事実は違うのだ。

 目に移るものだけが、決して真実ではないのだ。

 今ならば、リティリーには分かる。


 なぜ、腕利きである二人が、人質がいるとはいえ、さして実力があるとは思えない男の要求を黙って聞いているのか。

 なぜ、刃物を突きつけられている筈の少女が、苦しそうにしているだけで、恐怖に怯えていないのか。

 なぜ、地に伏す少年は、殴られた痕があるだけで、剣による切り傷がひとつもないのか。

 なぜ、あの男は、あんなに痛みを堪えた眼をして、少年少女を見つめているのか。


 気付く要素は、いくつも転がっていた。

 それでも気付けない。

 いや、気付こうとすらしなかった。


 それだけ、自分の事しか考えていなかった。

 自分なら、この状況を簡単に解決できると。

 あんな雑魚など華麗に叩き斬り、自身の万能性を示し、己の評価を上げようとして。


 傲慢に冒された若い女剣士が、腰の細剣をシャラリ、と鞘から抜き放つ。

 男の背後に距離をあけて立っているため、未だ存在に勘付かれていない。


(やめなさいッ! あれは違うのッ! あんたの思ってるような、そんなんじゃないのッ! 聞いてッ!)


 喉も枯れんばかりに上げたリティリーの大声は、やはり彼女には届かない。

 それが解っていても、リティリーは彼女を静止するのを止めなかった。

 止めることが、できなかったのだ。


 身体が深く沈み込み、次に足で大地を蹴る感触を感じた。

 一瞬で肉薄する男の背中。

 男が背中越しに振り返り、即座に迎撃態勢をとる。

 どうやら、それなりに戦闘経験はあるらしい。が、


「ぐあっ!」


 鋭い突きを男の右太腿に繰り出し、即座に引き抜く。

 男が激痛に叫びを上げ、態勢を崩し、人質が腕から解放された。


 ーーほら、大したことない。


 そう言いたげに目を細め、口許を吊り上げる彼女の顔は、まさに驕慢。

 傲岸不遜甚だしいその態度は、いっそ見る者に嫌悪さえ感じさせる。


 あとは、心の臓にひと突き。

 それでお終い、万事解決だ。

 後方に剣を振り絞り、右手首を捻って、とどめの突きを放つとーー、


(やめてええぇぇーーーー!!!!)


 リティリーの絶叫と同時に、ずぶり、と肉を貫く感触が、右手に重くのし掛かった。

 対象の細い首筋から、どろりと朱が染み出す。

 信じられないものを見たように、不遜な女剣士の目が限界まで見開かれた。


 ーー首? 胸を狙ったはず......なにが......え......。



「パパ......に......げ............て......」



 傷口から漏れる空気と喉にこもる血液のせいで、絞り出された少女の声は、ひどく聞き取りづらく消え入りそうに小さい。

 にも拘わらず、不思議と耳の奥底まで浸透する声音は、強固な意志の中に微かな安堵の色を湛えている。

 最後に紡がれたその言葉は、少女が身を挺して庇った男の、前途を案じるものであった。

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