第14話 『悪魔の仕掛け』
「しっかし、なんでこんなに寒いんだ? 視界もよくねえし、うす気味わりいな......」
「たぶんだけど、この洞窟を構成する石が、熱に強い変性岩なのかもしれないわ。
御影草自体が、湿気の多い寒冷地に植生するものだし、これくらいが適温なんじゃない?」
肌を刺す冷気の中で、その身に鳥肌を立たせて胴ぶるいをするオスタに、手のひらサイズの灯りの魔道具を掲げて、窟内を照らすリティリーが推察を述べる。
恐らく、妹の治療に必要な薬草を得るために、御影草の特性を良く知ることは当然必要な準備であったのだろう。
続けて口を開く彼女は、
「御影草は、死者を呼ぶ霊草、とも言うらしいし。あまり陽気な場所にあってもおかしいでしょ?
あれ、もしかして怖気づいたの、オスタ? 怖いなら、戻って待っててもいいけど?」
ついさっき彼に冷やかされたお返しとばかりに、口辺に嫌味たっぷりの微笑を浮かべて、真横に並ぶオスタに首だけを向ける。
「なんだ、根に持ってんのか? ......悪かったよ、そんな怒んなって。さっきはちょっと揶揄っただけだ。
ほら、先に進もうぜ。こんなとこ、あんまり長居はしたくねえ」
自分の一言で同行者を怒らせていた事に気付いたオスタは、傾斜に加えて湿気で滑りやすくなっている濡れた足元に気を付けつつ、人が三人並べば塞がってしまうくらいの狭い通路を、逃げるようにスルスルと下る。
洞窟の内外の気温差によるものか、空間に充満する白い霧のせいで、魔道具の光は空気中の微小な浮遊水滴に反射してしまい、非常に見通しが悪い。
一寸先は闇、とまではいかないが、本当に何があるか分からない以上、普段以上の警戒を怠る訳にはいかない。
軽口を叩き合ってはいても、意識を周辺に飛ばして進む彼らは、自身が持つ経験から油断が一瞬で死に直結するという事を、嫌という程理解しているのだ。
一方で、こんな状況でも互いに言い争う余裕を持つ、探索経験豊富なオスタとリティリーを背後から追いながら、冒険初心者の少年は、寒さでお尻を凍えさせていた。
(しまった......下着、履いてくればよかった......痛い)
指先が剥き出しの皮編みの履物では寒気を十分に防げず、足先からの冷えに加えて、なにより下に何も身につけていないというこの状況は、ただの自殺行為としか言いようがない。
イアンに感化されたのか、はたまた実利を優先したのか、普段から下半身丸出しで生活する事に慣れきってしまったばかりに、フュフテはズボンを履くという常識を忘れてしまっていたのだ。
決して、変な性癖に目覚めたとか、そういう事ではない。
もちろん、オスタとリティリーという部外者の前では羞恥心があるため、流石にもろ見えであれば秘部を隠そうとしたのであろうが、今着ている暖色の上衣は膝上までの丈の長いものであり、大事な所をすっぽりと覆ってくれている。
そのせいで、最初に出会った際に全てを見られたのだから、多少はいいかなーーと、そう思ってしまったことが、今の苦境を招いてしまっていた。
体の冷えというものは、尻の痛みにとって大敵となりうるもの。
血流が滞ることで、血行が悪くなり栄養がちゃんと行き渡らなくなってしまう。
そのため、お尻周辺の細い血管がうっ血して、症状が悪化してしまうのだ。
現にフュフテは、ズキズキと主張する尻の痛みに耐えて、足を動かしている。
それならば、魔法によって患部を治癒すればよい、と思われるかもしれないが、残念なことに歩きながらの治癒というものは、とても難度が高い。
例えるならば、全力疾走しながら何がしかの料理を口にほうばり、その味について事細かに語れ、と言われるようなものだ。
美味いか不味いかだけなら判断出来るだろうが、素材がどこ産で、どのような調理法によって作られたものかまで、考察するのは至難ではないだろうか。
とはいえ、尻が痛いから歩みを止めてくれ、とは少々言いづらい。
治癒魔法は、明確なイメージを持って、集中して行う必要がある。
どこの患部であれ、完治した状態を明瞭に想像し、それを具現化する、といった方が本質としては近いかもしれない。
もちろん、初級から始まり、中級、上級、特級、絶級、天級、神級と、右に行くほど規模は大きくなり、行使出来る奇跡の数は多くなる。
要は出力の問題だ。
どれだけ理想が高くとも、力が伴っていなければ夢想に終わる、ということである。
尻の酷使による痛みを抱えるフュフテにとって、この洞窟は普通の人とはまた違った意味で、とても難儀な場所だ。
多量の濃霧と身も凍る冷気によって侵入者を拒む洞窟も、まさか尻に問題を抱えた人物が入ってくるなど想定外であろうが、かといって尻を気遣って気温を上げてくれる筈もない。
もしそんな親切設計の洞窟があれば、ぜひともお目にかかりたいものだ。
冷やかしを口にする健常者と、患部を冷やした障害者。
一見しただけでは分からない、複雑な内情をかかえた一行が、着実に進行度を上げていくと、急に視界の開けた小部屋へと突き当たった。
「おい。なんだこの部屋。行き止まりだぞ?」
円形にぐるりと周囲を囲む岩壁には、三人が入ってきた通路以外何処にも進めるような場所はなく、かといって目的の霊草も見当たらない様子に、オスタが怪訝な表情で声を上げる。
「確かにそうね......っ、見て! あれは何?」
部屋へと侵入した途端に薄まった霧をかき分けて、光が照らし出した先には、明らかに目的を持って設置されたであろう紫色の魔力結晶を載せた台座が、この空間の中央に鎮座していた。
簡易な装飾の台座は、丁度成人男性の腰ほどの高さで、直接地面から石臼のように寸胴な身を生やしており、その天辺に暗紫色の大きな結晶を乗せて、部屋の真ん中に陣取っている。
これ以外に部屋の中で目につくものは何もなく、どう考えてもこの魔石に意味があるのは間違いないだろう。
慎重に台座に近寄ったオスタは、異変がないかを確認するため、しばらく無言でじっとした後、
「......どうやら、変なもんが出てくる気配はねえな。どう見る? リティリー」
ふう、と大きく息を吐き、相方の茶髪の女剣士に目だけを動かして、意見を問う。
「そうね。考えられるのは、単純に三つ。
先に進むための仕掛け、そう見せかけた罠、たんなる置物、どれかよね。
仕掛けなら、触ったりすれば何らかの反応はあるでしょうけど、怖いのは罠だった場合ね。
転移でもさせられたら、たまったもんじゃないわ」
悪質なトラップの中には、急に何処か知らない場所へと飛ばされるようなものも存在する。
まともな場所ならばいいが、それこそ地上から遥か遠くの上空や、深い石壁の中なんかに移動させられた日には、成す術なく命を落としてしまう。
そういった種類の転移の罠がある事を知っているリティリーは、慎重にならざるを得ない。
腰に手を当てて、俯きながら思考するリティリーだったが、ふと、裸の竜族に宿った、竜の英霊の言葉を思い出す。
確かあのお方は、「何を見ても取り乱すな」と、そう言っていた。
博識な賢人による忠言の意を汲めば、私たちは何かを見せられる、ということになるのだろうか?
ならば、この魔石が罠であるという可能性は、排除してもよいのかもしれない。
仮にも至高の存在とされる、竜のお言葉だ。
当初目にした、男の娘の衣服を剥ぎ取り、全裸で襲い掛かろうとする変態の言葉であれば、聞くどころか存在諸共、一刀の元に切り捨てたであろうが、実はただのややこしい誤解で、凶器であるはずの棍棒は、まさかの竜であった。
にわかには信じがたい話であり、仮に全裸の男が、「俺の股間は竜だ」と言ったとしたら、只の卑猥な隠語か、自己主張の激しい戯言としか思わなかったであろう。
だが、実際に言葉を発し、尚且つ赤い竜の姿を見せられれば、流石に信じざるを得ない。
発せられた内容も、十分信憑性の高いものであることは、間違いないだろう。
自分の考えに一区切りをつけたリティリーは、
「状況から見て、罠の可能性は低いわ。危険がある可能性は拭えないけれど、確かめてみるしか方法がないのも事実。
それに、私たちはどうしても霊草を手に入れなければならないのよ。やるしかない」
決意を秘めた眼差しで、一歩台座へと踏み出し、意を決して左手の掌を魔石に押し当てる。
が、息を飲むオスタとフュフテ、何があっても即行動出来るよう身構えるリティリーを嘲笑うかのように、魔石は何の反応も示さない。
「......何も起こらないわね。一人じゃダメ、とか? ちょっと、二人もやって見てくれない?」
多人数で同時に起動させるタイプの仕掛けかもしれない、と考えたリティリーは、同行者に協力を求める。
「まじか......よし、やるか」と、気合いをいれたオスタが、リティリーと向かい合う形で左手を。
「僕も? ええっ......」と、かなり嫌そうにおずおずと右手を差し出すフュフテが、二人の間に収まる。
そうして、三人が手のひらを押し当てるも、魔石は一向に反応せず、狭い岩の小部屋には、静かな沈黙が漂うばかりだ。
「もしかして、やり方が間違っているのか?」と疑問を抱いたリティリーが、ものは試しとばかりに微量な魔力を手のひらから放出してみると、
「っ!」
さっきまでただ沈黙に浸っていた魔石の塊が、紫炎の揺らぎを灯して輝き始めた。
「なんだ!? 光ったぞ!」
「魔力を込めてみたら動いたわ! オスタも魔力を!」
リティリーに言われて、オスタが左手に魔力を込めると、魔石はよりいっそう輝きを増す。
その光は美しく、一際大きな燭台となって岩壁を照らす様は、微量に立ち込める霧に乱反射して、きらきらと幻想的な光景を生み出した。
しかし、別に綺麗な風景を見に来た訳ではない彼らにとってそれは重要ではなく、光るだけで何も起こらない様子に、リティリーが最後の一人に声をかける。
「フュフテ、あなたもお願い。魔力を魔石に注いで!」
リティリーの力強い視線を浴びて、フュフテは嫌とは言えない状況に頭を抱える。
この二人は、自分が尻から魔法がでることを、当然知らない。
グググ先生は、別に尻魔法の説明をした訳ではなく、ただ怪しい訓練ではない、と言っただけだ。
何のために尻に刃物を当てていたのか、という疑問は、先生の竜形態でうやむやにされてしまったため、説明の機会はなく、彼女たちも別段気にする事ではないと切り捨てたのだろう。
あるいは、痛みに耐える訓練とでも思ったのかもしれない。
また人前で見せなければならないのかーーと、フュフテは憂鬱な気分になりながら、仕方なく魔石から手を離し、くるりと背を向ける。
「え? どうしたの?」
「おい、フュフテ。頼む、手伝ってくれ」
魔力の放出を拒否されたと勘違いし、慌てるオスタとリティリーには答えず、いちいち説明するより見せた方が早いと思ったフュフテは、
「はぁっ!」
勢いをつけて、両の尻たぶを魔石にぎゅっと押し付け、かけ声と一緒に尻穴から魔力を放出する。
何をし出すんだコイツはーーという視線と驚きの表情を浮かべる二人を包み込むように、魔石はさらに激しい光量を周囲に放ち始めた。
もはや互いの顔も認識できないほどの眩しさで、吹き飛ばされるのではないか、というくらいの光の奔流に思わず目を瞑ると、たった一言、はっきりと重い響きが、頭の中に侵入してきた。
《ーー己の罪と向き合え》
何をーーと問いかける間も無く、三人の意識は、全てを埋め尽くす膨大な紫紺の光に飲み込まれていった。