第4話 『人の話はちゃんと聞きましょう』
「アシュレというのは、今から約二百[ぐぐぐ......]年前に魔都レガラニカで生まれた、一人の人物の名前よ。
彼は生まれつきその身に癒しの奇跡を宿していたの。彼が触れ[へなへな......]ただけで、怪我をした者は傷を癒し、病に苦しむ者は病魔を完治させたわ。
無償で苦しむ人々を救う姿とその奇跡の力を前に、アシュレを聖人と崇める[ぐぐぐ......]ものたちが数多く現れ、その噂は瞬く間に聖王国全土に広まっ[へなへな......]ていった。
時の聖王庁は、アシュレの存在を知るとすぐさま彼を聖王国[ぐぐぐ......]の首都に招き入れ、国民を救う彼の存在に感謝し、全[へなへな......]面的な協力を約束したわ。
それからアシュレは、聖王国各地を周[ぐぐぐ......]る癒しの巡礼の旅に出るの。
国教のレアオス教と共に歩む彼の姿を見た人々は、神レア[へなへな......]オスが救いをもたらすために遣わした御子であると信じて、アシュレを神の子、と崇めたわ。
だけれど、悲劇は[ぐぐぐ......]突然訪れた。
ある時、魔都レガラニカから邪神が生まれ、国中に疫病を[へなへな......]ばら撒き始めたの。
もちろんアシュレも国民を救[ぐぐぐ......]うため、必死に癒しを施したのよ? けれど、病いが広まる勢いは凄まじく、人々は次[へなへな......]々と命を落としていったわ。
聖王庁とアシュレが懸[ぐぐぐ......]命に救ってきた命が、嘲笑うかのように刈り取られていった。
彼は自分を責めて苦しんだわ。自分の生まれ[へなへな......]た故郷から邪悪な存在が誕生し、多くを奪っていった事実に。
そして、アシュレは立ち上がる[ぐぐぐ......]の。邪神と戦い、人々を守るために。
彼と共に邪神を倒すため、各地の英雄たちが集い、魔都に乗り込んで行ったわ。
そして、いよいよ両者は戦いを始めるの。7日7晩に及ぶ死闘の末、遂にアシュレ達は邪神を滅す[ぐぐぐ......]ることに成功するわ。
でも、彼らも無事では済まなかった。英雄たちの幾人もが命を落とし、アシュレ自身[ぐぐぐ......]も命を使い果して、魂だけの存在となってしまったの。
人々は嘆き悲しみ、国中が彼に感謝と、冥福の祈りを捧げた。
聖王庁もアシュレの功[ぐぐっ......!]績を称え、まさしく神の御子に相応しい存在であると認めて、正式にアシュレを神の[バチッ......!]子と定めたわ。
そうして、聖アシュレは誕生したのよ[バチバチバチッ......!!]。
どう? なかなか素敵なお話しでしょう?」
壮大なおとぎ話、いや、神話ともいうべき物語を語り終え、その余韻を楽しむように目を閉じるネメシア。
語り部である彼女は、吟遊詩人といっても過言ではないほど、美しく佇んでいる。
静かに沈黙に浸る黄金の瞳は、今は瞼に隠されているが、一度開けば見る者を魅了し虜にして離さない。
陰のある表情は哀愁を帯び、憂いに色付く口元は聖人の冥福を祈るかのように。
その隣に寄り添う銀の麗人は、さしずめ主人に付き従う従者に値する立ち姿で、眼を瞑り静謐に身動ぎせず成り行きを見守っていた。
ごく一部分を除いて。
一方の、ただしく聴き手であった少年ーーフュフテは、場違いにもある種の感動を抱き、衝撃に打ち震えていた。
(すごい......今の話、半分以上頭に入ってこなかった......)
最初は、ちゃんと話に集中しようとしたのだ。
ネメシアの話が始まる直前に訪れた盛大なる横入りを、鋼の意志で無理矢理に意識から強制排除し、ネメシアの話を聞いて彼女の真意を汲み取り、分析しようと考えていた。
しかし、そんなフュフテの涙ぐましい努力は、暴れ回る乱入者にいとも容易く妨害されてしまった。
(なんか、アシュレの名前が出る度に反応してたな。何? アシュレ好きなの?
しかも、最後の方めっちゃ光ってたんだけど。バチバチいってたんだけど。なんなの本当に。普通に怖い......)
物静かな本体とは対照的に、全力で話の腰を折りにきた乱入者は、目まぐるしく上下運動を繰り返したのち、山場に差し掛かるあたりで急激に直立を始めた。
幾重にも割れた逞しい腹筋に、ピタリと付きそうなまでに見事な海老反りを見せて。
最後の方は、一体どんな構造になっているのか。
まるで聖アシュレの誕生を祝福するかのように、青白い火花を飛ばして乱入者はその身を発光させていた。
そんなお祭り騒ぎを見せられたおかげで、全くといって良いほど内容が頭に入ってこなかったのだ。
もしこれが宮廷などで吟遊詩人が語りを披露する場面であれば、間違いなく衛兵に摘み出される暴挙に違いない。
完全な営業妨害だ。処刑されてもおかしくはない。いや、去勢というべきだろうか。
「なんというか......すごい、お話でしたね」
「そう? 楽しんで貰えたならよかったわ。男の子は好きよね、こういうお話」
ひとまず会話を続けるため、フュフテは内心の焦りを隠しながら、非常にふわっとした感想を述べた。
実際は、何がすごいのか自分でもよく分からないのだが、とりあえずこう言って置けばなんとかなる。
「すごい」という言葉はとても便利だ。
「すごい」は、どんな時でも応用が効くから、すごいのだ。
フュフテはまたひとつ、処世術という名の大人の階段を登った。
「でも、本題はここからなのよ? フュフテ。
いい? 聖アシュレの身体は確かに朽ちてしまったのだけれど、実はその魂は、未だ魔都に眠っていると言われているの。
彼の魂には、その癒しの奇跡が宿ったままなのよ。神の子と呼ばれるほどの、奇跡の力が。
つまり、彼の魂を手に入れて力を継承することが出来れば、それは第二のアシュレを生み出すということ。
あなたには、それを手に入れてきて欲しいわ。お分かり?」
「どうして、僕なのですか?」
毛先を指先でくるくると円を描いて回し弄ぶのは、無意識な彼女の癖なのだろうか。
さっきまでの、物思いに耽る深窓の令嬢を思わせる清楚な装いを見事に脱却し、閉じた瞼を開けて瞬く瞳を屈託無く揺らすネメシアは、今は元の小悪魔的な仕草でフュフテをじっと見つめている。
妖しい色気に当てられたのか、フュフテは幾ばくかのどきどきに胸をざわめかせて、
「うふふ、そうよね、知りたいわよね?
でも、だ・め。
とにかく、あなたには行くという選択肢しかないわ。それだけ理解してれば、今は十分なの。
それに、あなたにも有益な見返りはあるのよ?」
「? 見返り、ですか?」
自分が行かねばならない理由を問い質すが、劣情を刺激する艶笑でさらりと躱され、その代わりにネメシアから思ってもみなかった報酬が提示される。
彼女は今までにないほど、甘ったるい声で耳元にそっと囁くかのように、
「あなたのその、お尻から出る魔法、治せるかもしれないわよ?」
「ーーっ!!」
フュフテにとって、値千金に等しい価値のある一言を告げる。
驚き固まるフュフテに、悪戯心溢れる妖女よろしく秘密めいた笑みを浮かべたネメシアは、右手を持ち上げ、指先をぱちりと鳴らす。
ほんの一瞬魔力がフュフテの頬を流れ去り、一呼吸置いて手足を拘束していた縄が、ぱさりと床に落ちた。
「詳しく話を聞く気になったみたいね?
ついて来なさい、ここじゃ息が詰まるわ。ほら、イアンも行くのよ? フュフテを起こしてあげて」
この狭い部屋でこれ以上の話をするつもりがないのか、くるりとフュフテに背を向けて隣に立つイアンに言付けると、すたすたと扉に歩みを進めて部屋を出て行くネメシア。
急に戒めが解かれ、手足の痺れに思うように立てないフュフテを、やや強引に掴み上げて補助するイアン。
己の身に降りかかる試練に対する不安と、聞き逃せない情報に心をかき乱され、フュフテは戸惑いながらも漸く立ち上がり、先の見えない扉の外におずおずと一歩を踏みしめた。