第16話 『窮鼠猫を噛む②』
風魔法の応用で気流を操り、上空に身を浮かべたニーナは、渾身の一発を眼下の聖職者に向かって撃ち落ろす。
ドロスが命懸けで時間を稼いでくれた。
なら自分はそれに応えるだけだ。
あの気障ったらしく余裕を崩さない嗜虐的な態度の聖職者は、鼠をいたぶる猫のように散々光の矢でこちらを弄んでくれた。
追い詰められた一匹の窮鼠が、一矢報いるため猫に噛みついたが、あえなく地に落ちてしまった。
強すぎる。まさに化け猫だ。
だが、そのおかげでニーナは十全に魔力を練り上げることができた。
「くらいなさいっ! 『ラグナ・ロア』!!」
彼女の全魔力を込めた、風魔法・風撃系最上級の巨砲を化け猫にぶっ放す。
--ただひたすらに魔力を注がれて肥大化した風玉を打ち出す。
言葉で説明すれば、ひどく単純な魔法だ。
しかしながら、そんな簡単なものが最上級と呼ばれるはずがない。
消費される魔力は他の攻撃魔法とは一線を画しており、術者にとんでもない負荷のかかる魔法である。
むろん、誰にでも扱える代物ではない。
いくら魔素を呼吸と共に吸引することでいくらでも魔力を得られるとはいえ、どんな魔法士も体内に一度に留め置ける魔力の限界量には個人差が存在する。
また、度重なる使用を連続で行えば体力と同じように魔臓も疲弊し、どんどん魔力を変換しにくくなり力尽きる。
一般に魔力切れ、と呼ばれる現象だ。
平凡な魔法士では、『ラグナ・ロア』を唱えることすらできないだろう。
魔力量が圧倒的に足りない。
その圧倒的な魔力量を有しているからこそ、ニーナは天才と呼ばれているのだ。
小娘と呼べるほどの若さでニーナが最上級を扱えることは素晴らしい才能であるが、ことはそう簡単ではなく、己の限界を込めて生成した最上級魔法により、魔力切れ寸前にまで追い込まれていた。
余力など、もはや存在しない。
とはいうものの、余力など、必要ない。
二撃目を必要としないだけの威力をもっているからこそ、最上級と呼ばれているのだから--。
大地が震撼する。
音速で落下した巨球はアダムトを即座に飲み込み、直後に発光。
激しい閃光に視界を埋め尽くされ、刹那の間を置いたのち、すべてを薙ぎ払う衝撃派をまき散らす。
遅れて爆発音が轟き渡り、爆風が押し寄せてくる。
地が割れ、岩が飛び、大木がへし折られる。
空中にいたニーナも吹き飛ばされて、制御を失い墜落、なすすべなく地を転がる。
瀕死の鼠男もどこかへ飛んでいってしまった。
爆心地は凄まじいの一言に尽きる。
周囲一帯が吹き上がった土煙で埋め尽くされ、付近には掘り起こされた岩石が無造作に鎮座し、一抱えもある太さの折れた幹が多数転がる様は、大規模な自然破壊以外の何者でもない。
着弾した大地の中心には巨大な円形の大穴が空き、終点を目にすることはできないほどの深さに、行使された魔法が如何に凶悪な威力を誇っていたかを窺い知ることができる。
さしもの余裕ぶっていたあの男も、これでは無事であるはずがない--そう、よろよろと立ち上がり、荒い息をついたニーナは考えて、フュフテたちの無事を確かめようと振り返り、
自身の右胸に衝撃を受けて、身を震わせた。
次いで、左足が急に力をなくし片膝をつく。
わけがわからず、胸に目を落とすと、一本の光の矢が、右胸から生えていた。
ちょうど魔臓の位置を貫く矢に、呆然としていると喉元から熱いものがこみ上げてきて、吐き出す。
鮮やかな赤が飛び出し、直後に激痛。
「か......はっ............な......んで......」
いままで体感したことのない痛みに、意識が遠のく。
全身から脂汗が吹き出、体がガタガタと震える。
視界に白く靄がかかり、明暗を繰り返して目がよく見えない。
「......さすがに死ぬかと思いました。本当に素晴らしいですな」
耳鳴りがしだす中、辛うじて音が聞こえた。
かすむ目をこらして前を見ると、細身の男が歩いてくるのが見えた。
アダムトだ。
法衣は破れ生地がぼろぼろになっており、原型を留めていない。
こめかみから一筋の血をたらし、口端にも赤が滲んでいる。
乱れた前髪が目にかかり、眼鏡は割れて片方しか残っていなかった。
それでも五体満足に、傷付き血を流していても倒れない。
これだけやってもまだ余力を残しているのだ、この男は。
ドロスが命を燃やして。
ニーナが全霊をかけて。
あれだけ死力を尽くしたにも関わらず、遠く届かない。
本物の化け物だ。
「殺すには惜しい。実に惜しい。ですが、仕方ありませんな」
ニーナの目の前まで歩き立ち止まったアダムトは、意外にも心底残念そうに呟いた後、突きの構えで右手に持った光剣を引く。
「苦しめることはしません。アナタに敬意を払って、一思いに楽に致しましょう」
ああ......自分はここで終わるのだ、とニーナは思う。
不思議と恐怖はなく、悔しさはあるが死に対する怯えはなかった。
血を流しすぎたせいか、ひどく眠い。
痛みも、もう感じなくなってきた。
きっと目を閉じれば、再び開くことはないだろう。
もっとも、今から確実にとどめを刺されるから関係のないことだが。
割れた眼鏡から見つめる灰の瞳をみて、
(眼鏡、叩き割れたから、ちょっとは頑張ったかな? 私)
ほのかな満足感に金の目を細め、笑みを浮かべる。
ーー終わりを前に目を閉じる寸前、大きな音とともに空気が揺れ、何かが側に降り立つのを感じた。
「すまない、遅くなった」
もう体に力が入らず、目を開けることができない。
でも、耳にしっかりと届いた声は、自分がよく知る人物のものにとてもよく似ていてーー、
「あとは任せて、お前は寝ていろ。あいつは、私が殺す」
ぶっきら棒な口調にどこか優しさを含んだ声音に包まれて、もう大丈夫だと、安心しきった表情で、少女はゆっくりと意識を閉ざした。