第15話 『窮鼠猫を噛む①』
どのくらい、時間が過ぎたのだろうかーー。
いつ終わるとも知れない光の狂宴に、華麗にステップを踏みしめながらニーナは思う。
ほんの数刻といった気もするし、一日中踊り続けている気もする。
もはや時間感覚など、無きに等しい。
前方から五本の光矢が迫る。内、三本が直撃する軌道。
左右の手で風撃を撃ち出し、二つを撃墜。
接近した一つは半身を捻って回避ーーしたつもりだが、目測を誤ったのか、左肩を掠めてかすかに血痕が舞い散る。
「ーーいっ!」
ニーナの口元から苦痛の呻きが聞こえた。
光剣本体ほどに高熱ではないが、それなりの熱量を帯びた矢は、掠っただけでも身を焼くに十分な威力を秘めている。
既に同じような傷は全身至る所に及んでおり、まさに満身創痍といった有様だ。
幸いというべきか、それだけの傷を負えば多量の出血で動けなくなるのが必定というものだが、熱で傷口が焼かれるため血が余り流れ出ず、辛うじて体を動かせているといった状況。
もっとも、直撃すればそんなことは関係なしに動けなくなるのは言うまでもない。
「大丈夫か嬢ちゃん! ......くそっ! キリがねぇ! なんとかなんねぇのかぃ!?」
「はぁ、はぁ......無茶、言わないでよ! あんたこそ、なんか、ないの!?」
「ないことはねぇんだが......うまくいかなきゃ、二人まとめてお陀仏ってぇやつだ」
「このままでもそれは一緒よ! 失敗したら、死ぬだけ......構わないわ!」
「じゃあやるしかねぇが......ちくしょう、アレはマジでやべぇんだ......。どうなっても、知りやせんぜ?」
息も切れぎれ、各所に血を滲ませ、脇腹を掠める矢に慌てて跳びのき避けながら、 ニーナに打開策を呈示する出っ歯の男ーードロス。
小物臭漂う男の、歯切れ悪く言い募る様子に一抹の不安を抱くが、ニーナは追い詰められた現状にもかかわらず、自然と笑いが込み上げてくる。
--変な男だ。
最初は人攫いの賊として現れ、当然の敵対関係。
かと思いきや、一転して窮地に助っ人として乱入。
依頼らしいがよく分からない目的で参戦し、今は互いのミスが生死を分ける戦場を共闘する相方だ。
最初の印象は最悪だが、現在は不思議なことに、ドロスの策が失敗して死んでも「まぁしょうがないか」と思える程度には、上方修正されている。
そんなニーナの複雑な信用を獲得した男は、
「ええい! じゃあ時間を稼ぐから後はなんとかしてくれ! いくぜぇ!?」
半場やけくそ気味にまくし立てると、懐からおもむろに小瓶を取り出し、コルク栓を外す。
透明な容器に満ちる液体は毒々しい濃紫の色彩で、一目で体に悪い、まさに劇薬といった物体を躊躇なく一息にあおるドロス。
直後、その骨細の体が膨れ上がったと錯覚するほどの、濃密な魔力がドロスから発せられる。
魔力だけではない。
露出している首元、袖口の腕、剥き出しの脛など、視認できる肌には赤黒い血管が走り、錯覚ではなく一回り膨れ上がった。
禍々しい色の血管は顔中に広がり、髪は逆立ち、眦は裂け、歪んだ唇から「ゔぁゔぁゔぁ......」と意味のなさない音を吐き出しながら白眼を剥いている様子に、いつものひょうきんな表情は見る影もない。
「ちょっ......ちょっと! 大丈夫なのそれ!?」
「う......がぅあぁあぁ......だ、が、ら、ヤべぇっていっ......ぐっ、あああああぁっ!!」
変わり果てた姿に腰が引けるニーナに、まだ意識があるのか辛うじて返事をしたドロスは、絶叫を上げて両手の鎖を猛然と振り回し始める。
いったいどのような原理なのか。
左右合わせて四連の鎖は今までの倍の太さに肥大、桁違いの速度で周囲の矢を叩き落とし出す。
赤と黒、二色の色相の魔力を鎖が纏い、光矢を差し貫き、弾き飛ばし、その数を四連、八連、十六連と倍々に増加。
縦横無尽に暴れまわる金属は、ドロスを起点に領域を次々と侵食し、まるで鎖の結界のようだ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」
躱し、撃ち落とすだけで一杯一杯であった矢の雨が、次々と消滅していく。
その勢いは光矢の生成速度を上回りはじめ、徐々に光源へと差し迫っていった。
数を減じていくにつれて、ドロスが一歩一歩と前へ踏みしめる歩幅は大きくなり、遂には駆けるだけの速度をもってアダムトに近づき、反撃に転ずる。
守勢から攻勢へ。
怒涛の鉄鎖の逆襲劇は、それまで押され続けていた戦況を覆し、全てを押し返して標的に雪崩を打って襲いかかった。
さしものアダムトもこの勢いには涼しい顔をしていられず、
「それは『狂騒薬』ですか。そんなものを持っているとは、驚きですな。しかし、無駄な足掻きです」
「ぞ......ん、なもん、や......み、なぎゃ......わ、が、があぁぁぁ!!」
ささやかな驚嘆に口元を一文字に結び、髪を振り乱して喚くドロスが振り下ろす、尋常ではない威力の大鉄の連撃に、高熱の刃を合わせて背後に受け流す。
ここから二人の一騎打ちが開始された。
目で追うことも難しいほど高速でアダムトに迫る乱撃が、上下左右、四方八方、打ち下ろし、なぎ払い、割り砕き、突き穿ち、叩き上げ、押し潰し、振り廻すとーー。
瞬きの合間に位置を見失うほど急速にドロスを迎え打つ斬撃が、前後左右、東西南北、打ち合わせ、払い受け、砕き上げ、刺し貫き、かち下ろし、潰し切り、回し斬りながら、鎖と刃が交差していく。
赤と黒、黄と橙の色彩が入り乱れ、互いの武具の交差により、上がる焔が、跳ねる火花が、いっそ芸術的な美しさを生み出している。
しかし、両者一歩も引かず、永遠に続くかと思われる立会いも、到頭ーー、
「がっ......!!」
赤黒の猛打が徐々に弱まっていくことで生まれた隙を、光刃が見逃すはずもなく、下段から斜めに斬り上げられた一閃によって、呆気なく終わりを迎える。
斬撃は鎖を易々と蹴散らし、幾分かその勢いを削ぎながらも振り切られた刃は、ドロスの脇腹から右肩までをばっさりと焼き斬った。
「やはり思ったとおり。その薬は命と引き換えに数倍の力を引き出せますが、その時間は極わずかなもの。
凌ぎきれば、ただ自滅を待つだけでよいのです」
苦悶の音のあと、鮮血を吐き出して地に両膝をつくドロス。
じゃらり、と彼の周りに燃え尽きるごとく落ち散らばった金属のあとを追って、切り裂かれた傷口から血を流し、上体が傾いでゆく。
ビクリと痙攣し横倒しに地に伏せた男を見下ろして、光剣の主は淡々と語る。
しかし、その口調とは裏腹に確かに上下する双肩と乱れた呼吸が、命を賭したドロスの攻勢が決して容易いものではなかったことを物語っていた。
整然と撫でつけられた灰髪は所々跳ね、冷たい灰色の瞳を覗かせる縁なし眼鏡は、汗で白く曇っている。
傷一つなかった白の法衣も、剣戟の激突の余波に耐えられなかったのか、買い替えが必要なほど派手に汚れている。
それでもなお、ドロスの攻撃はアダムトには届かず、致命の一撃を負った男は倒れた。
負った傷は深く、薬の副作用がある限り、もはや屍同然。
放置しても何の問題もない、そう判断し、アダムトは残りの片割れの少女に目を向けるがーー、
ーーいない。
奮闘するドロスに加勢することなく、傷だらけで立ち尽くしていたはずのニーナの姿がどこにもない。
離れた位置でまとまって観戦する三人と、血だまりに転がる男以外何も見当たらない。
さては逃げ出したか、と、辺りを見回すアダムト。
日が落ちて自身に薄暗く影が差してきたのに気付き、そろそろ夕暮れに差し掛かる時刻かーーと、そこまで考えて、不意に違和感に気付く。
いくら戦闘に幾ばくかの時間を要したとはいえ、こんな急激に日は陰らない。
長年の戦闘経験に基づく第六感というべき感覚が、ピリピリと肌にひり付き、警報を鳴らす。
反射的に勢いよく上空に顔を上げると、そこには太陽を覆い隠すほど巨大な球体が、地上に向かって、アダムト目がけて撃ち出される瞬間であった。