第14話 『叫び』
「......ごめんね、こんなこと言って。勝手だよね、あたし。
......うん、わかってる。自分は何も出来ないくせに、何言ってんだコイツ、って思うよね」
ーー違う。そうじゃない。
そんなことは思っていない。
「フュー兄だって怖いと思う。怪我するかもしれないし、死ぬかもしれないもん。
でもね、もしあたしがフュー兄みたいにちゃんと魔法が使えたら、きっと助けに入ると思う」
ーー違う。みんな、勘違いをしている。
思い違いでしかない。
「だけど、ダメなの......今のあたしには何もできなくて......っ! 誰かに助けを求めることしかできない!
ここには、フュー兄しかいないの! フュー兄にしか、頼れないの! だからお願い......」
ーー違う。助けを求める相手を間違えている。
何も出来ないのはサシャだけじゃない。
「できないなんて言わないで? 大丈夫、できるよ! だって、あんなすごい魔法使えるんだもん!
きっとニーナ姉を助けられる! だからーー」
「違うんだっ!! 魔法なんて使えないっ! ......僕には、ちゃんと魔法を使うことなんて、できないっ!!」
拳を握りしめて、喉を震わせ、唇を戦慄かせて、血を吐くようなフュフテの叫びが、向かい合うサシャに頭から叩きつけられる。
サシャの希望を、謝罪を、励ましを、それら全ての姉を救いたいという願いを、真っ向から切り落として、フュフテは自分には「できない」と吠える。
そんな彼の姿に、さすがにサシャも二の句が継げず、押し黙ってしまう。
失望を露わに、虚ろな目で見上げてくる少女に、
「サシャは言ったよね? お尻から魔法を使うなんてカッコ悪いって。そうだね、 僕もそう思うよ............でもね、違うんだ」
一度言葉を切って、言い聞かせるように。
「お尻から、魔法を使ったんじゃない。
お尻からしか、魔法が使えないんだ」
内心はどうあれ表面上は平穏に、今さっきの喚きから一転して冷静に。
感情を押し殺す淡々とした声で、フュフテは自身の真実を語る。
「え......?」
何を言われたのか、理解できなかったのだろう。
サシャの呟きは、ただの発声としての役割しか持たず、思考はまるで追いついていない。
フュフテの語った内容は、それだけ突飛なものであった。
「なぜだかは分からないけど、僕は普通に魔法を使うことができない。何をやっても、お尻以外には魔力が集まらないんだ。
でもそれって、どういうことか分かる? サシャ。......ミシャも」
自分を見上げるサシャと、隣で一部始終を見届けているミシャ。
二人の幼馴染に、フュフテは力無い笑みをたたえて、問いを発する。
問われた少女達は、口を開くことができない。
理由は単純だ。
森の民として、魔法使いとして。
それはあまりに、残酷な事実である事が、分かってしまったから。
「里のことは.....今は置いておこう。でも二人も里の掟は知ってるよね?
ああ、今はまだマシになったかな? 母さんが色々動いてくれたから。昔は酷かったけどね......」
みんなと出会う前の話だけどーーと、そう話すフュフテの目は空虚で、何も写さず過去を望むかのように。
「魔法に関しては......本当にもう、どうしようもないよ。
確かに使えるよ? 必死に練習したからね。
火も、風も、水も、土も、治癒だって! でも、どれも、意味がない!」
右手で前髪をクシャリと掴み、くつくつと笑い声を上げる少年は、壊れてしまったのではないかと。
そう感じる程に深い闇に捕らわれている彼の姿を見て、少女らは戸惑いで声をかける事ができない。
全く気付かなかったのだ。彼がこれほど抱え込んでしまっていることに。
「まともに使えると思う!? 後向きに打つんだから、的に当てることさえ碌にできやしない!
いちいち屈まなきゃいけないんだ、相手の攻撃だって躱せないよね? それでどうやって戦えっていうの!?
こんな無様な魔法使い、見たことも聞いたこともないよ!」
口角から泡を飛ばし、フュフテがずっと抱いてきた思いが、嘆きが、次々と飛び出す。
極限の状況とは、人の本性を容易く露呈させるものだ。
これまでは、うまくやってこれた。
彼女たちーーいや、母親以外の近しい者たち全てに真実を隠し通してきた理由は、彼の内に押し込めてきた負の感情が、外に溢れ出ないようにするためでもあった。
気取られないように、悟られないように、明るく洒脱な振る舞いで、必死に心の奥に踏み込ませないよう防波堤を築いてきたのだ。
しかしそんな虚栄は、眼の前で大切な人を失う恐怖と、助けに応えられない己の無力さの前に、いとも簡単に壊れてしまう。
当然だ。
正面から問題と向き合うこともせず、ただひたすらに逃げ続けてきただけなのだから。
一度決壊してしまった感情の波は留めることができず、涙こそ流していないが、慟哭となって空間を切り裂く。
まだ十二の少年なのだ、彼は。
理不尽な境遇にあらがうことも受け入れることもできず、ただただ年相応に喚き散らすことしかできない。
「なんで僕が......僕だけがこんな目にあうの......?
......助けたいよ、僕だって。
ニーナを助けたいに、決まってる!
こういう時のために、ずっと修行してきたんだ。
みんなみたいに、普通に魔法が使えたら、僕だって、きっと......」
特別でなくてもよかった。
普通でありさえすれば、きっとフュフテは前を向けた。
たとえ力及ばずとも、窮地に陥っている仲間と肩を並べて戦うことができたはずだ。
そのための準備はずっとしてきたのだ。
胸元で右手のひらを上向きに開く。左手で右手首を掴み、意識を集中する。
深く息を吐き、大きく息を吸いながら呼気と共に魔素を体内に取り込み、魔力に変換する魔臓へと送り込む。
右胸で力強いエネルギーが生み出され、旋回し、織り重なりながら、排出器官に乗り込むのを今か今かと待ちわびている。
それら全てを右手へと送出、魔法現象を引き起こそうとしてーー突如、流れは断ち切られた。
右手へと向かう力が、何の前兆もなく消え失せたのだ。
驚くことではない。これまでずっと繰り返されてきたことだ。
下半身の一箇所を除き、全ての場所で同様の現象は起こる。
何度やっても。フュフテの意思とは無関係に。
「ははッ......」
少年は、楽しさなど微塵も感じられない、諦めと皮肉に塗れた笑い声を漏らし、両手の構えを解いて視線を伏せた。
俯きながら歯を食いしばり、魔臓のある右胸に手を当て、五指で服地を握りしめる。
そうでもしなければ、内から溢れでてしまうとでもいうように。
羨望が。諦観が。哀願が。悲嘆が。怨嗟が。憎悪が。絶望が。
渦巻く数多の情念が、これ以上吹き出さないようにーー。
全てをさらけ出しぶちまけたフュフテに、かける言葉を誰も持つ事ができず、刻々と流れゆく時を立ち尽くすことしかできなかった。
と同時に、この場にニーナ達に助成できる存在が、誰一人としていないことにも気付く。
「だれか、助けてよ......」
救いをもとめる声は三つの人影の内、どれから漏れたものだったのか。
その声に応えるものはなく、激しく撃ち合う魔法の衝突音と地面の爆ぜる音だけが、辺りに鳴り響いていた。