第10話 『風と氷の争乱』
「それで、あなたの目的はなんなの?」
一連の流れを叩き斬る形で、ニーナの一言が聖職者の男ーーアダムトに向けられる。
少なくない会話のやり取りの合間に、立ち込めていた霧は晴れており、腰に手を当ててアダムトと向き合う彼女がはっきりと見えた。
その姿に追従するように、濃い話題に置いてきぼりにされていた、サシャとミシャの視線も続いている。
くすんだ色の前髪をかきあげて、
「さて。それをアナタに説明する必要はありませんな、美しいお嬢さん。
大人しく............して頂くのは難しいようだ。あまり手荒な真似はしたくないのですがね」
無言で戦闘態勢をとったニーナを目にしたアダムトは、やれやれと言いたげに肩をすくませた後、双方の手袋を祈りの形に組み合わせた。
途端、アダムトを中心にパキパキと音を立てて空気が凍り始める。
急激に冷やされた空間から絞り出された魔素を糧に、十を超える大仰な氷柱が現出、その鋭利な先端が一斉にこちらを捉えた。
一つ一つが、先の氷刃とは比べようもないほど巨大な質量を誇り、直撃すれば原型を留めることは不可能であろう、その凶悪な氷塊の群れが勢いよく射出されーー、
『ーーバレル・ロア』
対峙するニーナが詠唱と共に掲げた頭上に、両手で抱えきれないほどの大きさの可視化された風玉ーーそれが十以上。
奇しくも同数で、氷柱を迎え撃つ。
互いに呼応するかのように氷と風がぶつかり合い、重厚な激突音と衝撃波をあたりに撒き散らす。
圧縮された風圧が、接触によって風玉が割れた瞬間に解き放たれ、氷柱と凌ぎを削りあっている。
「うわっ! あぶなっ!」
「ちょっと! ちゃんと結界張っときなさいよ!」
顔面すれすれを掠めていった氷片に慄き、体を仰け反らせるフュフテ。
それに対するニーナの叫びに呼応し、
「あ! あたしがやる! まかせてまかせて!」
「結界は得意......二人でやれば大丈夫」
頼もし気に声を上げて、サシャとミシャが答える。
二人は背中合わせになりながら同時に目を瞑ると、結界に干渉するため魔力を練り始める。
丁度円の中心に位置する彼女達。
淡い魔力光が互いの指から漏れ出ると、ニーナが攻撃魔法を使用したことで不安定化した結界の魔力制御が引き継がれたのか、再び強固な障壁が展開された。
生半可な攻撃など微塵も通さない、強力な防護をもって姉に加勢する妹達。
宣言通りの結果をうまく引き起こせたことに、満足気に顔を綻ばせ、
「いだだだだだだ! ちょっ、痛いよ!? ガンガン当たってるんだけど!?」
衝突の余波に煽られ飛翔する、無数の氷礫を全身に浴びたフュフテの叫びを聞き、一転して引き攣った笑みに変わる。
頭部を庇いながら身を屈める少年は、余程想定外だったのだろう。
結界が守ってくれるという安全性をかけらも疑っていない中、当たり前のように直撃してきた流れ弾に動転し、右往左往しながら抗議の声を上げている。
「あれ、おかしーな? なんかフュー兄だけ結界から弾かれてない?
なにしてんの? ちゃんと中に入らないとあぶないよー?」
「入ってたよ! さっきまで! なんか二人が張り直した途端弾かれた! どうなってるの!?」
「............たぶん、フューのせい? 変な趣味あるから......無意識に排除した? ............自業自得」
サシャとフュフテの会話に口を挟むのは、いつになく饒舌なミシャ。
予期せぬ結果に、いくらか気まずそうにフュフテを眺めて原因の予測を告げる。
術者のどちらか、もしくは両方か。
複雑な心境による精神の揺らぎが、魔法の構築に影響を与えてしまったようである。
まさに師匠の教えが証明された瞬間とも言えよう。
事実、結界はサシャとミシャのみを死守している。
ニーナは攻撃のために自ら障壁外へと移動しており、無防備に戦場に身を晒すのは、様々な意味で見捨てられそうになっている少年ひとり。
「うう......ひどすぎる......誤解なのに......」
残酷な現実を突きつけられ、目に見えて落ち込むフュフテ。
深緑の質素な布服は数々の被弾によって所々すり切れ、乱れなく纏まっていたはずの頭頂部のお団子には氷片がぶすりと突き刺さっている様は、見るものに哀愁を感じさせる。
そんなやりとりの合間にも戦闘は継続しておりーー、
先程の焼き回しのように、双方の術者が氷柱と風玉を生み出し、追加で撃ち放つ。
その投げ放たれた魔術は、拮抗していた氷風の力比べをさらに後押しし、規模をより増大させた。
火に油を注いだごとく拡大した戦端に、大地は抉れ、日は陰り、木々は悲鳴を上げており、付近に動物がいればきっと一目散に逃げ出したに違いない。
氷柱はその身を砕きながら標的へと突き進み、風撃も球体を割り裂かれてなお勢いを留めない。
現象を引き起こした魔法士二人を境に繰り広げられる破壊を前に、
「ほう。威力、速度ともに申し分ない。お若いのに素晴らしい腕をお持ちのようですな」
塵風に法衣をはためかせ、縁なし眼鏡を軽く押し上げる余裕のアダムト。
「ずいぶんと上から目線ね! これで、どうかしらーーッ!」
今度はこちらからーーと、上段から腕が振り切られると同時に、鋭利なカマイタチが局地的戦災を大きく迂回して側面から狂信者を襲撃。
左右同時にうなる風の刃は、容易く人体を切り裂き、その法衣を鮮血に染め上げるであろう。
直撃すれば死は免れまい。そんな風刃はしかし、
「ニーナ姉ッ!!」
鋭く響き渡ったサシャの悲鳴に、身に迫る危険を感知し、行く末を見ることは叶わない。
いつの間に設置されていたのか、頭上から自身に迫る氷杭の群れを視認。咄嗟に風壁を展開する。
間一髪で間に合った防御に氷杭は弾かれ、ニーナは当面の危機を脱する。
妹の声に助けられ、危うく串刺しになる状況を回避できたことに、冷や汗が流れた。
「ーーっ」
発動の予兆さえ感知させぬアダムトの力量に、改めて脅威を認識し、ニーナは口惜しげに薄い唇を曲げる。
この分だと、さっき放った風刃は大して痛手を与えていないかもしれない。
時間経過に従って、氷と風が奏でた眼前の戦禍は落ち着きを見せ、いまや十分に視界を確保できるまでに鎮静化している。
「ふむ。これでは埒があきませんな」
やはり、というべきか。
晴れ行く薄煙ごしに、ゆらりと動く人物が息を吐く。
従容として直立するアダムトの着衣には、さしたる被害は認められない。
ニーナの攻撃は呆気なく防がれていたようだ。
「なんなら諦めてさっさと消えてくれてもいいわよ?」
「ご冗談を。美しいお嬢さん。そうですな。ワタクシもそう長く遊んでいるわけにも参りませんのでーー」
内心の焦燥を悟られぬよう強気に出るニーナの挑発をやんわりと躱し、アダムトは法衣の腰元に手をやる。
収納場所でもあったのか、やおら取り出したのはちょうど腕の長さほどの太い金属の棒だ。
中央に柄があり両端に三又の刃を備え、儀式めいた模様が全体的に施されている。
鈍い黄金の色が何処と無く神秘さを漂わせ、神器を思わせるが、紛れもなく武器なのだろう。
神器紛いの中央を両手で掴み、胸の前に持ち上げ魔力が通されると、
「なっ!?」
凄まじい魔力量が目前に生み出された衝撃に、少年少女達から驚愕の声が漏れた。
両端の刃から凄まじい量の魔素が吹き出し、それを追いかけて見る見る内に光の刃が形作られてゆく。
光刃が膨大な熱量を持っているのか、ジジジ、と空間を焦がす重低音を生み出しながら大気を震わせている。
あれに触れて無事でいられる筈がないと、本能が悟る。
光の双刃は太く肉厚な剣の形状を模しており、刃渡りを含めれば全長は当初の五倍の長さを誇る巨大武器だ。
その威容は神々しく、もはや兵器といって良いかもしれない。
「ーーこれでお相手させて頂きましょう」
圧倒的戦力を見せ付けられ絶句するニーナ達に向かって、アダムトは歪んだ笑いを頬に貼り付け、そう告げた。