第1話 『訪れたピンチ』
「おとなしくしてろっ! くそガキが!」
乱暴な言葉とともに突如、ひとりの少年--フュフテは宙へと放り投げられ、地面を勢いよく転がされた。
ごつごつとした岩肌で体のあちこちをしたたかに打ち付けた事により身動きが取れず、うつ伏せのままに小さく呻き、痛みに顔を顰めてフュフテは暴言の主を見上げる。
その視界には見るからに気性の荒そうな男が映っており、ひどく機嫌を損ねた面持ちでフュフテを見下ろしていて。
男は右手に布袋をぶら下げていて、その大きさは大人ひとりを丸々飲み込めそうな程であった。
今し方少年を放り投げたその男は、フュフテの視線に苛立ちを覚えたのか、荒い足音を響かせて無遠慮に近づき、その華奢な身体を足蹴にしようと片足を上げて、
「おいおい! あまり乱暴に扱うなって......大事な商品だぞ?」
「うるせえッ! このガキ、運んでる最中にやたら暴れやがって! 何度途中で放り投げてやろうかと思ったぜッ!」
それを隣に立つ仲間によって諌められ、続く行動を止められた。
とはいえ、仲間の男に言い返しただけでは気が収まらなかったのか。
フュフテを放り投げた男は、言葉だけでは足りないと言わんばかりに荒々しく地面に向かって唾を吐きかけ、治らぬ憤りを露わにしている。
長い間洗った跡が見られないぼさぼさとした髪と、垢で黒ずんだ衣服を着ている姿も相まって、男の吐き捨てた唾からはえもいわれぬ悪臭が漂ってくるかのようだ。
「てめえらはいいよな!? 綺麗どころの女共を運んでやがんだから。代わってもらいたいもんだぜ!」
「まぁまぁ、あんま拗ねんなよ。女っていっても、まだ嬢ちゃんってぐらいの年だろ?
ほれ、見ろよ。その嬢ちゃんらも、オメェを見て怯えちまってるぜ?」
ぼさぼさ頭のいじけた口調の物言いに、別の男が声をかける。
その男は落ち窪んだ目と小柄でひょろっとした体躯をしており、如何にも小狡そうな雰囲気が全身から滲み出ていて。
ニヤついた唇からは出っ張った前歯が覗いており、彼を地に伏せたままに眺めるフュフテは、「鼠みたいなやつだな」と内心でそっと呟いた。
フュフテが鼠男の言葉の先に視線を向けると、三人の少女たちの姿が視界に飛び込んでくる。
いずれも、金色の髪と金の瞳を持った美少女だ。
寝転がるフュフテから少し離れた位置で、お互い身を寄せ合うようにして佇んでいる彼女らは、少年と同じくここに運ばれてきたのだろうか?
先ほどからむさ苦しく、汚らしい男ばかりがたむろする情景の中に映る少女らは、掃き溜めに突如あらわれた美の女神のように美しい。
ーーというか、自分のよく知る女神たちだった。
「フュフテ! 大丈夫っ!?」
(あれ? ニーナだ......なんで、ここに?)
そうだ。たしか、自分達はさっきまで森の中にいたはずだ。
幼馴染の少女ーーミシャとサシャが川遊びがしたいと言い出し、二人の姉であるニーナを保護者がわりに、無理やり集落はずれまで引っ張って来られたんだったかーーと、混乱する頭を落ち着かせながら、少年は記憶を辿る。
しばらく遊んだ後に四人で車座に休んでいた所、唐突に軽快な音と共に丸い玉が飛来し、それが激しい閃光を放った事で視力が瞬く間に奪われた。
出し抜けの出来事に恐慌状態へと陥り、訳も分からずにわぁわぁと慌てていると、ふいに誰かに掴まれて何かに押し込まれ、勢いよく担ぎ上げられてしまった。
先程の布袋を見るに、「あれでここまで運ばれたわけか......」と、これまでの経緯を思い返して、フュフテは心配そうにこちらを伺うニーナを見つめる。
いつもは真っすぐに整えられた彼女の金髪は、フュフテと同様に運ばれたせいか酷く乱れており、幾本かが汗に濡れ額に張り付いている。
じめじめとした洞窟のような場所で、見知らぬ男たちに囲まれている状況に不安が隠せないのだろう。
少し怯えた様子だが、見た限りケガ等はしていなさそうだ。
ニーナの問いかけに応えようとおそるおそる上体を起こすと、硬い地面に打ち付けたせいか、折れそうに細身な体のあちらこちらから悲鳴が上がる。
が、痛みに声が漏れ出るのを静止し、自分は大丈夫だと伝えるべく、心配気なニーナに対してフュフテはこくりと頷きをひとつ返した。
そんなフュフテを見て彼女は軽く安堵の息を吐いた後、おもむろに男たちをきつく睨みつけ、
「私たちを、どうするつもり!?」
「おー、気の強ぇ嬢ちゃんだ。さぁて、オメェも女ならどうなるかくれぇ、大体分かんだろ?
まぁ残念ながら、お家にゃあ返してやれねぇなぁ。へへへっ」
「ふざけないでっ! あんたたちなんかに......汚らわしい! 消えなさい!」
気丈に食ってかかるニーナに対し、からかいを帯びた口調で薄ら笑いを浮かべる鼠男。
そのふざけた態度に形のよい眉を吊り上げ激昂したニーナは、顔前の汚物を消し飛ばそうと両の手のひらを鼠男に向ける。
が、一向になにも起こる様子がない掌に、目に見えて狼狽え出した彼女を見て、男たちは下品な笑い声を上げた。
「ん? どうしたんだ、お嬢さん。なにかするんじゃなかったのか?」
「へへへっ、そんないじめてやんなよ。なぁ、嬢ちゃん。森の民が魔法を使えることなんざぁ、誰だって知ってらぁ。
こういう仕事をやってる俺らが、なんも対策してないとでも思ったかい? それだよ、その手錠」
嘲りと共に指さされた自身の手を見て、ニーナは鈍色の文様が施された手錠が嵌められているのを目にし、これがどうかしたのかと、訝し気に眉を顰める。
当たり前だが、後ろの二人の妹はもちろん、その光景を眺めているフュフテにも同じものが嵌められているのは言うまでもない。
「それがただの手錠だと思ったかぃ? ちげえなぁ。
そいつぁ『魔封緘』っていってな。文字通り魔法が使えなくなる便利な魔道具だ。
魔法ってなぁ手から出んだろ? そいつを付けちまえば、どんな凄腕の魔法使いもただの人ってぇわけよ」
「そんな......ッ!」
唯一の戦う術である魔法を封じられたニーナは、手錠を見つめながら呆然と呟く。
確かに、十五歳という若さで卓越した魔法を操る彼女であれば、この場にいる十人ほどの賊など、いとも容易く蹴散す事が出来るだろう。
しかしそれは万全な状態での話であり、魔法が使えない今の状況では、ニーナはどこにでもいるただの無力な小娘にしか過ぎない。
茫然自失の体で大きな瞳を見開くニーナの姿を目にして自身の嗜虐心を満足させたのか、鼠男はそこで会話を切り上げようとしたが、どうやら他の男たちはそうではなかったようでーー、
「おい! 女! てめえ、消えろだと? くそ生意気なことほざいてんじゃねえよ! アアッ!?」
「これは、しつけがいるみたいだな?」
「おっ、犯っちまうか? 三人もいるし、一人くらいいっとくか?」
「ばっか、んなことしたらお頭に殺されちまうぜ? 俺はごめんだね」
「んじゃ、テメーは指くわえて見てろ。おいらは後ろの小さいのが好みだなぁ、うひひ」
誰も止めるものがいないせいか、好き勝手に欲望を吐き出し始めた男たちの目は、どす黒い情欲でひどく濁っていた。
舐めるような視線に身の危険を感じた少女達は、背筋を這い上がる悪寒に怖気をふるうと、少しでも彼らから離れるようにじりじりと後ずさる。
ニーナの吐いた暴言に腹を立てたーーというよりも、若く美しい少女たちを見て我慢がきかなかったのだろう。
拐かした女を暴力のまま蹂躙することに慣れた男たちは、そうすることがもはや当たり前であり、今回の獲物はその中でも特上の美をもつ森の民なのだ。
それは彼女達にとって、今だけはとても不幸なことであった。
※ ※ ※ ※
(まずい......このままではみんなが大変な目にあってしまう......)
目の前であわや賊どもの慰み者になりそうな姿を見て、フュフテは焦り出す。
実は、この状況を打開できるかもしれない方法を、彼はひとつだけもっていた。
だが、それをやれば--。
(いやだ......やりたくない! ......ずっと、バレないように隠してきたのに......)
フュフテが自分の都合を優先し何の行動も起こさなければ、間違いなくニーナ達は悲惨な目に遭うだろう。
訪れる未来は、火を見るより明らかだ。
もちろん、乙女の貞操と自分の矜持が天秤に釣り合うわけではない。
ニーナ達の無事に比べれば、彼の抱いている葛藤など取るに足らないものであろう。
そんなことはフュフテとて十二分に理解している。
しかし、理性と感情は別物だ。
男として恰好よく在りたい。森の民として美しく在りたい。
それらの自分にとって大切な感情をぶち壊すことを、今からやらなければならない。
これからやろうとすることは、フュフテが本当に、本当に、心の底からやりたくない嫌なことなのだ。
それはフュフテにとって、まだ一人前とは言えないながらも、美を愛する森の民として持つ誇りを汚し、貫いてきた意思を無碍にするものだ。
激しく揺れ動く感情の渦に胸を押さえ、決断に悩むフュフテだったが、眼前の光景をみてふとある事件を思い出す。
それは知り合いの女性が集落の外で薬草の採取中に、何処かから逃亡してきた犯罪者の男に運悪く遭遇し、襲われたという出来事だ。
件の逃亡者は悪質な性犯罪者であり、助け出された時の彼女はあらゆる責め苦を与えて犯された後の状態で、筆舌に尽くしがたい無残な有り様であったらしい。
結果的に犯罪者は捕まり、森の民による私的制裁を受けて血生臭い肉塊へと成り果てたが、心と体に傷を負った彼女のことを考えれば、それが過度な報復だとは到底思えなかった。
治療により体の傷は癒えたとはいえ、事件の前後でまるで性格が変わってしまった彼女の姿に、あの罪人にはもっと厳しい罰をあたえるべきだった! と憤慨したくらいだ。
今、同じく大事な友人である三人の少女が、彼女と同じ目に遭おうとしている。
それを黙って見過ごすことなど、やはり自分には到底できそうにないーーしてはならない!
そう、自身の感情にけりをつけると、フュフテはそのか細い足で力強く立ち上がり、凛とした顔で高々く声を上げた。
ーー が、それは全くもって、不可解な一言であった。
「まって! 僕じゃ......だめ?」