15年前の話
小学2年になり、剣道道場の仲間とも話すようになっていた。
以前、オレに絡んできた同い年の男子たちとも、仲良くなった。
「おい!遥!この問題、わかるか?」
「…これは、こうするんですよ。」
スラスラと、問題を解くと彼らは、大袈裟に声を上げて称賛する。
「おおー!さすがは、有里の坊っちゃん!スゲー!」
「…いえ。」
「遥、オレにも教えて!」
剣道道場に来ているのに、何故か、勉強会になることもしばしばあった。
「へぇ。遥、あんた教えんのうまいね!」
学校帰りの千歳さんが、
ひょこっと、顔を出してオレたちの輪に入ってきた。
「…そうですか?」
「あはは!もっと、子供らしく嬉しいと言いなよ。」
「…別に、普通です。」
「あんたって、もしかしてツンデレ?」
「何ですか?それ?」
「あはは!ツンツン、ツンデレ君!」
そう言って、わしゃわしゃと、頭を撫でられる。
最初は、頭を撫でられるのがイヤだった。バカにされてるような気がして。
でも今は、千歳さんの温かさが伝わってくるようで、嬉しかった。
「千歳姉ちゃん!今日は、来てくれたんだ。」
「まぁね。中学になると、部活があるのよ。」
千歳さんは、中学生になってから、道場に来る回数が減った。
オレの記憶が、正しければ週に3回は来ていた。
試合の時も、必ず見学に来てくれた。
「あんたたち、遥に、勉強教えてもらうのはいいけど練習もちゃんと、しなさいよ。私がいないからって、サボんなよ!」
千歳さんが、笑顔で、オレたちに説教する。
こんな日常が、とても新鮮で、学校にいる時よりも、楽しかった。
そして、この時、芽生えた淡い感情も、くすぐったくて、幸せだった。
けれど、夏休みに入ってすぐ、千歳さんは、全く、来なくなった。
嫌な予感が、した。
それから間もなく、
千歳さんは、この町からいなくなっていた。
何も言わず…突然に。
その後、祖父から一枚の便箋を渡された。
「千歳ちゃんは、両親が離婚して、お母さんと一緒にこの町を離れたそうだ。」
「……ど、どこに行ったんですか?千歳さん。」
声を震わせながら、祖父に尋ねた。
「……お母さんの実家だそうだ。」
去年、同い年の男子たちが言っていたことが甦る。
『…泣いてたんだ!』
あの時、すでに千歳さんの両親の仲は拗れていたんだろう。
だから、泣いていた…
オレは、何も知らずに千歳さんに冷たい態度をとっていた。しかも、単純に試合で負けて泣いていたと。
「…うっ、うう、…うっ、うわぁぁぁ!!」
この時、初めて人を思って号泣した。
かけがえのない時間。
一生、忘れない思い出。
生まれて初めて、異性を好きになった喜び。
あまりにも、大きなその宝物を、オレは、いつか、思い出に変えられるのだろうか?
たとえ、彼女に二度と会えなくても…
祖父から渡された、千歳さんからの便箋には、こう書かれていた。
『遥、ごめんね。
今までありがとう。』
今思えば、子供は一人で動くことなど出来ない。
仕方のないことだと。
それからのオレは、祖父の文武両道の精神を貫いて生きてきた。
女性と付き合ったこともあるけれど、長続きすることはなかった。
こっちの大学に、来た時は千歳さんのことは、忘れかけていた。
社会人になって、1年たった頃、あのバーで泥酔した女性が、千歳さんだと、わかった瞬間――
眠っていた記憶が、鮮明に蘇ってきた。
千歳さんに、会えるなんて思いもよらなかったから、なんとも、不思議な感覚だった。
自分でも、気がつかないくらい、心の隅で、彼女に会いたいと、どこかで願っていたのかもしれない。
それを考えてみると、再会するまで、長い道のりを歩いてきたような気がした。
今はもう、あの頃の弱い子供ではない。
だから、
オレの限れた社会生活までに、貴女といつか、あの町へ帰りたいと思っている。
しかし…
それは、予想外に、早く訪れることになるとは…
考えもしなかった。
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