母の過去の出来事
去年の11月の下旬だった。
いつものように、お店の営業をしていた。
閉店後に、俊樹さんが、妙な咳をするようになった。
「俊樹さん、大丈夫?寒くなってきたから、風邪でもひいたの?」
「…けほっ……はぁ…そうかな?インフルエンザだと店を閉めなきゃいけないしね。」
私は、俊樹さんの額に手をかざした。
「今のところ、熱はないみたいだけど、念のため早く休んだほうがいいわ。」
「…うん。そうだね。」
私達は、店の近くに住んでいるアパートに戻り、その日は、布団を敷いて早めに床についた。
それから数日後、仕入れから帰ってきた俊樹さんが、激しく咳こんだ。
「…ゲホッ…ゲホッ!」
「俊樹さん!凄い熱!病院へ行きましょう!」
私は、慌てタクシーを呼んで俊樹さんを病院へ連れて行った。
診察を終えた時、医師が、入院するように促した。
「高熱と咳がひどいので、念のため、検査入院してください。」
「…で、でも…私には、仕事が…ゲホッ!」
俊樹さんは、咳こみながら医師に言った。
「お休みしてください。今、無理をすると長引く可能性があります。」
深刻な医師の表情に、一抹の不安が過る。
「先生、インフルエンザではないんですか?」
「…今は、なんとも。とりあえず、検査入院をしてください。」
医師は、
会釈して近くにいる看護師に指示をしていた。
しばらく、俊樹さんは入院することになり、お店は、休業のお知らせを出した。
私は、仕事が終わったのち俊樹さんの身の回りの世話をしていた。
俊樹さんと私は、内縁関係だった。
彼には、頼れる身内はいない。一人っ子で、ご両親はすでに、他界されて天涯孤独の人だった。
「…旦那さんの肺に影があります。この部分です。」
レントゲン写真に、指された部分には、白い影が映っていた。
「…あ、あの、手術すれば治るんですよね?」
「それはなんとも言えません。大学病院に移って精密検査の必要があります。」
担当医師は、そう言って、紹介状を書いた。
それから、大学病院に移ってから俊樹さんの検査は続くのだった。
ある日、
病院内を歩いていると、
「…祥子ちゃん?」
振り返ると、有里家の当主遥次郎氏が立っていた。
「…!ご当主…!」
「あはは、久しぶりだね。ワシはもう、当主じゃないよ。今は、娘婿に任しているよ。」
相変わらずの笑顔の遥次郎氏は、以前に比べて白髪とシワが増えていた。
「…遥次郎さんは、ここで何を?」
「うむ。ワシの友人が、入院しててな。見舞いに来たんじゃが…祥子ちゃんこそここで何を?」
私は、躊躇って、うつ向いてしまった。
「…時間があるなら、少し話さないかね。」
「……はい。」
私は、遥次郎氏と共に、病院内のカフェに入った。
「…源一郎のことは、すまなかったな。あいつは、母親が苦労してきて、体を壊したことを見てきたからな。どうしても、意見を曲げたくなかったんだろう。」
「…そう、ですか。」
思わぬところで、あの町の知り合いに会うなんて、世間とは狭いものだ。
「…祥子ちゃんは、京都にずっといるのかね?」
「…そうです。内縁の夫と小料理屋を営んでいたんですが…彼が、ここに入院してまして。」
「うむ。内縁の…」
「彼は、自分の店を持つのが夢だったんです。それが叶って、小料理屋を開くことが出来たんです。けれど…」
私は、項垂れて顔を両手で覆った。
「…病気なのかい?」
「…今は、検査中でわかりませんけど、おそらく…」
考えたくなかった。せっかく、俊樹さんの夢だったお店が繁盛してきたのに…
なんで、こんなことに…!
知らずのうちに、
涙がこぼれ落ちてきた。
遥次郎氏に、こんな話をしたくなかったけれど、やり場のない気持ちを誰かに聞いてほしかった。
「…祥子ちゃん、力になれることがあるなら言いなさい。源一郎には、内緒にしておくから。」
「…と、当主…」
「はは、元当主だがね。」
遥次郎氏は、私の肩をポンポンと軽く叩いた。
その数日後、検査の結果が出た。
「大変申し上げにくいのですが、旦那さんは、肺ガンに間違いありません。」
「…肺ガン?」
「ガン細胞が、かなり進行しています。手術をしても抗がん剤治療を受けていくしかないです。」
「…それは、もう完治しないということですか?」
「……おそらく。あと半年以て、1年の余命かと。」
「……っ!」
半年しか、俊樹さんは生きられないってこと?
何故?
何故ですか!神様!
俊樹さんは、自分の夢をやっと叶えられたんです!
それなのに、こんな仕打ちないじゃないですか!
私は、病室で眠る俊樹さんの手を握りしめた。
俊樹さん、私は、貴方に沢山の勇気をもらってここまできたの。
離婚して、貴方に出会ってお互いに自分の行く末を語り合ってきた。
息子の千彰に、再会した時イキイキしているって、言ってくれました。
貴方に会えて良かったと、心から言える。
だから、死なないで!
俊樹さん!
止めどなく溢れる涙は、彼の手首まで、流れ落ちていた。
それから、俊樹さんの闘病生活が始まった。
入院費用を相談するために遥次郎氏に会いに、あの町へ帰った。
極秘で、有里家の所有のホテルで会うことになった。
その後、実家に顔を出しに行ったけど…
まさか、東京にいる千歳と源一郎さんがいるとは思わなかった。
千歳は、顔を合わせると怒りをぶつけてきた。
あの頃の千歳が、大人になって実家いた。
元気に成長してくれただけで、もう十分だった。
千歳は、家を飛び出して行った。こんな時間から、東京に帰るつもり?
すると、源一郎さんが何かの鍵を持って2階に上がっていった。
あの町の家か…
私は、そう悟った。
今の私には、千歳を引き止める勇気も気力もなく、ただ、俊樹さんの現状を考えることだけで、精一杯だった。
その後、実家で一泊した後朝イチで、京都に戻ったのだった。
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