神様がいる
大きな火に生きながら焼かれたのは、トラウマになるだろう。
そんな事を思いながら琥珀は目を覚ました。
あの母親だから、病院に居るなんて出来ないだろうし。
人生の計画が全てパアだな。
苦虫をかみつぶすような気持ちとはこういう気持ちだろうと、琥珀は身体を起す。
そして、何でもないように身体が起せたことに疑問を持った。
改めて周りを見回すと、そこは病院ではなかった。
真っ白な雲の上。
そう表現するのが適切な場所に琥珀は座っていた。
目の前に立っている人物を見る。
その人物はじっと琥珀を見降ろしていた。
周りには人はいない。
いや、遠くに何人かいるようだが、それは遠すぎて誰がとか何人とかも確認が出来なかった。取り敢えず目の前の人物を見る。
金髪の巻き毛で青い瞳。
凛々しい顔立ちは日本人ではない。
赤と金色の甲冑を身に付けて、足にも金属製の具足のようなものを履いている。
前に家族に隠れてテレビで見た映画に、こんな人がいた気がする。
確かローマ時代の歴史スペクタクルだったはずだ。
琥珀はその人を見上げたまま、心の中で首を傾げる。
コスプレイヤーなる人物に知り合いはいなかったはずだが。
その男は琥珀を見降ろしたまま、溜め息を吐いた。
それからおもむろに話し始める。
「君が巻き込まれたのは不幸だった。」
この人物が言う事に、何か真実があるのか。
琥珀は耳を傾ける。
「勇者の召喚の為に魔法が発動した際、余った魔力が漏れて辺りを焼いたらしい。その焔に捲かれて何人かが犠牲になった。そのうちの一人が君だ。」
勇者?召喚魔法?
琥珀は聞きなれない言葉に対する疑問はいったんおいておき、彼の言葉を聞く。
「君以外の人間に事情を説明したところ、何人かは前の世界に所属したまま死亡する事を望んだ。何人かは異世界への転生を希望したので手続きを行った。…君はどうしたいのか。」
琥珀の頭の中で疑問符が激しく飛び交っている。
目の前の人物の言葉が上手く入ってこない。
多分死後の世界という物だろう事は分かったが、こんな風に説明をされたりするものだとは聞いた事がなかった。
もっとも、死んだ後の事を書き記すことなんて誰にもできないのだから、世間に見聞が残っていないのは当たり前だろう。
「…どうやら、勇者たちが起きたようだ。時間があまりない。君はどうしたいのか早く決めて欲しい。」
非常に事務的に聞いてくる人物に、琥珀はどうすればいいのか考えつかないまま質問をしてみようと思い、口を開こうとしたその時だった。
遠くに離れていた人物たちの方から大きな声が上がった。
驚いてそちらを見る。
琥珀と同様にそちらを見た甲冑姿の男も眉を顰めるほどの大声だった。
「…勇者たちか?いったいどうした…。」
それから先の言葉は続かなかった。
物凄い勢いで数人がこちらに向かって走ってきたからだ。
学生服を着た集団は怒った様な顔でこちらまで来ると、甲冑姿の男を見て満足したように頷いた。
先頭に居た少年が乱れた息を整えると、大きな声で怒鳴った。
「なんだ。ちゃんとした神が居るじゃないか。何であんな化け物が俺達に説明をするのか分からなかったが、呼ばれた場所が違っていたんだな!」
満足そうに少年が肯くと、周りの少年少女たちも微笑んだ。
「勇者って言われたのにモンスターが説明をするのが間違っていたのですわ。」
「あれはないだろう、何処の汚物だよ。」
「言葉を喋れるだけの屑なんていりませんよね。」
それぞれが口々に言っている言葉を聞いて、甲冑姿の男が顔をしかめた。
「…お前たち、あの方は」
「さあ、神よ!俺達にチートな力を与えて転生させろ!!」
男の言葉など聞かずに、少年が嬉しそうに叫んだ。
琥珀はまだ座り込んでいるが彼らの目には映っていない。はなからそこに居ることすら分からないかのようだったが、琥珀には慣れた事なので気にもならなかった。
「…俺から与えることはしてやれるが、本当にそれでいいのか?」
甲冑姿の男の言葉になんの疑問も挟まず、少年たちが肯く。
溜め息を吐いてから男が手を振るうと、彼の手の先から光が放たれ、少年たちの身体を包み込んだ。
「おお!?すげえ!!」
「これがチート…憧れていましたわ。」
「何でも出来そうな気がするぜ!?」
「取り敢えず、魔法を使ってみたいです。」
そんな事を言っている少年たちを腕の一振りで消すと、男はまだ座ったままの琥珀に目線を落とす。
「…君にいうのも何だが、言わせてほしい。」
男があまりな表情で言うものだから、琥珀は肯く。
「今回の勇者はハズレだな。」
勇者というのがいまいちよく分からないが、人としてはかなりハズレだろうと思った琥珀は彼の言葉に肯いた。
そんな琥珀の視界に何かが入った。
何かが動いた方向を見ると、先ほどの勇者たちが来た方向で、何かがゆらゆらと蠢いているのが分かった。何かは歩いてこちらに来ていたが、ばたりと途中で倒れた。
男が走り出したので琥珀も走ってついて行く。
そこには見た事がない生物が倒れていた。
長い髪の毛が生えているしローマのトゥニカ風の衣装を着ているから、女性だろうと推察されたが、その体は丸く肉がヒダのように身体を包んでいて、芋虫のようにも見えた。
流れている体液も緑色だったから余計にそう見えたが、ヒダに埋もれている顔は人間の物だったから人であるのだろう。
たるんでいる肉の間から小さな手足が出ているから、やはり人間には違いない。
しかし、酷いけがをしていて苦しそうな息を吐いている。
よく見れば腹に当たる部分から体液が出ていて、まだ止まってはいなかった。
琥珀は近づいてその人物の呼吸を確かめる。
浅いがしっかりした呼吸だった。自分のシャツを脱いで腹の肉をよけながら傷口を押さえる。まずはこの体液を止めた方が良いだろう。
辺りを見回すがもちろん病院などないし、救急箱も無い。
如何したものかと隣に立っている男を見上げると、何故だか優しく微笑まれた。
「…大丈夫だ、俺が治せるから。」
そう言うと男はまた、手の先から光を出し女性の身体を包み込む。
その光が傷を治していくのを見て、琥珀は力を入れていた手をひっこめた。
女性が立ち上がるのを見上げると、肉に埋もれた奥から小さな瞳が見えて、その眼が笑ったような気がした。
「有難う少年。」
女性の声だろう言葉に、琥珀は首を振る。
何も出来なかったのが事実だ。それにしても大事が無いのは良かった。血が流れるほどの傷は相当痛い事を琥珀は知っているからだ。
「一体どうされたのですか。」
甲冑姿の男が眉を顰めると、女性は長々と溜め息を吐いた。
「勇者候補の一人が刃物を所持していて、それで刺されたのです。」
女性の声は聞いた事がないほど透き通っていて、美しい。
「…あいつらは、駄目でしょうね。」
男が言うと、女性も深く肯いた。
二人が話しているのをぼんやりと眺めながら、琥珀は自分の身の振り方を考えていた。先に聞いた話を思い返すと、あの世界に帰るという事は死ぬことらしい。そしてもう一つの選択は別の世界に生まれ変わることらしかった。
どちらにしろ苦痛だ。
死ぬのはもちろんだが、もう一度やり直すのは困った。
あのつらい時間を二度も体験するのはごめんこうむりたい。
琥珀がじっと動かないでいると、男が声を掛けてくる。
「…話は逸れたが、君の事を決めなければならない。どうしたいか決まったか?」
選択肢は他には無い。
だが状況が把握できないまま選択をする事は、琥珀には無理だった。
「質問をしても良いですか?」
「…ああ。時間はもう十分にあるからな。何せ勇者たちはもう生まれてしまったし、残るは君だけだから。何が聞きたい?」
琥珀は慎重に考えながら聞く事にする。
「生まれ変わるとして、どういった状況で生まれ変わるのですか?記憶とか知識とか。」
「それはもちろん、お詫びとして生まれ変わらせるのだから持っていってもらうことは出来る。望めば消すこともできる。」
琥珀が肯く。
「赤ん坊から始まる訳ですよね?」
「転生だからな。生まれる所から始めて貰う。」
琥珀は少し考える。
ある意味何かのプレイっぽいが仕方が無い。
ただそこからだと、暴力には抵抗できないな。
琥珀が小さく溜め息を吐くと、男が困ったように笑う。
「君は転生を望むのだな?それなら俺から祝福を授けることが出来る。」
「祝福?」
琥珀は先程の勇者たちの事を思い出す。
「…チート的な何か、ですか?」
それが何を意味しているのかは知らない。
ただ、常人がとても欲しがるものなのだろう。あんなに喜々として言ったのだから余程の物に違いない。
琥珀の言葉を聞いて、甲冑姿の男は苦笑を浮かべた。
「残念ながら、俺が与えられる祝福はそれほどの物ではない。」
「え?」
琥珀は疑問の声を出してしまう。
先程の者達はそう言っていたはずで、彼もそれに答えていたはずで。
ああ、いや、違うか。
琥珀はこくりと頷いた。
男は勇者たちの言葉にそれでもいいかと聞いていた。自分の与えるものでもいいのかと。それは彼らの望んだ力ではなかったからだったのか。
「…私なら授けられます。」
女性が美しい声でそういった。
琥珀は彼女を見る。
相変わらず不思議な形だが、その声だけで彼女が清らかなものだと思えてしまうほどの威力がある声音だった。
「あなたは、私の形に拘らないのですね。」
女性がそう言って笑った。
先の者達の反応が余りだったからだろうか。
琥珀はまたこくりと肯く。容姿など関係ない。自分の母親は一般的には美人の部類だったろうが、中身は違っていたから。
「あなたが姿を変えている事も勇者たちには試練だったのですが。」
甲冑姿の男が溜め息を吐く。
女性は笑って答えた。
「相手の本質が見抜けないのは仕方のない事。それは今までの勇者たちにも言えます。ただ、たとえ容姿が魔物だったとしても、語る事には耳を傾ける。それぐらいの度量がなければ勇者として生きてはいけないでしょう。」
「右も左も分からない状況で、判断基準を与えてくれる相手を見抜けないとは残念です。」
女性が短い右手を上げた。
その手の先から柔らかい光が出て、女性自身を包み込む。
琥珀は眩しくて目を閉じた。十秒数えてから目を開けるとすでに光は消えていて、琥珀の前にはこの世のものとは思えないぐらい美しい女性が立っていた。
琥珀は心の中で肩を竦める。
最初からこの姿だったら、あの勇者たちも言う事を聞いただろうに。
けれどあの人達だったら、たとえこの姿でも言いたい事を言って話しを半分も聞かないかもしれないとは、女神に悪くて口には出せなかった。
「私はこの世界を司る女神です。この者は闘神。私達はこの時空の狭間で勇者になる者に力を与えてから送り出しているのです。」
成る程という意味も兼ねて、琥珀はまた頷く。
言葉の意味は分かるが、心理的にはさっぱり理解できていなかった。
そういう物語は幾つか読んだ事があるが、ゲームを全くしない琥珀には縁遠い世界観だから頭がついていかない。
その琥珀の表情を見て、闘神は苦笑を浮かべる。
「最近は何を言わなくても分かり切っている様な顔で語りだす勇者たちが多かったから、君の様な分からない顔をする人間は逆に新鮮に見える。」
「そうですね。…あなたの名前は?」
女神に聞かれて、自分が名乗っていない事に気付く。
他人、いや神様なのだろうが、誰かに名乗るのはかなり久しぶりな気がする琥珀は、何だか居心地が悪い気持ちのまま、名乗る事に抵抗しても仕方ないと思い自分の名前を口にする。
「琥珀と言います。」
「そうですか。宝石の名前ですね。」
名前を付ける時に、たまたまテレビで虫の死骸が入っている宝石だと知ったから、その名前にしたのだと聞かされていた琥珀は苦笑を浮かべた。
喜ばれて付けられた名前ではない。
「では琥珀。あなたに祝福を授けましょう。…この際ですから全員分差し上げます。」
この際って何でしょう。
そうは聞けない琥珀は、女神の周りに七色の光の玉が出現するのを黙って見ていた。女神が右手を琥珀に向けると、その光が次々と琥珀の胸に吸い込まれていった。自分の中に消えていく光を呆然としながら受け入れた琥珀は、身体の中がほんのりと温かい事に驚く。
女神の横で闘神が驚いた顔をしていたが、ニヤリといたずらな顔で笑った後に同じように琥珀に向けて右手を差し出した。
「俺からの祝福も受け取れ。そもそも君の担当は俺だった訳だしな。」
闘神が同じように右手を琥珀に向ける。
その光は薄赤く所謂ピンク色で、先程見た光と変わらずに自分の胸の中に納まっていくのを琥珀は黙って見ていた。
「…ふふふ。あなたは器が大きいようですね、琥珀。」
ぼんやりと次の説明を待っていた琥珀は、女神がふいに笑ったので闘神を見ていた目線を女神に移し、それからぎょっとする。
彼女の身体から、得体の知れない黒い色の靄が出て来ていたからだ。
それに伴い、女神の身体が色を変えていくのを琥珀は驚きと共に見つめている。
女神は黒い靄を身に纏い、髪の色から肌の色まで変化をしていく。
それを見た闘神が急に琥珀の傍に駆け寄って来た。
「まずい。女神さまの暗黒側が。」
「何を恐れているのだ、闘神よ。」
真っ黒な女神は、その声まで変わっていて、先ほどまでの美しい声とは程遠いしわがれた低い声で闘神に語り掛ける。
引きつった顔で琥珀に屈み込んでいた闘神は、ゆっくりと立ち上がると諦めたように首を横に降った。
「何も恐れてなどいませぬ、我が神よ。」
「そうか。…琥珀、お前にわしから更なる祝福をやろう。耐えきれたならそれこそ、わしと同等の力が手に入るぞ?」
そう言ってから手を一振りし、金と銀、白い光と黒い光の塊を空中に浮かべると、琥珀の身体に叩き込んだ。
琥珀は衝撃で後ろに吹き飛ばされながら、拒否権って無かったんだろうなあ、などと今となっては遅い愚考をしながら、喉元に込み上げてくる血の味に苦笑を浮かべる。
吹き飛ばされた琥珀の所に歩み寄り、倒れている琥珀の横で屈み顔を覗き込んだ黒い女神はニヤリと笑うと左手で琥珀の顔を撫でた。その冷たい感触に琥珀の背中がぞくりと震える。
「息をしているな。よかろう。地上で好きにするがよい。」
そんな事は望んでいませんが。
その台詞もまた言えない琥珀は、女神が足で転がした先に在った雲の切れ目から地上に落下してゆく。
焼死を体験した後に墜落死も体験って、勘弁してよ。
そう思いながら堕ちていく琥珀を笑いながら見ている黒い女神の後ろで、闘神はひたすらに心の中で謝っていた。