黒い王子様Ⅰ
「なによあれ――」
大木に背中をぴったりとくっつけ、隠れるようにして〈ベネッサ〉は呟いた。
激しくなる動悸に合わせ、呼吸は規則性を失っていく。見間違いだと信じたかったが、背中を預ける大木の後ろから聞こえる大きな足音と木が倒れる音が、それは現実だと言ってくる。
自然と呼吸がしやすいように上を向いた。
そしてゆっくりと目を瞑ると、自分がなぜこんなことをしているのか思いだし始めていた。
自分は確か防具の着色のための花を取りに、〈クラングウッド大森林〉に来ていたはずだ。必死で集めた素材で作った、機能性よりも見た目を重視したお気に入りの防具を、自分好みの赤色に変えるために。
ベネッサは自分の貧乏性が憎くて仕方なかった。
防具の着色に必要な素材の量は、装備の面積に比例する。これで本当に攻撃が防げるのかというほど面積が少ない鎧。それほど着色花は必要ではなかったはずだ。それくらい解っていた。
しかし装飾品に使うかもしれないからあと一個、他の防具に使うかもしれないからもう一個と森の深くに進んで行くうち、気づけば出現するモンスターのレベルは自分のレベルを大きく上回っていた。
クラングウッド大森林はフリーフィールドエリア。入口付近は初心者レベルの素材やモンスターしか出てこないが、奥に進むに連れて素材は高価にそしてモンスターは強力になっていく。
それでも、レベルが高いだけの雑魚モンスターなら一人でも大丈夫なはずだった。
ケチりつつも強化していった自分の大戦斧。威力だけなら自身はある。片手で数えられるくらいのモンスターなら――。
――しかし。
「あんなの出るなんて知らないよあたしゃ・・・」
ベネッサは恐る恐る、時間をかけてゆっくり木から顔を出す。
〈そいつ〉の姿が視界に入る。〈そいつ〉を知らない奴が見たら、まずデカイトカゲの化け物だと比喩するだろう。確かにデカイトカゲだ。しかしその〈デカイ〉ってのも2メートルだとか3メートルとか、現実レベルのデカイじゃない。
顔は軽乗用車くらいデカイ。そこから同じくらいの太さの首が続き、胴体に繋がっている。胴体はバスくらいデカイ。そこから自分の隠れる大木くらいデカイ脚が四本伸びてて、上側にはそれまたデカイ一対のコウモリの羽のような翼が生えている。胴体から伸びる尻尾はデカイ上に太くて、同じくらいの太さの大木を触れただけでなぎ倒していた。
まるで〈デカイ〉のオンパレード。何を説明するにもその言葉が必要になる。
あと付け加えるとするならば、燃えるような赤い鱗に身を包み、口からは涎のように零れる火炎が見え隠れしていた。
そう、やつはドラゴン。
ドラゴン相手に、この握りしめるデカイ大戦斧は、あまりにも心もとなかった。
「せっかくこれだけ集めたのに・・・。 見つかったら全部パーですやん」
着色花の希少価値は低い。倒されでもすれば、確実に〈デスペナルティ〉の対象となってロストするだろう。
ベネッサは息苦しくなりつつも、それをどうにか制御し頭を回転させる。
しかしこういうときほど無駄なことが頭を駆け巡る。一種の現実逃避のように。
せっかく髪も好きな赤色にしたし、この大戦斧だって赤色の鉱石で可愛らしく装飾した。そういえば昔っから赤色が好きだったなー、男勝りな性格ゆえに赤が好きだと言えばよくヒーローもののリーダーに例えられたっけー。それでも可愛いものには憧れが・・・。
「あかん。 なんも思いつかへん」
いよいよもってベネッサは考えるのを諦めかけていた。
そして最終的に、ドラゴンが気づかずに通り過ぎることを祈りだした時、隠れる大木の後ろでとてつもない咆哮が聞こえた。
それが生物の鳴き声だと誰が信じるだろう。音とは空気の振動だとは聞いたことはあるが、それはそんな生易しいものではない。まさに衝撃、見えない壁がいきなり後ろから襲いかかってきたような感覚。
条件反射で体が委縮する。
「み、見つかってしもた!?」
大木にぴったり体をくっつけていたはずだったが、何かの拍子に気づかれた。ベネッサはそう思った。
しかし、咆哮は聞こえど飛びかかってくる様子はなかった。
恐怖で戦斧を握る手は力を増したが、見つかったならいつまでも隠れているわけにはいかない。
確かにドラゴンは何かしらに向かって吠えている。それだけは解っている。そして自分に向かってじゃないことも徐々に理解してきた。
ベネッサはまたゆっくり、ゆっくりと顔を覗かせた。
すると見えてきたのは、巨大なドラゴンと対峙する、一人の男。
黒い外套(がいとう/コート)に身を包み、片手にはショートソードを持った剣士。
彼は自分の体躯の何十倍もあるドラゴンに、一切臆することなくただ剣を構えていた。
ベネッサは謝罪と気の毒な気持ちでいっぱいだった。
戦うわけでも逃げるわけでもない、自分が動揺してずっと隠れていたばっかりに、彼が気づかずドラゴンに出会ってしまった。
彼の装備が取り立てて強そうなものでなかったのはベネッサにも理解できた。
ベネッサの装備は面積だけは少ないが、装備レベルとレア度はそこそこ高い。彼の装備と比べても幾分かはマシだろう。彼の手に握られたショートソードも、ドラゴンと比べれば爪楊枝にしか見えない。
今から出ていき自分も一緒に戦えば――。
一瞬頭によぎる。しかし、初心者のような彼と、初心者に毛が生えた程度の自分。結果は火を見るよりも明らかだ。
ドラゴンは強い。強そう、ではなく強いのだ。
半獣半人系のリザードマンやドラゴニュート(竜人)とはわけが違う。モンスターの中でもトップクラスのタフネスとパワーを有し、耐性の多さでもアンデット系最強と謳われる〈リッチ〉やヴァンパイア系のモンスターと同格以上、一番弱いとされるドラゴンでもレベルは40を軽く超える。
ベネッサは迷っていた。
彼が倒れるのは遅いか早いかだけで確定事項だ。
今一度大木に身を隠した時、小悪魔のような声が聞こえてくる。
今のうちに逃げてしまえばいいじゃない。だって他人だもの。初心者のうちはあたしもよくあったじゃない。迷って帰られなくなり、強いモンスターに襲われて努力がパー。
ラッキーじゃない。彼のお蔭であたしの防具は大好きな赤色に変化するのよ。
その言葉は自分自身が生み出した身勝手な幻聴にしか過ぎない。だが行動を決断するには十分すぎる要因だった。
「勘忍してな」
えへ、と笑みを漏らし片手を顔の前に立て軽く会釈。彼に気づかれることのない精一杯の謝罪。
ベネッサの気持ちは決まった。
大木を背中で弾いて反動で離れる。そして逃げおおせるための大きな第一歩を、
「ガゴオォォォォォォォォッ!」
踏み出すかどうか、後ろからけたたましい鳴き声が聞こえた。
ドラゴンから発せられたものだと理解するのに時間はいらない。しかし違和感が残る。
咆哮、というより、苦痛によりこぼれ出た悲鳴のような雰囲気だと、ベネッサは直感的に思った。
理解が追い付かないベネッサは、振り向くしかなかった。
また大木に寄り添い、顔を覗かせる。
「ええ、なんやの」
ベネッサは、その光景を目の当たりにしても、いまだ理解するまでに時間を必要とした。
状況をいち早く理解するためひとつひとつ確認していく。
ドラゴンは左前脚を負傷しているようだった。付け根よりも少し下には大きな横一文字の明滅する赤い線が現れている。その痛みによってか地面からは少し――と言っても数メートルはあるが――脚を地面から浮かせていた。
ドラゴンの表情は、それが何を意味しているのか手に取るように解る。巨大な口を引きつらせ、牙をむき出しにしている。
怒り。ドラゴンは怒りを露わにしていた。
炎を混じらせながら鼻息を荒くして怒るドラゴン。
そして、対峙する剣士。
ありのまま、見た光景から答えを出すなら、その爪楊枝のような剣でドラゴンに一撃を浴びせその一撃でドラゴンは負傷しぶち切れている。
そう考えるしかなかった。
――でもどうやって?
というベネッサの疑問を組むように、彼はそれの答えを出してくれる。
一切の躊躇い無く彼はドラゴンに飛びかかるように跳躍し、その持っている剣を振りかぶりドラゴンの額に力いっぱい振り下ろす。
金属と金属が高速で衝突したかのような音が響く。
火花を炸裂させながら大きく口を空けるドラゴンの額、その小さな剣はドラゴンの強固な鱗を軽く切り裂いた。
また聞こえる巨大な鳴き声。小さな人間が与えたとは考えられない衝撃に、ドラゴンは痛みを振り払うように頭を振りながら数歩後ずさりする。
「すご・・・」
口を空けたままにしていることも忘れるほど、ベネッサは見入っていた。
体の大きさの差にも全く動じず、ドラゴンを圧倒する彼の姿に、ベネッサは虜になっていた。
ドラゴンが身を回転させる。その巨体からは考えられないほどのスピードで。
あの大きな体がそのスピードで回転すれば、緑の地面は一瞬で茶色に変化し草木は宙に舞う。そして回転する体を追いかけるように、極太な鞭のような尻尾がついてくる。
大木のような尻尾を、彼は剣で受け止める。大木を、その枝で止めるかのような荒業。
そしてドラゴンの渾身の一撃は、ドラゴン自身に悲劇をもたらした。
あのスピードで、剣に向けて尻尾を振り切ったのだ。
動かなくともするどい剣に猛スピードで物を振るのは、猛スピードで剣を振られるのと同じ。
置いてある包丁に大根を振り下ろすのも、置いてある大根に包丁を振り下ろすのも一緒だ。
ドラゴンの吐き出すような小さな悲鳴に合わせて、ちぎれた尻尾がはるか遠くで音を立てて落ちた。
ただそれでもドラゴン。傷を負い尻尾を失ってさらに冷静さを見せる。
ドラゴンは怒り狂い暴れるなどはしない。怒っているときほど、冷静に対処できる強かさがあるからこそドラゴン。
ドラゴンは息を大きく吸い込んだ。
倍に腹を膨らませたドラゴンを見れば、次に何をしようとしているかなど誰でも解る。
目標をしっかりと定め、ドラゴンは腹に溜めた息を一気に吐き出した。
吐き出した息は口から出た瞬間に炎へと変わる。爆炎は雪崩か津波のように広がりながら、対峙する彼を一気に包みこんだ。
普通ならここで勝利を確信し表情を緩ませるだろう。
しかしドラゴンの視線は燃え上がる炎の中心から逸らされることはなかった。
遠くから見守るベネッサも、その炎に魅入られたように見つめていた。
徐々に炎の勢いは弱まり、焦げた大地が姿を見せる。近くにあった草木はもちろん燃え尽きた。当然彼も骨まで残さず――。
――しかしドラゴンは怒り、ベネッサは歓喜する。
彼の姿が見え始めたからだ。
そしてその全容を見てドラゴンも、ベネッサも驚く。
彼は剣を地面に突き刺し、その剣の腹を盾として火炎を防いでいた。
だがその剣は、先ほどの剣とは全く違うものだった。
身幅(みはば/刀身の一番広い部分の幅)は彼を完全に隠し、深く地面に突き刺さっていることも考えても刃渡り(はばたり/柄の部分から切っ先までの長さ)は彼の身長を優に超えている。
そしてその剣の見た目。鍔(つば/刀身と柄の間ある広がった部分)はねじ曲がった雄山羊の角を彷彿とさせ、刀身は禍々しくも美麗な装飾を施されていた。誰が見ても解る。細く短い剣は、まったく違う仰々しい大剣へと変わっていた。
いつの間に得物を変えたのか、という疑問もつかの間だった。
彼は地面に突き刺したその大剣を引き抜き、そのままドラゴンにぶん投げた。
ドラゴンさえも予測できなかったその攻撃。避けることもできず大剣はドラゴンの体に深々と突き刺さった。
そして彼は跳躍する。そしてなんとその手には、投げたはずの大剣。
投げられたはずの大剣は、変わらず刀身の三分の二をドラゴンの体に隠したままである。しかしそれと全く同じ大剣が、彼の手にあった。
そのまま空中で大きく振りかぶり、彼は大剣をドラゴンの首元に振り下ろす。
もう鳴き声も出すことはなかった。
彼の着地音に合わせ、ドスンと重いものが落ちる音がする。それに合わせ緊張の糸が切れたかのように、ベネッサは色々な感情が胸の中から湧き上がるのを感じた。
そして恐怖によるものではない震えが止まらなくなり、
「なんやの!? あの人なんやの!? ドラゴンを一人で、っていうかあの武器とか、どういう仕組みで、いや! そんなことよりも」
ベネッサははしゃぐように一人言を連続させる。
彼について色々と疑問や質問はあふれ出ていたが、それよりもベネッサはクゥーと身を震わせると、
「かっこええ・・・」
ため息を吐くようにその言葉を漏らした。




