プロローグⅠ
社会的地位の喪失、信頼すべき相手からの裏切り、未来への希望を失った状態、人はそれを〈絶望〉と呼ぶ。
ただ万人が総じて、それを絶望と呼ぶかというと、一概にそうとは言い切れない。
会社を突然辞めさせられた、恋人に振られてしまった。そんな中でも希望を捨てずに前に進める人間は必ず存在する。
〈絶望〉というのは、人の価値観、思想、経験の差で認識に大きく差異が生じるものだ――。
――しかし、それを踏まえて、「この目の前に広がる光景は絶望か否か」という質問をすれば、誰しもが口を揃えて答えるだろう。
――まさしく絶望だ。と。
広大な大地を埋め尽くす異形の怪物――モンスター――ども。「数は?」と問われれば、「たくさん」「いっぱい」としか答えようがない。
姿はまちまちで、一つとして同じようなものはいない。ドラゴン、鎌を持った悪魔、骨だけの体に甲冑を着込んだ兵士、巨大な四足二翼の怪物、ゼリー状の体を持つ生物、目の前のモンスターたちの姿を、ひとつひとつ説明していけばキリがない。
それほどまでの異形の軍勢にも、ただ一つ共通点がある。
それは、目の前のたった数十人の人間たちに、今まさに襲いかかろうとしていることだ。
戦力差は数十倍から百数倍。百戦錬磨の軍師でも匙を投げるだろう戦い。
もしも戦闘における最も重要なものが兵士の数だというのならば、結果は火を見るより明らかだろう。
――では装備の差が重要だとしたら?しかしそれも目に見えている。
一人は鉱石から製造された鈍色の軽装鎧を装備し、両刃のロングソードを構えていた。ただその布の面積の方が多い鎧は、ドラゴンの鋭い爪を防ぐことが出来、その頼りないロングソードはドラゴンの強固な鱗を断つことが出来るのだろうか。
一人は野獣の皮を鞣した浅緑色のマントと狐色の軽装備に、大柄のロングボウを手に持っていた。しかしその服と相違無い装備は、悪魔の持つ鎌から自分の身を守り、その取り回しに技術の要するロングボウは素早く飛び回る悪魔の翼を射抜くことが出来るのだろうか。
その純白のローブは、その真紅の鎧は、そのショートソードは、その戦斧は、異形の軍団の爪や牙、鱗や甲殻に等しい価値があるのだろうか。
そんなささやかな装備で抵抗したところで、答えは決まっている。
何かを皮切りにして、この戦闘の火ぶたが切られた時、雪崩か津波の如く異形の軍勢は彼らを飲み込んでいくだろう。
一瞬にして戦闘は終わる。違うのは早いか遅いか。しかしそれも微々たるものだ。
待っているのは、絶対的な〈死〉
いわばこの緑の大地は断頭台、そして異形の軍勢は今まさに振り下ろされようとされるギロチンの刃。
そして彼らは、いつ振り下ろされるか解らないギロチンに震える罪人。
これを〈絶望〉と言わずして、何が〈絶望〉だと言うのか。
どんな英雄でも、断頭台にかけられれば希望を捨て去り、小さな奇跡にさえもすがるのを辞めてしまう。
そこに差は存在しない。それこそが――。
――ただ。
価値観、思想、経験でそれは変わる。
それでもそれがそうであると、思わない人間は存在する。
そんな中でも前に進める人間は存在する。
その最たる彼が、異形の群れへと突進した。
鈍色の外套(がいとう/マント)をたなびかせ、戦場に響き渡るほどの咆哮と共に矢のように一直線に走っていく。
目標は何重にも張り巡らされたモンスターの壁。
それを開戦の合図と取ったモンスターたちは、地響きとも取れる唸り声を一斉に発しながら進軍し始めた。
同時に、純白のローブを纏った少女が、突進する彼に短杖を向けて呪文を詠唱し始める。
短杖の先が赤い光に包まれていく。
点滅しながら大きくなる光は、最大限に輝くと、短杖に吸い込まれるように一気に収縮した。
「ブレイブハート!」
少女が叫ぶ。
すると走る彼の体が、薄く赤色に輝きだした。
自分の攻撃力が底上げされるのを感じた彼は、見えない一本の棒を掴むように両手を構えた。
そして意識を空を掴む両手に向ける。
次の瞬間、何も持っていなかったはずの両手に赤色の光を纏って巨大な剣が出現した。
――巨大。いや、その言葉でも足りないほどその剣は大きかった。
柄の部分だけで並みの剣ほどの大きさがあり、刃の部分は数メートルはある。
見た目は無骨な片刃のロングソードではあるが、その存在感は圧倒的だ。
その巨剣の出現に、彼の背を追う仲間でさえ表情を引きつらせる。
棘のような赤い鎧を纏った一人の男は、その剣に見覚えがあるのか、敬意と呆れが同時に襲いかかり口を開けたままにした。
「〈試作型対艦刀カラドコルグ〉・・・。あいつあんなものまで・・・」
モンスターの軍勢にぶち当たる寸前。
彼は立ち止まり、両手に持った巨剣を地面と水平に後ろに引くように構えた。
同時に、突っ張るように両足を開け、上半身を90度回す。
視線は前方を向いたままだった。
そこから冷静に、モンスターの横隊の薄い部分を探し出す。
それはすぐさま見つかった。
巨大なドラゴンやオークに紛れて、ゴブリンや骸骨の戦士が並ぶ部分を探し当てた。
ふう、と大きく息を吐き出し、自分の体が回転するほどの勢いで両手を横に振り切った。
直後、限界まで引き絞られたカタパルトが弾かれるように、とてつもない速度で巨剣がモンスターの大群目がけて発射される。
赤色の光を宿す鉛色の巨剣は回転し、薄い赤色の軌跡を一直線に描きつつ大群へと直撃した。
最前列に居た骸骨の戦士たちはその衝撃によりバラバラになりながら周囲を巻き込み爆散し、ゴブリンたちもまた同じように消し飛んだ。
それでもなお巨剣は止まることは無く、ガラガラガラガラ!と激しく音を立てながらモンスターたちの中を進み続けた。
貫通、とまではいかなかったが、その巨剣の一撃は重厚な横隊に確実に穴を空けた。
しかし、大群にとってそれは致命傷とは成りえない。
一直線に空いた穴を、すぐさま埋めようと左右からモンスターたちが集まってくる。
彼はもう一度同じように空を掴むように両手を構える。
しかし、それを制するように、後方から二人の女性が彼を追い抜いた。
片方は面積の少ない深紅の鎧を装備し、身の丈ほどありそうな戦斧を握った女性。
片方は浅緑色のマントを羽織り、大きなロングボウを持った女性。
追い抜きざま、真紅の鎧の女性は彼を一瞥すると、片目をパチリと瞬きして合図した。
「うちらに任せてな」
風のように通りすぎる二人の背を見て、彼は小さくうんと頷いた。
深紅の女性は先ほど空いたモンスターの軍勢の穴に躊躇うことなく突っ込んだ。
モンスターはそれを押しつぶそうと波のように迫り来る。空いていたはずの穴は、既にふさがり始めていた。
自殺行為に等しい暴挙。しかし、そんなことを微塵も感じさせず、深紅の女性は軍勢の中央で戦斧を構えると、戦斧の重さを利用し回転し始めた。
ハンマー投げの要領で、回転は次第に速度を増し始める。
そしてその回転が最速に達した時、深紅の女性は戦斧をかちあげるように頭上に振り上げた。
「ハリケーンアクス!」
直後、深紅の女性を中心に小さな竜巻が発生する。
小さな竜巻は、集まりかけたモンスターの軍勢を吹き飛ばし、塞がりかけた穴を今一度大きく開けることに成功した。
満足そうに笑みを漏らしたが、それもつかの間、真紅の女性は慌ててその場より退避する。
深紅の女性が退避する直前に見たものは、ロングボウを頭上に構えて「レインアロー」と呟く浅緑色のマントを羽織った女性であった。
深紅の女性が逃げた後、その場に何十何百という数の矢が降り注いだ。
薄い青色の光で出来た矢の雨は、周りのモンスターを次々と射抜いていく。
巨大なオークはその体躯が災いしてか、数十本の矢を体に受け絶命した。空を素早く動く羽付きの悪魔も、面で襲ってくる矢にはどうしようもなく地に墜ちる。
――あと少し。
モンスターの軍勢の穴は、少しずつではあるが、確かに広がっている。
モーゼが割った海のように、一直線の空間が、あと少しで貫通しようとしている。
ただその海の先はパレスチナではない。そしてその海を渡れる人間はたった一人しかいない。
そのたった一人を渡らせるため、命を賭けて皆が戦っていた。
鈍色の外套の彼が、開いたモンスターの海へと身を投じる。
それに続き、黒いバンダナを頭に巻いた若武者のような男と、棘のような赤い鎧を纏った男がモンスターの群れに入っていく。
左右から押しつぶすように遅いかかるモンスターから彼を守るため、若武者のような男は両刃のロングソードで懸命に応戦する。
赤い鎧の男は、穴を貫通させるために前方のモンスターたちに攻撃をしかける。
分厚かったモンスターの壁も、いよいよ貫通するときが来たようだ。
外套の彼は突き進んだ。
徐々に明らかとなるモンスターの後方の景色を睨み、使い慣れたショートソードを右手に出現させる。
人ごみが掻き分けられるように、見慣れた緑の大地が顔を出す。
そしてその中に、一人の人影を確認する。
それこそが彼の、そして全員の目的であった。
獅子をそのまま人間にしたような野性を放つ体躯と風貌。それでいてダイアモンドのような硬質さを感じさせる太い四肢。
まるで彼がここまでたどり着くのを待っていたかのように、腕を組み傲慢な笑みを彼に向ける。
彼がその獅子のような男の前に立つと、今まさに切り抜けたモンスターの軍勢の穴はゆっくりと閉じてしまった。
しかし、それは仕組まれた出来事のように、モンスターたちは彼の方に襲い掛かるなどはしなかった。
先ほどと同じように、蠢く群れは、ただひたすらにそのまま元の方向へと進軍を開始する。
彼はそれを気にも止めず――。
いや、それすらも余裕が無いのか、目前の獅子の眼から視線を逸らさずにいた。
金色の眼光は彼に応えるように視線を返す。
ゆっくりと、右手のショートソードを獅子へと向ける。
例えようのない様々な感情が湧き上がる。
それを制するように、彼は走馬灯のように思いだし始めていた。
この手に感じる冷やかな鉄の感触の意味を。そして、それを目前の男に向ける意味を。




