9幕 契約成立と精霊の注意喚起
「……どういう事ですか?」
『人生のやり直し』
今、目の前の精霊は確かにそういわなかっただろうか。
「あ、良かった。興味ある感じだね。えっとね、君は確かに死んだんだけど、君の魂は今、君がそこにいるようにまだ残っているよね。でもこのままだと依り所のない君はじきに消滅しちゃう。ここまでは大丈夫?」
俺は頷く。
「実はね、その反対で『魂』のないというか、どうやら壊れちゃったらしいんだけれど、それでも肉体だけはあるっていう10歳くらいの子供を僕は一人見つけてさ。もし良かったら、その子の身体の中に君の魂が入って、途中からにはなっちゃうんだけど人生をやり直してみないかって話があるんだけど、どうだろう」
まぁ、つまり、その子の人生を引継ぐ、みたいな?
と精霊はそう付け加える。
「……」
にわかには信じられない話。
だがもし本当だとするならば、それは願ってもみない話でもある。先程まで俺は、人生をもう一度子供の頃からやり直せればどんなに良いだろうと考えていたのだから。
「そりゃあ嬉しいですけど……でも、そんな上手い話があっていいんですか? というか、何故俺が……?」
「ああ、正直なところ、人は誰でも良かったんだ。君を選んだのは、君が今ちょうど死んだからだよ」
ちょっと急いでてさ、と精霊は言う。
「というのもね、これは君の為じゃなくむしろ僕の為でもあるんだ」
とその精霊は話し始める。
精霊の話は少し長くなったが、まとめると、こんな感じだった。
俺とは違う世界(というのが、あるらしい)に、ノエル・アルフオートという少女がいる。その子はどうやら何かがあって、心が壊れてしまったらしく(精霊はその原因を知らないとの事だ)、彼女は精神のない、肉体だけの状態になってしまった。しかし、彼女にはある才能があったらしく、そのままで放置されるには勿体無いという事で、精霊達は彼女を見つけると、我先にとその子の身体に入って身体を動かそうとしたとの事だ。
しかし、車に乗っても運転技術の無い人間がいないと車は動かないように、人間の身体も、同じく人間の身体の動かし方を知った者がいなければ動かないらしい。つまり人間は人間の精神がなければいけないらしい。彼女の精神が壊れてしまったという事実を前に他の精霊達が諦める中、どうしても少女の中に入りたかった精霊は、死んだ人間を探し始めた。その矢先に死んだのが俺だというらしい。
「つまり、その子の身体の中に君と僕とが同伴するってわけ。ドライブだと思ってくれれば。ノエルって子が車で、君がその運転手。僕は助手席に乗る人。それで君は人生をやり直して、僕はそれを見て楽しむってわけ、どう? よくない?」
「は、はぁ……」
信じがたい話な上に、疑問点だらけ。
俺が住んでいるのとは異なる世界とは、どのような世界なのか。彼女の精神が壊れる程の事があったという事は、彼女は何かしら酷い環境にいたのではないのか。そもそも精霊と一つの身体を共有するというのはどういう事なのか。1人の身体に2つの意識が入るという事なら、何かしらの行動を起こそうとした時の決定権はどちらにあるのだ。もしや俺は彼の思うがままに身体を動かす傀儡になるだけなのではないのか。
どうしても、言葉の裏に隠れた意味があるように思えてならない。
そして何よりの疑問点があった。
「彼女の持ってる才能っていうのは?」
「ああ、魔法だよ」
「魔法!?」
あまりにさらりと言うので、素っ頓狂な声が出てしまった。
「そう、魔法。炎が出たり、物を持ち上げたりするあの魔法。君達の世界なら、昔はあったみたいだけど……今だと見ないね。でも、他の世界と比べると、魔法が存在しない世界って方が結構珍しいんだよ?」
「……」
適当な言葉を並べただけのようにも聞こえる。
しかし、もしそれが本当であれば、まるでファンタジーの世界だ。誰もが一度は憧れたであろう世界にいける、という事になる。そんな世界で人生のやり直しが出来るのであれば……。
「色々聞きたい事はあるんだけど、あんまり時間がないんだ。他の誰かがあの器の中に先に入ってしまうかもしれない、君も精神体でこの世界に留まれる時間もあまり長くない。早いもの勝ちなんだ。君にとってこれは悪い話じゃないだろうし、僕もあの身体をなんとしても手に入れたい。なぁ、頼むよ、騙されたと思ってさ」
ぱん、と音を立て手をあわせ、頭を下げてくる。
騙されたと思って。
もちろん、そんな上手い話はなく、何か裏があるのだろうというのは重々承知ではいた。俺自身、結構騙されやすい方だとは思うし、実際色々と引っ掛かってきた方ではある。
しかしそれ以上に、人生をやり直せるという事に魅力を感じている自分がいる。このまま何もなせないまま人生が終わるくらいであれば、その年齢に戻って、もう一度、やりなおしてみたい。
「……もしそれを断ったら、このまま自分は消えていくしかないんですよね?」
それにそもそも、俺の身体はもう死んでいる訳だ。退路もない。なら、この話に乗らない訳がない。
そう聞きながらも、口角が自然とあがっていく俺がいた。
「そうだね……。でもその様子を見ると、君は消えるつもりなんてなさそうだよね?」
精霊もつられて同じように笑う。俺の意図を読んでくれたのだろう。
「まぁ、そうですね」
「ありがとう。なら契約は成立、早く行こう」
と彼は言って俺の手を掴む。
「何度も言うけど、あまり時間が無いんだ。色々と聞きたい事とか、やり残した事とかいっぱいあると思うし、僕としても、実はそういうのがあるにはあるんだけど、そういうのも全部向こうに行ってから話そう。誰よりも先に入らないと」
家族に挨拶をしたいとか、そういう事を思ったのだけれども、彼の勢いにはそういう事も出来ないという切迫さがあった。いや、死人に挨拶をされたところで、家族にしても困るのだろうけれども。
「……あっと、でも、ごめん。忘れてた。どうしても1つだけ、先に聞いておいて欲しい事があるんだ。どうしても気をつけなきゃいけない事」
空いた方の手の人差し指を立てて俺に見せ、少し真面目なトーンで彼は話す。
「なんですか?」
「そういえば、君の名前はなんだっけ?」
深瀬直樹です、と俺は答える。
「ナオキ……よし。ナオキ、よろしくね。あと、僕に敬語はいいよ、これから僕らは一緒の身体の中に入る、いわばパートナーになる訳だし」
「わかった」と俺は返す。こういうのは、変に気を遣っていても時間をとるだけだと経験上知っている。精霊が急いでいるのはわかったので、それに従う。「それで、気をつけて欲しい事って?」
「これから君は、ノエルという元々君じゃない人間の身体の中に入る。だからきっと、ノエルの身体に残っていた記憶だとか、感情とか、とにかく色々な情報が嫌でも君の中に入ってくるだろう。そうすると、元々の君の記憶はノエルの物に上書きされてしまって、もしかすると、君の今までの価値観や考え方が変わってしまうかもしれない。つまり、ノエルの身体に入った瞬間、君は君じゃなくなるかもしれない」
「え……」
早速とんでもない事を言われて、言葉につまる。早速混乱しそうになる。
「でも、それは仕方のない事でもあるんだ。他人の人生を引き継ぐっていうのはそういう事だ。でも、そこはわかって欲かって欲しい、君はフカセナオキの身体を捨てて別人になるんだから」
「……うん」
契約していきなり不都合な条件を提示された気分ではあるものの、俺は頷くしかない。そもそも後戻りできなのだし、そこは覚悟するしかない。
「でもね、最初はどうしても、自分の考え方とノエルの考え方に『齟齬』が発生してしまうと思うんだ。そういう齟齬は、じきに自然となれちゃうんだけどね、最初はどうしても『なんでこんな事考えるんだろう』なんて事を思って、違和感を覚える事になる。自分の頭がおかしくなったんじゃないかって思っちゃうんだ。そうなると、自分が誰なのかっていう自己認識が出来ず、苦しむ事なるかもしれない。だから最初だけは、自分は間違いなくフカセ・ナオキなんだ、って事を絶対に頭の中に置いておいて行動してみて欲しい。そうすれば君は、自分を見失わずに済むはずだから。わかった?」
「ええと」
話を真面目に聞いていたはずなのに、俺の頭の理解は早々と置いていかれていた。言葉は入ってくるが、いまいちよくわからない。
「なんとなく、は、わかるような、わからないような?」
「……ごめん、これは難しいよね。僕も上手く説明出来なくてごめん」
と精霊は俺の表情を見て、苦笑いをして言った。相変わらず顔は見えなかったけれども。
「それに、これは実際に体験してみないとわからないことだろうから。わかれって言っても難しいかもね。でも、一応、言葉として覚えておいて欲しいんだ。自分は元々フカセ・ナオキ」
「……自分は元々深瀬直樹」
「よろしい。……なら、悪いんだけど早速だけど行こうか」
復唱した僕を見て精霊は頷き、握っていた俺の手に力を込める。
暖かい手で、こうして誰かに手を握られるのは久々な気がした。
「……あ」
そういえば、聞き忘れていた事があった。しかし次の瞬間、目の前の光景が真っ白になり、何も見えなくなる。
精霊の名前をまだ聞いていない。
しかし、それ以上俺の口からは声がでなかった。何も見えない空間の中、自分の身体の輪郭が解けていき、口といったものがおおよそ存在しなかった。
「……」
どれほどそうしていただろうか。自分の輪郭が再構築されていくのがわかる。しかしそれは、自分が今まであったものより、小さなもののように思えた。
まるで子供の頃に戻ったような感覚。
光はやがて弱くなり、視界がはっきりと見えるようになった時には、俺はもうノエル・アルフオートになっていた。