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8幕 謎の精霊とその提案



「なんだ、これは……」


 目の前で倒れている男の顔は、間違いなく自分が毎朝鏡で見ている俺の顔だ。その俺が、俺の前に倒れている。頭からはおびただしい量の血が漏れていて、血溜りが出来広がり始めていた。きっと階段を転がっている間に、頭が割れてしまったのだろう。


 目が見開いていて、身体はぴくりとも動かない。一目見てわかる。


 死んでいるのだ。


「……」


 わらわらと、死んだ「俺」の周りに人が集まってくる。慌てふためく人がいて、叫び声をあげる女がいた。駅員を呼びにいこうとする男がいて、遠巻きに野次馬達が集まり始める。


 そんな状況を、俺は見ていた。


 目の前にいるのが俺なのだとしたら、今ここにいる自分はなんなのか。そう言った疑問に対し、なんとなくではあるものの、直感で理解できてしまう自分がいる。「霊体」という言葉が思い浮かんだ。


「あーあ、死んじゃってるね、君」


 それが俺にかけられた言葉だというのはすぐに気づいた。駅構内は大騒ぎになってるというのに、その声ははっきりと耳に届いたのだ。


 振り返ると、黒いローブを纏った小さな人影がそこには立っていた。


 現実離れした漆黒の大きなローブは、まるでどこぞの映画に出てくる魔法遣いをイメージさせ、周囲の服装からは明らかに1人だけ浮いている。背が低く、またフードを深く被っている為に、顔はよく見えない。かけられた声は甲高く、声変わり前の子供の声のようで、男女どちらかを判断するのは難しそうだった。


「ああ、大丈夫大丈夫。気づいていると思うけど、僕も君も、他の人には見えてないから」


 何が大丈夫なのかはわからなかったものの、あっけらかんとした口調でそう言った。


「あなたは?」と俺は聞いた。「それに、急に死んだって言われても……そんな、あっさり……」


「いや、誰しも死ぬ時はそういうもんだって。あっさりあっさり」


 小さな両手を突き出して握り拳をぎゅっと握った後、ぱっと開いてみせる。その儚さを表現するかのように。


 未だこの状況を上手く理解できておらず、彼(彼女?)と自分の死体の交互に視線を向ける俺に、その子供らしき人影は言う。


「普通はさ、自分が死んだって事もわからないまま魂も消えてしまうものなんだよ。今の君みたいに、精神体を身体から引っこ抜かれて、自分が死んだ姿を知覚できているのって、結構珍しい経験なんだ」


「そう、なんですか」


「まぁ、それもこれも、僕が君の魂を死にゆく肉体から引っこ抜いたんだけどね」


 フードの下で無邪気に笑ったのがわかった。


 その笑い方に、俺はどこか下心があるように感じてしまい、少し身構えてしまう。


「あなたは……、その、死神か何かなんですか?」


「ん? なんでそう思うの?」


「いや、俺、死んでるんですよね。それなのにわざわざこうやって話している訳だから、何か取引とかでも持ちかけてるのかなって……」


「取引って、どんな?」


「いや、生き返りたかったら何かをしろ、みたいな」


 漫画や小説で読んだような展開。その事を話すと、虚を突かれたような表情になったのが、顔を見なくてもわかった。どうやら違うようだ。


「なるほど、死神……あは、はははは、はっはっはっはっは」


 あーやっぱり人間って面白い。


 爆笑された。俺の中の死神のイメージがいいそうな台詞だったが、死神ではないらしい。


「ごめんごめん。まだ自己紹介がまだだったね。僕は精霊。多元世界の統括的な……いや……君の……うーん、言ってもわからないだろうから、君の世界とはまた違う世界にいる、凄い奴だと思ってくれればいいよ」


 精霊、と彼はひとしきり腹を抱えて笑った後言った。


 精霊とは、ファンタジーものによくいるような、超常現象などを起こす存在なのだろうか。にわかには信じられないものの、今おきている事自体が現実離れしているせいか、信じるより他ない。


「で、凄い奴ではあるんだけど、死んだ人間の肉体を蘇生するようなもっと凄い事は出来ないんだ。僕らは実体を持たない存在だから、物に触れる事も出来ないしね。だから、拠り所をなくした君は、このままだと間も無く消えてなくなる」


「えっ……」


 唐突にそう言われても、反応に困ってしまう。駅員がやってきて、倒れた「俺」に必死に声をかけている。それも虚しい行為でしかなく、「俺」は反応一つ起こさない。もう完全に死んでいるのだ。


「俺、消えるんですか」


「うん。輪廻とか転生とか、そういうのもないしね。君の魂は消えて、後には何も残らない。怖いよね」


「何も、残らない……」


 自分の死体を見ても何も思わなかった自分が、精霊のその言葉を聞いて、急に「怖さ」を感じていた。精霊の言葉はまさに『死の宣告』のようで、殴られたような衝撃が脳内を走る。今こうして自己を認識している意識がもうすぐ消える、消滅する、というのか。間も無く自分が消えるという事を考えると、急に寒気が身体を遅い、膝が笑い出しそうになる。


 怖い。


 消えるのは確かに怖かった。そしてそれと同時に、何も出来ずに消えるという「別の怖さ」も俺を襲う。


 俺はまだ何もしていない。結婚もしていなければ、子供もいない。後世に名も残すような物を作り出してもしていない。この世界には俺の知らない事が大量にあって、それを何一つ知らないまま消えていく。逆に、俺の存在をほとんど誰も知らないまま、俺は消えていくのだ。


 まだ誰にも認められるような事をしていない、凄いとも思われていない、褒められてもいない。


 やり残した事が、いっぱいある。


 なのに、なにも出来ないで消えるというのか。


 先程それを諦めて生きていくと決めたはずなのにそう思ってしまう。やはりこれが俺の本心なのだろう。


「……まだ、死にたくないな」


 ぽつり、と嗚咽のようにその言葉が俺の口から漏れる。怖さで足元がふらふらとしていて、気を抜けばその場に崩れてしまいそうな気がした。


「でも、死んじゃったからね、君」


 そんな俺の言葉に対し、無慈悲な言葉を精霊は投げかけてくる。あざ笑いたいだけなのだろうか。俺の反応を見て楽しみたいだけなのか。唇を噛み締めながら睨みつける俺に気づくと、精霊は慌てたようにぶんぶんと手を降って否定する。


「あーごめんごめん。そういうつもりじゃないんだ。なんていうか……うーん、実は人と話すのがこれが初めての経験だから、会話が上手く出来なくって。下手くそだな僕は……。えっと……とにかく君の肉体は確かに死んじゃったし、もう生き返れはしないんだけど、まだ魂は消えちゃいないって事を言いたかった訳。それでひとつ提案があって、こうして今僕は君の魂と話してるんだよ」


「……提案?」


「そう、提案。ずばり聞くけど、君、人生をやり直したいと思わない?」




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