7幕 深瀬直樹の子供の頃の夢と今の事
……子供の頃の夢はなんだっただろうか。
漫画家?
スポーツ選手?
それとも有名なバンドマン?
今でもなりたいかというと、現実的な事を色々と考えてしまい首を縦に振れない。それで食っていける自信などないし、そんなスキルもない。しかしそれでも、たまに夢を見てしまう。人として生まれた以上、有名になって、ちやほやされたいし、凄いねと言われたい。誰かに褒められたり、憧れられてみたい。
それに何より、何かしらの物をこの世界に残したい。自分が生きていたという事を、皆に知っていて貰いたい。俺、深瀬直樹は28歳という年齢になって、そんな子供っぽい、中高生の頃に散々考えて解決せずに棚上げしていたような問題を再び抱え込んでいた。
三十路を目前にして、時々ふとした時に怖くなるのだ。
このまま社会の歯車として働き、普通に老いていき、凡庸のまま死んでいく、なら俺の人生の意味ってなんなのだろうか、と。本当はそんな青春めいた事をしている年齢でもないはずだというのに。何故今更になって、そんな事を考えているのかというと……。
「……はぁ」
駅前で、俺は溜息をつく。
面接を受けた段階で落ちたと確信したのは何度目だろう。無職になってから半年が経つ。このままだと履歴書に空白の期間が出来てしまう。
「……まぁ、今回も本命じゃないからいいんだけどさ」
そう自分に言い聞かせて、落ち込みそうになった気持ちを切り替えようとする。本命じゃないと言っても、本命の仕事、企業なんてものが実際にある訳でもないんだけれども。
自分が、何をしたいのかわからない。
笑えるような話だが、本当に困っているのだから救えない。
大学を卒業して、なんとなくで入った前の仕事先が倒産。似たような仕事先を紹介して貰う事も出来たハズなのに、少し金銭的な余裕と時間が出来たからと言って、自分のやりたい事を探すと言い始めたのがそもそものはじまりだった。
前の仕事をしていて、時間だけが過ぎていく感覚があった。人生を浪費している感覚。このままいけば、後悔する時がいつか必ずくる。仕事なんてそんな物だと言われてしまえばそれまでかもしれないけれど、それでも俺は何かがあるんじゃないか、何かしら出来る事があるんじゃないかと思い、探し始めてはみたものの、今日に至るまで上手く見つける事が出来ないでいた。
仕事なんて探せばいっぱい出てくる。
でもそのどれもが、本当に自分がやりたい事なのかと言われれば首をうまく縦に振る事が出来ない。どれをやっても結局前の仕事のように、どこかで同じように感じてしまうのではないか。
面接でもそんな気持ちが出るのか、いまいち反応も芳しくない。内定を貰った会社もあるが、そこで働きたいとか言うと怪しいもので、断っていた。先程面接を受けた会社にしても、もし内定を貰ったとしても、行かなかったとは思う。結局、これは就活をしているフリでしかない。
「なんだかなぁ……」
地下鉄の改札口をくぐり、駅構内を歩くスーツ姿の大人達と並びながら歩く。彼らは自分のしたい仕事をしているのだろうか、いや、きっとしてないだろう。
自分が何をしたいのか。
仕事だけじゃない。将来的に自分はどうなりたいのか。これと言った希望がない。
……いや、決して思い浮かばない訳じゃない。なりたい事とか、やりたい事、正直に言うとたくさんある。でもそれはもう無理な事ばかりの夢物語だ。
漫画家になりたい。俳優になりたい。歌手になりたい。スポーツ選手になりたい。小説家になりたい。
目立って、死ぬまでに何かをこの世界に残したい。認められたい。誰かに褒められたい。凄いねって言われたい。死んでもこの世界に自分の名前を知られていたい。そんな子供みたいな欲求なら、多々ある。
思うだけならある。勿論そのどれもが、考えるまでもなくもう自分には出来ない事ばかりになっている事も理解している。それだけの勉強をしてきていないし、スキルも持っていない。言っても意味がないどころか痛く恥ずかしいだけの事。だからこそ、それに似たような感じで、何か出来る事は何かしらないものか、なんてこの半年間ぶらついてみた。
勿論、見つかってないけど。
あるはずもないのだけど。
……我ながら、子供みたいな悩みを抱えてるな、と呆れそうになる。この歳になって、だ。こんな下らない事を考えてしまうのは、無駄に時間と金の余裕が出来てしまったからだろう。
今は貯金があるから生活できているが、その余裕がなくなる前に、やはり夢なんか見ずに、前職と同じような職種と業種に就いた方がいいだろう。帰ったら早速その方向で仕事を探していこうと考え歩を進める。
(それでも……)
それでも、子供の頃に戻れでもすれば、なんて事を考える。あの頃に戻って、もっと勉強してれば。もっと色んな物を見ていたり、スキルを磨けば良かった。
そんな、甘美な思いに耽って、下らない現実逃避を初めてしていたせいだろう。
「うわっ」
足元が疎かになってしまったのか、階段を踏み外してしまった。それも、長い長い階段の最上段で。気づいた時にはもう遅く、俺の身体は背中から地面に倒れていく。
(しまっ……!)
直後に、後頭部にとても硬い物が当たる感覚。床だ。ごちん、と決して聞いてはいけないような鈍い音がしたと共に、目を開けているハズなのに視界が突如暗くなり、そこに閃光が走る。衝撃のあまり、星が見えたというやつだ。痛みに慌てて頭を押さえようと手を伸ばそうとしたが、自分の身体がそのまま横倒しになり、階段の上から下へと転がるように落ちていくのでそれもままならない。何度も何度も頭や背中、肩が打ち付けられて痛んだ。
「うぁ……いってぇ……」
永遠に続くかと思われた激しい痛みは、どうやら俺が階段の最下段まで落ちてしまった事で終わった。痛みのあまり、しばらく目をあける事が出来なかった。なんとか少し身体の痛みがおさまり始め、いつまでも倒れてはいられないと身体を起こす。頭がふらふらとして痛い。額を抑えながら、ふらつきながらではあるが、なんとか立ち上がる事が出来た。やらかしたな、と階段を見上げる。あの高さから落ちてしまえば、普通は死ぬはずなのに、俺はよく立ち上がれたなと。
そう思い、足元に落ちたバッグを拾おうと目をやった時だった。
「は……?」
自分の目を疑った。
立ち上がった俺の目の前に、「俺」が血を流して倒れているのだ。