65幕 思念と思惑
「それで、一角獣達が死ぬ瞬間、君には彼らの声が聞こえたと。そういう事だね」
「はい。にわかには信じられないかもしれませんが……」
と俺はトインビーの質問に頷き答える。
一度寮に戻り、血を落とした後、俺は彼に呼ばれて校長室へと来ていた。トインビーとは毎日のように会話をするものの、この部屋へと来るのは初めての事だった。応接室のようなその場所は、綺麗に整えられており、大きなソファは驚くほど腰が沈んだ。
緊張しているのは、その空間のせいではない。そこに集まった者達のあまりに硬すぎる表情のせいだ。トインビーに呼ばれたのは俺だけではなかった。スバルに、副校長のナタリア・シャスタコフ、そして、トインビーが信頼を置いている教師達。ソファに座りきれない教員達が、部屋の中に立っている。皆、普段は教職員寮で優しくしてくれる先生達だ。しかし今、皆の顔は、余裕がなさそうな表情をしていた。中には青白い顔をしている先生もいる。
一角獣の群れの襲撃など、学園始まって以来の事らしい。当然だろう、そんな事あるハズが無いのだ。
「……いや、十分に信じられる話だ」
とトインビーは言った。
トインビーですら、少しばかり表情が険しいように見える。
「あまりに強力な魔素を持った存在は、死の瞬間、体内魔素に感情を乗せ、同属や信頼する者に向けて放出する習性がある。言ってみれば、遺言のようなモノだよ。一角獣が君に聞いて欲しいと、その感情を飛ばしたのだろう。私も一度だけだが、不死鳥でそれを体験した事があるよ。……私はそう考えるのだが、どうだろう、ありえるだろうか」
とトインビーは生物学、魔獣学を担当する教員へと視線を向ける。
「十分にありえる話だと思います」
とその教員は言った。
「一角獣はヒト嫌いな種族ですので、『思念放出現象』の事例を聞いた事は無いですが、あっても不思議じゃない事です。特にアルフオートさんなら、その可能性があるかもしれません」
「というと?」とトインビーは聞いた。
「アルフオートさんの髪色は小妖精のようにも見えなくはありません」と教員は言う。「一角獣は基本的には小妖精の処女と仲が良い。アルフオートさんを小妖精だと、そう思い込んだ可能性はあります」
「……小妖精」
と俺は呟く。
俺は以前、夏季休暇で行ったエンブルクで、獣人の老婆に小妖精と勘違いされた事を思い出す。
「小妖精ね。確かにノエルくんならその可能性はありそうだ」
とトインビーは言う。
「それで、ノエルくん。君は一角獣から受け取った感情の中に、呪術をかけた男の姿を見たと言っていたね」
「はい。フードをかぶっていたせいで、顔ははっきりとは見えませんでしたが……。でも、唇の下に大きな黒子のある、背の低い男だったと思います」
「ふむ、背が低く、唇の下に大きな黒子、か……」
とトインビーは口に手を当て、鼻下、人中のあたりを人差し指で掻きながら少しの間何かを考えていた。
「校長、心当たりがあるんですか?」
と副校長のシャスタコフ先生が、皆の言葉を代弁した。トインビーは間違いなく、誰か具体的な人間の事を考えているように見える。
「……聖獣に呪術をかける等、並大抵の魔力では不可能だ。だがそれを可能に出来る程の魔力を持ち、そう言った身体的特徴を持つ人間。そう言った人間に、心当たりが無いわけではない。ない、のだが……」
と言って、トインビーは俺達から視線を外した。彼にしては珍しく、妙に歯切れの悪い口調だった。
「だが、彼がそんな事をするような人間にも思えないのだよ……。彼は呪術のような『汚れた』魔法とは程遠い人間だからね。……だが、もし彼がそうしたのだとすると、納得出来る部分も多々ある。目的も、なんとなくは理解できる」
「どういう事です?」
とシャスタコフ先生が聞く。
部屋の中を魔素が動いた。トインビーが今一度、強固な盗聴防止の魔法をかけ直したのだ。おそらく、余程聞かれたくない事なのだろう。
「もし彼が犯人だとすると、という仮定の話をする」
とトインビーは言った。
「おそらく、彼は一角獣をけしかけることで、多くの死傷者を出すつもりだったのだろう。事故とは言え、それで私に責任を取って退任させるのが目的なのだろうね。そうして、私が持つ様々な権限をなくしたいのだろうな。そうする事で、また君をここから追い出したいのだろう。ここの地下書庫以外の場所で、私は禁呪を学べる場所など殆ど知らない。彼はきっと君に、これ以上の力を付けさせたくないのだよ。最悪の魔王の息子の君にね」
そう言って、トインビーは目線をある人物に送った。皆が視線が彼に集まる。
「……」
視線を集めたスバルは、何かを考えてじっと黙っていた。教員達はじっと、彼に目線を向けていた。
「……それで」
と俺は口を開き、皆の視線がスバルから俺へと向かせる。教員達がスバルを非難しているように見えて、かなり不快だったからだ。たとえ目的がスバルであったとしても、彼が起こした事では決して無いはずだ。
「その男というのは、誰なんです?」
「グラエム・アシュレイ」
とトインビーは口を開いた。
皆の視線が今度は一斉にトインビーへと向く。その名前はあまりに衝撃的すぎた為に、皆もうスバルの事を気にしている場合ではなかった。
「……」
それはあまりに有名な名前だった。まさかの人物の名前が挙がったことに、教員だけでなく、俺もスバルも唖然としてしまう。
「まさか……ありえません!」
とシャスタコフ先生が言う。
「『偉大なる12人の魔法遣い』の1人ですよ? なぜ彼のような存在が、こんな風に学園を襲うのです。『魔王』を……スバルさんを直接狙うのであればいざ知らず、無害な人間まで殺そうとするなど、そんな事、ありえません。貴方もです校長、貴方は同じ『偉大なる12人の魔法遣い』を、その在り方を疑うと言うのですか?」
彼女はスバルを示しながら言った。スバルはシャスタコフ先生の言葉を聞いて、眉根一つ動かさない。彼女がはっきりとスバルに対してそう言った事については、思う所はあった。しかし俺も正直、彼女と同じ考えを持っていた。おそらく、他の教員にしても同じ事だろう。
『偉大なる12人の魔法遣い』と言えば、言わば『正義の味方』の代名詞のような物のはずだ。
「……私自身、この考えをあまり信じられない。だからこれは可能性の話をしているのだよ、ナタリア」
とトインビーはシャスタコフ先生に言った。
「スバルを狙うだけなら、もっとスマートな方法はいくらでもあるだろう。だからもし彼だとするならば、何故このような回りくどい真似をするのかわからない部分はある。それに、先程も言ったように、彼は決して、呪術に頼るような真似をする人間ではないし、呪術を嫌ってすらいる」
そこで少し間を置き、トインビーは続ける。
「だがグラエムであれば、納得のいく部分もあるのだよ。彼くらいの人間でなければ、あれだけの量の『魔素封じの鉱石』を用意する事は出来ないだろう。聖獣に呪術をかける程の魔力と方法を、彼であれば知っている可能性がある。……彼はどうも、魔王がいなくなる事こそが、この世界の平和に繋がっていると思い込んでいる節があるのだよ」
まるで実際はそんな事は無い、とでも言いたげにトインビーは言った。
「彼らはこの世界に必要な存在だ」
「……」
そのトインビーの発言に、室内にいるほとんどの人間が絶句した。
スバルを匿っている時点で皆、重々彼の考えは承知はしているハズだ。
しかしそれでも、こうもはっきりと『魔王』から世界を護る為に存在するハズの『偉大なる12人の魔法遣い』が、それも、他ならぬ筆頭魔術師である彼が、『魔王』を擁護する立場を取るという発言をしたのだ。
「……勿論、これは可能性の話でしかない。あくまで、年寄りの戯言だと思ってくれ。だが、一応皆、その可能性を念頭に置いて行動して欲しいのだよ。彼の謀なのであれば、こうして被害が出なかった以上、また別の手段を講じてくる可能性がある。それはもしかしたら、今回よりも危険な事の可能性すらある」
「……」
皆黙ってトインビーの話を聞いている。
「私はまだ、この学園を去る事は出来ないのだよ」
トインビーははっきりと、意思の強い口調で言った。
「私はまだ、多くの魔術師達を育てなければならない。もし万が一、原因は違えど、今日と同じようなことが起きてしまった時、私が今日のようにいなかったとしたらどうなっていただろうか。君達だけで、この学園を護れるだろうか。皆を護れる程の魔術師達を、後世に残る魔術師達を、私はまだ育てなければならない。それが出来ていない以上、ここから立ち去る訳にはいかないのだよ」
「……」
教師達は沈黙する。一角獣を倒したのは、そのほとんどがトインビーとスバル、そして俺の3人による物だった。その3人がいなければ、どれだけの被害が出ていただろうか。勿論、戦うだけであれば、軍隊という物がある。しかしトインビーが言っているのは、そういう事ではないだろう。
「スバル」
とトインビーは今度はスバルに視線を向けた。
「君には、私が想定していたよりも早く、独り立ちして貰わなければならないかもしれない。君を護ることも大切だが、生徒を育てる事も必要なのだ」
覚悟をしておいてくれ、とトインビーは言った。
「はい、先生」
とスバルは表情を硬くしながら頷いた。
◇◆◇
その後、これからの対策について話した後(残念ながら俺には関係の無い話だったが、席を立つ事も出来ずにそのまま座っていた)、話のあるというスバルとトインビーを残し、教員達共に俺は校長室を追い出された。陽はもうすっかり落ちていた。暗い校舎にはまったく人気もなく、校内はとても静かだ。皆、寮に戻っている。
すっかり季節は冬に入っていて、少し外に出るだけでも肌寒かった。スカートからむき出しになった脚や腿が酷く冷え、鳥肌が立つ。こういう時、ジャージが恋しく思う。下に履きたい。昔はそれを浪漫が無いと思っていたが、こちら側の視点に立つと、そんな事言ってられない。
教員達と共に寮へと戻っている最中、ふと、校舎の中に、灯る部屋が校長室以外にも存在する事に気付いた。医務室だ。俺は教員達にその旨を告げ、そこへと向かう事にした。
フェードルの事が気になったのだ。
唐突ですが入院しなければならない事になりました。
多く書き溜めていた訳でも無いので、次の更新はおそらく退院してからになると思います。
一応ストックはあるのですが、どこも中途半端になりそうなのでここで一度お休みさせて頂きます。
毎日更新してきましたが、読んで頂いてありがとうございます。
退院してから続きを投稿していく予定です。申し訳ありません。




