64幕 事後と結果
「……」
倒れた一角獣を眺める。ぴくりとも動かず、既に絶命している。俺が殺した訳でも、誰かが魔法をかけた訳でも無い。魔素の流れなど一切感じなかったのだ。また見る限りでは外傷も無く、物理的な攻撃があった訳でも無さそうだ。しかしそれは、間違いなく目の前で死んだのだ。
なぜ何もしていないにも関わらず、その1頭は絶命したのか。それに、一角獣達から聞こえたあの声達は何だったのか。何故あのような像が見えたのか。フードをかぶった男は一体誰なのか。そもそもあの男はなぜ呪術を一角獣にかけたのか。その一角獣が何故この学園に入り込んだのか。わからない事ばかりで、混乱しそうになる。
しかし――
「アルフオートがやったぞ!」
「凄い!」
「やった!」
突如として、けたたましいまでの歓声が降り注ぐ。見ると、少し離れた校舎の窓から、多くの生徒達が身を乗り出しながらこちらを見ている。どうやらそこから、俺の事を見ていたらしい。
「……大丈夫か?」
声をかけられる。知らない教員だった。一角獣を相手にしていた時に、少しづつ教員達が飼育小屋に集まって来ているのには気付いていた。しかし俺は一角獣に対応するので手一杯だったし、教員達も下手に手を出す事が出来なかった。魔法が俺に当たる事を恐れていたのだろう。俺としても、不用意に入ってきて、教師が俺の魔法の巻き添えになるのは怖かったので、そうして万が一の為に待機してくれていた方が助かった。
「……はい、大丈夫です」
俺は弾む息を整えながら答える。飼育小屋に次々と教師達が集まってくるのが見えた。おそらく今まで、俺と同じように別の場所で一角獣と戦っていたのであろう。皆服が汚れていたり、怪我をしていたりしていた。
そこでふと、俺は彼女の事を思い出す。
「フェードル!」
「アルフオート……?」
フェードルはいつの間にか意識を取り戻していたようだった。しかしどうやら起き上がれないらしく、いつの間にかやって来ていた校医のティレット先生の治癒魔法を受けていた。その隣には、座り込み泣きじゃくるプリシラがいる。
「よかった……大丈夫、痛くない?」
と俺はフェードルの傍に行き、胸を撫で下ろす。
「なんとか、大丈夫、ですわ……いっ、つ……」
生徒達の歓声の中、フェードルは身体を起こそうとするが、痛みにその表情を歪める。
「良くなんか無いわよ。全然良くない」
とティレット先生が、治癒魔法をフェードルに注ぎ続けながら諌めるように声を上げる。
「骨は折れてるし、少し間違えれば死んでるわよ、あなた。こんな無茶をして。待機するように言われてなかったの、あなた達は!」
「それは……」とフェードルが言う。
「先生、フェードルを、ふた、2人を、責めん、といて、下さい」
ぼろぼろと涙を溢すプリシラが、嗚咽交じりの声で、途切れ途切れにそう言う。
「フェードルが、2人が、来てくれんかった、ら、ウチ、しんどっ、死んどった、んです。ウチの為に……ウチなんかの為に、ほんまに、ほんまにごめん、……な、う、ああああ」
そこまで言うと限界が来たのか、プリシラは両手で顔を覆い、声をあげて泣き始める。
「シーラ……」
と泣きじゃくるプリシラを見て、フェードルが少しほっとしたように呟く。彼女が無事だった事に安心しているようだった。
確かにフェードルがいなければ、プリシラは今頃助かってはいなかっただろう。教師達が来るタイミングでは遅すぎただろう。その事をわかっているのか、ティレット先生は困ったように溜息をつくと、緊張で張り詰めていた表情を緩めて、俺を見た。
「……まぁ、何はともあれ、3人共、生きてくれてて良かったわ」
「校内放送、校内放送――」
間も無くして、音響魔具から放送が流れてくる。
「――校内に侵入した一角獣は排除されました。ただし、まだ隠れている一角獣が存在する可能性があります。生徒はその場で待機し、次の指示を待って下さい。繰り返します。校内に侵入した一角獣は排除されました――」
その連絡を聞くなり、また生徒達の歓声が大きくなる。
おそらく、飼育小屋以外の一角獣は先に片付けられていたのだろう。最後に一角獣が残っていた飼育小屋へと、教員達が続々と集まってきていた。生徒達に比べて、教師達の表情は、終わった事にほっとしながらも、かなり強張っていた。
俺はその中に、スバルの姿を見つけた。服や頬には血が大量に着いていて、少しぎょっとしてしまう。慌ててフェードルの元を離れ、彼の傍へと駆け寄った。
「スバルお前、大丈夫か?」
心配はしたものの、どうやらそれは返り血のようだった。彼自身が怪我している様子はなく、安堵して息を大きくつく。
「……言っておくが、お前もだぞ」
とスバルが言う。頬をぬぐうと水気がして、手の甲がべったりと赤くなる。
「ほんとだ……」
「これは、お前が1人でやったのか?」
とスバルは聞きながら、一角獣達の屍骸を眺めた。首がなくなったり、黒焦げになっているそれらから漏れ出る大量の血で、芝生は黒色に染め上げられている。
「ああ、うん。なんとか」と俺は答える。
「俺は寮近くを対応していたのだが、生徒がここでまだ一角獣と戦っていると聞いた。間違いなくお前だと思って急いでやってきたんだが、……無事で良かった」
とスバルは言う。彼は彼なりに、俺の事を心配してくれていたのだろう。
スバルはそれからもう一度一角獣達の屍骸を眺めると、最後に倒れた一角獣の傍へと向かった。おそらくそれが1番損傷が少なかったからだと思う。俺はスバルの後を追って言った。
「この1頭だけ、何もしていないのに死んだんだ」
「おそらく、呪術による肉体の限界が来たのだろう。こちらでも何頭か確認した」
「肉体の限界……」
彼は懐から試験管を取り出すと、蓋を取り外した。それが呪術判定液である事はすぐにわかった。たらされた液体は屍骸に触れると即座に気化し、黒に近い濃い紫色の煙をあげた。呪術に反応したという事だ。
「他の場所の一角獣もそうだった。狂血呪術なのだろうが、それにしても、かなり強力な呪術だ」とスバルは言う。「アクサムの村の時よりも強力な反応だ。それだけ一角獣にかけるには強力な呪術でないといけないのだろう……」
「これってやっぱり、あの時と同じなのかな?」
と俺は聞く。
スバルはこくりと頷いて、一角獣の左後脚を触りだした。そうして、その場所に埋め込まれたモノを取り出した。それはやはり、俺が肌身離さず身に着けている鉱石と同じ色をしていた。魔素封じの鉱石だった。
「多分、全ての一角獣についている。アクサムの村と同じ者の仕業なのだろうが」とスバルは言った。「それでも、ここまで鉱石を準備できるなど、誰が出来るというのだ……」
◇◆◇
校内に侵入した一角獣は皆、鎮圧、つまりは駆除された。もう隠れたソレがいないと判断されると、以降の授業は全て中止となり、生徒達は学生寮へと戻り待機となった。
駆除された一角獣達は全部で50頭近くにのぼった。
そのうちの10頭、1/5の量が飼育小屋に集まっていた事になる。
すべての一角獣に魔素封じの鉱石が埋め込まれていて、誰もその侵入を未然に防ぐ事も気付く事も出来ず、正確な数の把握も出来なかった。侵入経路も不明だとの事。対応しようにも、俯瞰魔法による、上空からの視認でしかその数を確認できなかった為に、周囲を木々で囲まれていた飼育小屋に集まった一角獣の正確な数を図りかねた。また生徒の姿が見えなかった為に、教師達は人の多い他の場所の対応を優先する事になったのだとか。
実際のところ、飼育小屋には知っての通り、プリシラがいた。
彼女は一角兎の小屋を掃除していた所、一角獣の姿に気付いてそのまま小屋から出られずにいた。だからこそ、その姿を確認できなかったのだ。
それだけの数の聖獣が現れたにも関わらず、人間の死者数が出なかったのは、奇跡に近い事だった。
重症者は生徒に数名(フェードルを含め)、教員に20名程出た。軽い傷を負った者はかなり多い。皆一応、命には別状無いとのこと。骨折程度の怪我であれば、治癒魔法でなんとかなるのだそうだ。魔法とはとても便利な物だ。
しかし正直、プリシラはかなり危なかった。
こんな言い方は良くないかもしれないのだが、プリシラが世話をしていたのが一角兎で良かった。一角兎達は基本的には臆病な生き物だが、また同時に主人の為に生きる魔獣だった。彼女を護る為、彼らは一角獣の前に命を散らした。兎達とフェードルがいなければ、間違いなく彼女は死んでいただろう。
一角兎だけでなく、飼育小屋で飼っていた魔獣達はほぼ全滅だった。
虹色鳥、むく毛犬、鱗豚などと言った、基本的に人間に害の無い魔獣達は、あまりにも非力な為、狂化した一角獣達の前に為す術もなく虐殺されてしまった。
一角獣駆除の先頭に立ったのは、トインビーとスバルだった。
校長自らが出なければならない程、この事態は切迫して、緊急的な物だったらしい。彼らはそれぞれ17頭と11頭の一角獣を駆除していた。
飼育小屋にいたのが10頭。別に競い合うつもりも、撃退数で強さが決まると言いたいつもりも無い。しかしながら、教員はあれだけいたにも関わらず、残りの一角獣をおさえることしか出来なかったという事になる。それも、数人がかりで1頭を押さえる事が出来たとの事。それだけ、2人がどれだけ異様な強さを誇っているのかを物語っていた。
勿論、それ俺にも言える事なのだが……それが問題だった。
1人で一角獣を圧倒する生徒、というのはあまりにも目立った。本来なら学生程度の力ではどうしようも無い生き物なのである。校内は恐慌状態に陥っていても良いハズだった。しかしそうはならなかったのは、生徒達が戦っている俺の姿を見ていて、一種の興奮状態に入ってしまったからだ。
「ノエル!」
スバルの呪術判定液の結果を見届けたすぐ後に、誰かが俺の名前を叫び始めた。
「ノエル!」
それに釣られて、また他の誰かが俺の名前を呼んだ。その叫びの声はまた別の声を引き出し、次々にその声の数は増えて行く。やがて声達は校内を包み、足並みを揃えてリズムを生み出していた。
「ノエル! ノエル!」
「ノエル! ノエル! ノエル!」
校内が『ノエルコール』に包まれる。それはまるでスポーツ観戦で観客からあがる声のような物で、学園中が謎の一体感に包まれていた。皆が俺の名前を呼ぶ。皆の視線が俺に向いている。それだけの事を俺はしたのだった。学園を救ったのだ。
「……」
多分、注目されるとはこういう事なのだろう。それは俺が今までずっと望んでいた事のハズだった。しかし俺は、それを素直に喜ぶ事が出来なかった。それどころか、どこかその一体感に、正体のわからない『気持ち悪さ』を感じてすらいた。それは褒められてくすぐったいから辞めて欲しい、というのでは決して無い。すぐにでもその声を辞めて欲しかった。
それは一角獣達から感じた謎の思念について考えていたからなのか、フェードルのような怪我人が出ている以上素直に喜べなかったからなのか、それとも一角兎達が死んだせいだからなのか。狂血呪術をかけ一角獣をけしかけた男がこのままでは終わるハズが無いと、直感的に感じていたせいからなのか、それともまた別の何かのせいなのか、あるいはその全てのせいなのか。
まったく理解が出来ず、俺はただただその歓声の中に、ある種の怖さのような物を感じていた。
結局、学生達のその声は、俺がトインビーに呼ばれ、校舎の中へと入った後でもしばらくは鳴り止む事はなかった。




