62幕 一角獣と非力すぎる護り
一角獣といえば、どういった生き物を想像するだろうか。処女の前では大人しく従順になる聖獣。純白で、馬に似た身体にイッカクの牙のような角を持った『貞潔』の象徴。俺はこの世界に来るまでそんな印象だったし、この世界の図鑑に載っている彼らも、ほぼそのような存在だった。
しかし俺はこの世界に来るまでは、彼らの『大人しい』側面ばかり見ていたように思える。彼らはあくまで『処女の前で大人しくなる』だけで、本来は獰猛な魔獣として恐れられていた。
龍、不死鳥、そして一角獣。
三聖獣として並べられるような強力な魔力を持った魔獣で、非常に危険な存在だった。
三聖獣の中では一番対処しやすい存在だとは言えども、並大抵の魔術師程度では相手にならない。街中に1頭でも現れれば、そこで一歩でも対応を誤れば、たちまち大災害にも成りかねない存在だった。
だから、その緊急放送は、学内を一気にパニックに陥れた。
「校内に入り込んだ一角獣の数は30匹以上。現在は学園中央芝生付近、3号棟裏、飼育小屋、男子生徒寮付近に別れているとの事。生徒はすぐに屋内に避難して待機して教員の指示を仰いでください。教職員は生徒の安全を最優先に、各自応対、これを殲滅して下さい。繰り返します。校内に入り込んだ一角獣の数は30匹以上――」
人前に滅多に現れる事の無い一角獣、それが群れで現れた。
その言葉を聞くなり、教室内は騒然となった。
「落ち着いて、落ち着いて! 騒がないで!」
と教員が皆を必死に落ち着かせようとする。
「大丈夫だから! 今他の先生たちが対応にあたってくれている! 君達は落ち着いてくれ! 騒げば騒ぐだけ、一角獣達はこちらに気付く!」
「……飼育小屋……」
「フェードル……?」
ぽつりと、彼女の口からそう言葉が漏れるのが聞こえた。見ると、フェードルの顔色は真っ青になっていた。
「大丈夫? フェードル、どうしたの?」
「シーラが……」と血の気の引いた顔で、フェードルは俺に言った。「飼育小屋には、シーラがいますのよ……」
「そういえば、この時間は一角兎の世話をするって……」
彼女の不安が伝わってきて、ぞわり、と背筋が凍りつく。たとえプリシラが処女だとしても、これだけ人の気配がある場所では、一角獣は大人しくなるハズもない。一角獣に出会って襲われでもすれば、彼女の実力程度では敵うはずもない。
「……ッ!」
フェードルは少しの間視線を彷徨わせ何かを考えていたが、それから何かを決めたかのように表情をきつく結ぶと、唐突に席から立ち上がる。
「フェードル……?」
「助けに、行きませんと……!」
そう言うと、フェードルは風魔法を遣い、教室の窓際へと飛んだ。おもむろに窓を開けた彼女が、何をするつもりなのかに気付づき、俺は慌てる。
「フェードル! 待って、いくらなんでも無茶だ! ここは大人しく先生に任せた方が良い!」
「でも、早くしないとシーラが危ないんですの」
「それでもお前じゃ……!」
俺の言葉を聞く前に、彼女は窓から飛び降りる。冷静な判断が出来るのであれば、入学して半年程度の彼女が一角獣のような聖獣に敵うはずがない。普段の彼女ならそれくらい理解出来ていたのであろうが、彼女は正常な判断力を失っているように見えた。
俺はすぐに彼女の飛び降りた窓から身を乗り出し、下を見る。この教室は4階にあるにも関わらず、彼女は臆する事もなく飛び降りた。フェードルは床に落ちる直前で落下速度を急激に落とし、着地する事に成功していた。『物持ち上げ』の応用だ。地面に降りた彼女は、もう飼育小屋に向けて走り出している。彼女は風魔法に関しては、そこそこな技量を持っていた。しかしそれでも、同級生に比べれば、という程度の話でしかない。
(いくらなんでも、フェードルじゃ無謀にも程がある……死にに行くような物だ……)
考える間も無く、窓の桟に脚をかける。いくら風魔法が遣えるといえども、そのあまりの高さに、少し眩暈がした。
「おい、アルフオートくん!」
「すみません先生……!」
教室の中にいる生徒や教師の唖然とした視線が突き刺さる中、俺はそれだけ言うと窓から身を投げ出していた。衝撃などは無く着地できたといえども、それでもその高さから飛び降りるというのは怖かった。『戻りなさい!』と教室から先生の叫び声が聞こえてたが、それを無視して俺もフェードルの後を追いかけていく。
(フェードル……シーラ……)
飼育小屋が見えた時、そこには何頭もの一角獣がいた。皆、興奮している事には、一目でわかる。興奮した一角獣達は、飼育小屋にいる魔獣たちを無差別に虐殺していた。
「シーラ!」
と先に飼育小屋に着いていたフェードルが叫ぶ。
彼女の視線の先には、飼育小屋の中で身体を小さくしてうずくまっているプリシラがいた。小屋の前には多くの一角兎達が倒れている。皆ぐったりとして、ぴくりとも動かない。各々の綺麗なはずの黄色の毛皮は多くの血を吸い込み、黒く染まっていた。魔素という魔素が彼らからは感じられず、もう既に事切れているのがわかる。
生き残っていた唯一の一角兎が、飼育小屋を護るように一匹の一角獣と対峙していた。耳がぴんと伸びていて、極度の緊張状態にある事がわかる。
「やめてガビー! あかん、あかんて!! 逃げて!!」
そう小屋の中にいるプリシラが叫ぶ。
一角兎が一角獣の脚に飛びつき、噛み付いた。しかしその攻撃は悲しいまでに無力で、また一角獣とはあまりにも体格差がありすぎた。兎は簡単に振り払われ、彼らの住んでいた小屋に叩きつけられてしまう。それでもなんとか起き上がろうとした彼を、一角獣の前脚が思い切り踏みつけた。ふぎゅ、とあまりに可愛すぎる音を残し、一角兎はその臓物を周囲に撒き散らしながら絶命した。
「あ……?」
一角兎から勢いよく飛び散った血が、小屋の中にいるプリシラの顔にかかった。目の前で何が起きたのか彼女が理解していく様が、まるでコマ送りをしているかのようにゆっくりわかった。彼女の目がゆっくりと見開かれていき、手が震えた。
「あ……ああ……あああ、ああ……ああああああ!!! いやああああ!!!!」
今までのプリシラからは考えられないようなその表情に、聞いた事の無い叫び声をあげる。
一角獣は死した兎にはもう興味が無いらしく、目線をプリシラへと向ける。
「やぅっ!! やっ、やめっ、やめて……」
怯えきったプリシラは一角獣から逃れる為に、後ずさろうとする。しかし狭い兎小屋の中ではどこへも行けない。ユニコーンはプリシラしかいなくなった兎小屋の中に入ろうとする。
「やめて……やめてやめて、来んといて!!! やめて、なぁ、やめてって、やめて、いや、助けて!! 助けてお兄ちゃん!!」
しかし、小屋の入り口は一角獣の身体にはあまりに小さすぎた。泣き叫ぶ獲物を前に、一角獣はそこからの侵入を諦めて、小屋ごと壊す事に決めたようだった。一度の突進で、金網が大きく凹み、穴が開く。おそらく、次の突進で小屋は突き破られてしまうだろう。
「――火よ、槍となりて我が敵を貫け!」
しかし、一角獣の次の突進はフェードルの唱えた炎魔法によって遮られた。炎は一角獣の額に直撃し、一角獣は炎を振り払う為に頭を振る。
「シーラ! 早くそこから逃げなさい!」
「フェードル……?」
おそらく、それで隙が出来たと思ったのだろう。時間が稼げると思ったのだろう。フェードルは兎小屋の中にいるプリシラを逃がすために、近づいていく。
しかしその判断は明らかに愚かで、あまりに『見えていない』行動だった。彼女は不用意に近づきすぎたのだ。
「フェードル、危ない!」
「え……?」
気付いた時にはもう遅く、彼女の身体を大きな衝撃が襲っていた。フェードルの炎は、彼女が思っていた程、一角獣に効いていなかかったのだ。一瞬で炎を振り払ってしまった魔獣は、フェードルに体当たりをしていた。
突き飛ばされた彼女の体が大きく宙に浮く。俺は慌てて風魔法で護ろうとしたが間に合わなかった。頭から地面に叩きつけられた彼女の身体は、そのまま動かなくなった。




