61幕 学友と授業
本格的に授業が始まったのは翌週からだ。間も無く、俺はなぜ『魔術具による防衛方法』の授業が6年生以降を対象とした授業なのかという事を思い知らされる。普段はなかなか聞かないような単語が出てくる時もあったし、中にはどうしてもわからない概念などもあった。俺はそれらが出てくる度に辞書を引いたり、図書館へ行かなければならなくなった。
(フェードルはシーラもこの講義を受けるつもりだって言ってたけど……シーラには流石に難しすぎたんじゃないかな……)
それどころか、フェードルにしても、この授業は厳しいのではないだろうか。
授業が始まって1ヶ月が経ち、今日は斜め前の席に座っていたフェードルの横顔を覗き見る。ただでさえ気難しそうな顔が、この授業では殊更に不機嫌そうな表情になっている。眉根を曲げて下唇を噛みながら、食い入るように教師の講義を聞きノートを写している。どうにもその表情からは、教師の言っている事が上手く理解出来ているとは言い難そうに見えた。
「……」
あまりマナーはよく無いが、彼女のノートを少しだけ覗き込む。
(……成程)
軽く見ただけでも、間違いが多いのがわかった。例えば、『いたずら妖精の』タテガミと書いてなければいけない箇所を『海の人の』タテガミと書き間違えていたり、他にも、ある程度の知識が無いと間違えやすいゴブリンの種類を皆同じにして書いていたりする。
俺は幸いにもそれらの知識を以前読んだ書物で偶然知っていたのだが、彼女のノートの取り様だと、間違いなく、この授業は理解できていないと思う。
「フェードル、ちょっといいかな?」
授業が終わって、そそくさと席を立とうとする彼女に対し、俺は声をかける。
「……なんですの?」
と鬱陶しそうに彼女は答える。おそらく授業についていけない事で、苛々としていたのだろう。その苛立ちを隠そうともせずに、俺を睨みつけてくる。そんな状態で間違いを指摘するのは、フェードルの神経を逆撫でする事になるかもしれないとは思っていた。しかし、それでもあえて俺は口にする事にした。
「ごめん。さっきたまたまフェードルのノートが見えたんだけど……多分だけど、ノート、色々と間違ってるよ」
「……ッ! お、大きなお世話ですわね……」
と彼女は顔を赤くした。しかし、少しの間気まずそうにそうしていたが、やがて口を開く。
「……で、どこが間違ってますの?」
「えっ?」
てっきり怒ってどこかへ行ってしまうのだと思っていたので、その反応は少し意外だった。
「間違いを教えてくれるのでしょう? ……うっ、ですから、わたくし、正直な所、この授業に上手くついていけてませんの。だから、何が間違っているかもよくわかってなくて。……貴方さえ良ければなんですが、もしよかったら、教えてくださいませんこと?」
最後の方は途切れるような小さな声でそう言うと、彼女は珍しく弱みを見せた。俺に教えを請う事は嫌なのだろうが、授業についていけない事の方が悔しかったのだろう。彼女は顔を顰めながらも、大人しく俺の隣の席に腰を降ろすと、ノートを開いて見せてくれた。
「ああ、うん。じゃあ――」
まだたったの4回程度しか授業を受けていないにも関わらず、彼女のノートは想像以上に酷かった。おそらく彼女にとって、この授業は何を言っているのかわからない、意味不明な時間だったに違いない。フェードルの理解が及ばない所に対して、簡単な説明交えながら間違えを修正していく。その間、フェードルは借りてきた猫のように、素直に俺の指摘と説明を聞いていた。
「……あなた、どうしてそんなに知識がありますの? 特にゴブリンの違いなんて、3年生の授業でやるような内容じゃないんですの」
と俺の説明を、フェードル怪訝な表情でそう聞いてくる。
「たまたま本で読んでてね。図書館にあったんだよ」
「貴方、そんな事まで勉強してますのね」
「まぁ、ね。何が役立つかわからないし」と俺は言った。「……ねぇ、フェードル、この様子だと、全然わかってないんじゃない。もし良かったらなんだけどさ、今度からこの授業、一緒に受けない?」
「け、結構ですわ。わたくし、あなたと馴れ合うつもりなんてありませんの」
どうにもそれは、彼女の無駄に高い矜持を傷つける事になってしまったらしい。彼女は顔を赤くしながら、そう言うと荷物を再びまとめて立ち上がる。
「……ま、まぁ、でも、助かりました。一応、感謝はいたしますわ。……ありがとうございます」
かと言って、そのまま出て行くのも癪だったのだろう。何故か半ば怒り気味にそう感謝の言葉を投げつけると、逃げるように教室から出て行った。
(……なんだかなぁ)
やはりこの時期の複雑な感情というのは面倒臭いようだ。
◇◆◇
『馴れ合うつもりなどない』
フェードルはそうは言ったものの、しかしそれでもやはり、その後の授業も難しく1人ではついていけなかったのだろう。
「……失礼、少し見せて頂けません事」
ノートを見せて貰った次の授業では、フェードルは俺の前の席にわざわざ席をとり、わからない部分が出てくると、振り返って俺のノートを確認するようになり――。
「……」
(……凄い、見られてる……)
新学期が始まり2ヶ月が過ぎる頃には、自然と俺の隣の席に座るようになっていて、わからない所があれば、じーっとノートを隣から覗き込んでくるようになり――。
「アルフオート、さっきの授業、わからない所がありまして。……もし良ければ少し、教えてくださいませんか? お時間があればで結構なんですけど」
「いいよ、大丈夫。えっと、ああ、うん。これは魔力注入の順番が間違ってるんだと思う――」
3ヶ月が経つ頃には、自然にそんな会話が出来るまでになっていた。
(あれだけ嫌われていたハズなのに……)
仲が良くなったのかと言われれば、正直疑わしいかもしれない。相変わらず口調はきついし、授業の話以外ではほとんど喋らない。しかし、以前に比べればかなり敵意が少なくなってきていたような気がする。
出会った頃の刺々しさを思い出すと凄い変わりように、少しだけ噴出してしまった。
「……なんですの? 急に笑い出して。何かおかしい事でもありますの?」
とフェードルは俺を怪訝な表情で睨みながら聞く。
「いや、別に」と俺は言うが、それでも自然と笑みが漏れる。「なんでもないよ」
「……相変わらず、変な人ですのね」
とフェードルは言って、呆れるように苦笑いする。釣り目のせいできつく見えるが、彼女は笑うと結構可愛い。
それが起きたのは、そんな会話をした翌週の『魔術具による防衛方法』の授業中の事だった。何の前触れもなく起きたその事件が、物事を大きく事を変えていく事になる。
その頃には、俺はフェードルがどこで理解に躓くのか、なんとなく理解できるようになっていた。わかる範囲であれば、俺はその箇所に対して、簡単な説明を入れてノートをとる。フェードルもそれを理解しているようで、自分のノートへ一生懸命写していく。この授業をすべて理解しているという訳ではないだろうが、それでも必死になって授業に喰らいつこうとする彼女の姿に少しばかり関心していた時だった。
教室に備え付けられた音響魔具、魔力を遣ったスピーカーのような物が反応する。続いて誰かの上ずった声が学内に響き渡る。
「緊急連絡、緊急連絡。校内に一角獣が侵入しました。繰り返します、校内に一角獣が――」




