59幕 街と宿
「大した事じゃないか」
と俺が苦笑すると、スバルも苦い顔を作って少し曇った表情で言う。
「時々、凄く不安になる事ではあるんだ。俺はまだ先代や先々代が王座に就いた時のような魔力にはまだ遠く及ばない。それどころか、他の魔王にすらまだまだ劣る。そんな状態で、本当に俺はこの国の王になどなれるのだろうかと。好かれる事など出来るのかと。民が俺に期待をしてくれているのはもう以前からずっと知っていた。だが、俺はそれに答えられるのかとなると、不安でな」
「……」
彼は続ける。
「俺はこの景色が好きだ。ここから民の灯す炎を見るのが好きだ。彼らが安心して楽しそうに生きているのを見るのが好きだ。だが、他ならぬ俺自身がそれを壊してしまうのではないだろうかと、やはり思ってしまってな」
生まれながらにして、失敗してはいけない物を背負わされている。おそらく、そんな彼のプレッシャーは相当な物なはずだ。俺なんかでは到底想像もつかないはずの。
「スバル……」
「……だが、お前と同じように、俺もこの景色を見ると、少しだけ気が楽になった」
と彼は笑ってみせる。
「護れるかどうかではなく、護りたいし、護らなければならないんだなって、この景色を見て改めてそう感じさせられたよ。この所、どうもお前に魔力量の差を見せ付けられて、弱気になっていた部分があるらしくてな」
「……そっか」
と俺はその言葉に喜んでいいのか悪いのかわからなくなりながらも、笑って答える。明るく話すのが彼にとって一番良いと思ったのだ。
「でもさ、お前なら心配しなくても、皆にも好かれるような魔王になれると思う。魔王がどんなモノかはまだよくわからないけどさ、お前は俺みたいな1人の為に、わざわざここまでしてくれるような人間だ。そんな奴が、そういう風に国を護りたいって思ってるんだ。俺が保障するよ。お前はきっと、良い魔王様になれるし、皆がお前を好いてくれるさ」
「……だといいがな」
とスバルは少しの間を置いてから、そう言って控えめに笑う。
「だが、お前にそう言ってくれると、少し安心するよ。感謝する」
「おうよ」と俺は返す。「なら良かった」
スバルが俺の事を励まそうとしてくれたように、俺も彼の事を励ます事が出来るのであればとても嬉しく思える。
(……でも、そうか)
と俺は思いながら、街の景色を眺める。
スバルにも、この国を護りたいという、はっきりとした目標があるのだ。
☆
その後、スバルと共に街へと降り、街中を見て回った。
夜だと言うにも関わらず、街には活気が溢れていた。街のあちこちから音楽が聞こえてきて、飲食店は賑わい、人で溢れていた。通りを歩く者の中には、明らかに亜人だとわかる姿もいて、狼のような顎を持つ男が、人間の女と幸せそうに手を繋いで歩いていた。本当に、亜人に対して皆自然に振舞っているようだった。
流石にこの街で飲食店に入る訳にはいかず、俺達は道中露店で買った物で腹を膨らませながら宿へと向かった。中でもスバルが気に入っているという、焼き鳥のような、櫛に刺さった肉は良かった。
(こんな時にこそ、味覚があればな……)
こちらの世界に来てからそのようなジャンクフードめいた物を食べるのは初めての事だった。きっと味覚があれば、そのたっぷりと塗りたくられたタレの味を堪能できただろうと思うと少し悲しくなる。こういう物を片手に、ビールを飲むという生活が恋しい。
「時々、中年の男みたいな事を言うな、お前は」
その事を伝えると、スバルに笑われてしまった。
「だからいつもそう言ってるだろ?」
と俺は返す。厳密に言えば、まだ中年ではないのだけれども。
街は眠らないのではないかと思う程に騒がしかった。そこにいる人の顔は皆明るく見えた。おそらく突っ込んでいけば皆大なり小なり悩みを抱えてはいるだろうが、それでも今は楽しそうにしていた。彼らの熱気に当てられ、もっと街中を見ていたい、この街の事を知りたい。そうは思ったものの、しばらく歩いた所で、宿へと到着してしまった。
そこで、俺達は1部屋借りて泊まる事にした。空き部屋が1つしかなかったのだ。
「……でも、本当に良かったのか?」
とスバルが尋ねてきたのは、風呂に入り、各々のベッドに座り一息ついた所だった。
「何が」と俺は聞く。
「だから、部屋が一緒で、だ。別に他の宿を探しても良かったんだぞ。質は落ちるかもしれないが、どこかにはあっただろうに」
「別の部屋の方が色々と面倒じゃないか」と俺は聞いた。「なんで別の部屋にする必要があるんだよ」
「……男と女だぞ?」
とスバルは、気まずそうにそう言って目を逸らした。
「だからさっきも言ったけど、俺は男なんだって? 気にすんなよ。それに、ベッドが一緒な訳でもないんだしさ」
と俺は呆れながら言う。
そんな事でわざわざ別の場所を探す手間をかけさせる必要はないだろう。
「それに、女将さんも『兄妹ですか?』って聞いてたくらいだし、わざわざ別の部屋にした方が怪しく見えないか?」
と受付の中年女性が、微笑ましそうに俺達の事を見ていたのを思い出す。
「そうかもしれないが……」
「それともなんだ。『お兄ちゃん』は私と一緒の部屋は嫌?」
ふと思いつき、甘い声を作って、スバルをからかってみる。
「……」
大きくスバルが目を見開いて絶句しているのがわかった。
(……冗談でやってみたけど、これは流石に酷いな)
対する俺も、自分でした事なのに鳥肌を立てていた。20代後半の男が甘い声を出す。今は12の少女だと言えども、それはあまりに気持ち悪かった。きっともう2度としないと思う。
「……なんか、すまん。気持ち悪かったよな」
と俺はその冷たい空気を作り出した事に謝る。
「……いや、そんな事はないのだが。俺も、今まで兄などと人に呼ばれた経験がないから、その……少し驚いてしまってな」
とスバルは首を掻きながら気まずそうに言った。
言われなれていない事に照れているのだろう、頬が赤くなっている。
「意外だ」
対して俺は、少し驚きながら言った。
「兄貴体質っぽいと思っていたから、てっきり下に兄弟がいるのだと思ってたけど……」
「そうか。俺に兄弟はいないのだが」
とスバルは言う。
そういえば、彼の家族構成を今まで聞いた事がないという事に気付いた。そこそこ一緒にはいて、話しているつもりなのだが、どうにもお互いに、そのあたりの事を話した事はない。その事を指摘すると、スバルは『確かにそうだな』と頷いた。
「ただ、話せるような事がないのも事実なんだがな。家族と言っても、母は早くに亡くなった上に、父は後妻も娶ってない。兄弟もいなければ、親友と呼べるのもお前くらいだ。……あとは、城にいた時の者と、マカロンか。実質マカロンが俺の事を見ていてくれたようなモノだからな」
「龍が、家族……なら、空を飛んでいた他の龍も同じような感じなのか?」
と俺は聞く。確か、マカロンの姪がいたはずだ。
「いや、マカロンは特別なんだ」
とスバルはゆっくりと首を振る。
「マカロンは俺が小さい頃から、ああやって上空ではなく、俺の傍にいて俺を護ってくれていた。至龍の中でも彼女は気性が優しくて、物分りが良い。元々彼女は祖父のお気に入りの龍でな。俺だけでなく、父も、生まれた時からマカロンに世話になっていたらしい。もっとも、父は龍酔いするから、俺のように彼女の背中に乗るのはあまり好きではなかったらしいが」
「龍酔い……」
と俺は少し驚きながら繰り返す。それは、車酔いや電車酔いと言った物と同様の乗り物酔いの類だ。まさか天下の魔王アルキオネが『龍酔い』をするなんて。俺の中の魔王像が、途端人間臭く可愛らしい物になる。
「それでもマカロンは父のお目付け役として、様々な死地を共にした。父が生まれてから死ぬまでを見ている。おそらく父の一生を一番よく知っているのがアイツではないだろうか。父も彼女の事はよく信頼してくれていたみたいでな、父が死んで俺がトインビーとこの国を出る時に彼女が着いてきたのも、父の命令なんだ」
「……親子三代に信頼されている龍って事か」と俺は言った。
「ああ、そういう事だ」
と何故かスバル自身が照れくさそうに言った。それだけ彼もマカロンの事を信頼しているという事だろう。
「さて、俺も家族の事を話したんだ。お前の家族の事も聞きたい。お前がどんな家で生まれて、どんな家族に囲まれて育ってきたのか。俺も知りたい」
「ん、まぁ、話してもいいんだけど……」
と俺は言って、首を掻く。
「家族って言っても、俺には2つの家族の記憶があるからな。ノエルとしての家族と、元々の俺の家族の事とあるんだけど、どっちを話したらいい?」
「どちらも聞きたいし、どちらでも良い」とスバルは言った。「今のお前を作っているのは、その両方の経験からなのだろう。俺はお前の事が知りたい。だから、どちらも聞きたい」
「どっちもって、それだと、俺が話す量多くないか」
と俺は苦笑いしながらも話す。自分の事を話すというのは、やはり少しばかり恥ずかしい物だ。
「俺の家族はさ――」
結局、その日は夜更け近くまで、俺達はお互いの色々な事を話し続けていた。まるで修学旅行にでもきた時みたいな、妙な興奮をしていたのだと思う。あくる日の早朝、ほとんど仮眠に近い眠りをとった俺達は、マカロンに乗って街を出た。早朝だというのにもう街は動き始めていて、この街は眠らないのではないかと少し気になる。本当はもっとエンブルクの街を見たり、色々と知りたかった。スバルもまた来ればよいと言ってくれたし、その機会を楽しみにすれば良いだろう。
リーゼルニアに戻ると、そこからはまたいつもと同じように、魔術を学ぶ日々が待っていた。良い気分転換にもなり、勉強も捗った。そうして残りの夏休みは終わっていった。それでも時々、あの街へ遊びに行きたいと思うようになっていた。もっとあの街の事を知りたいと思うようになっていた。
そして、新学期が始まって、目まぐるしい変化が起きたあの時期へと入っていくのだった。




