57幕 龍の国と墓参り
翌朝、俺たちは小間遣い達に連絡を残し、最低限の道具に金銭を持ち、顔が十分隠れるローブを羽織り、リーゼルニアを出発する事になった。転移魔法は魔方陣を設置していない関係で遣えないとの事だった。スバルはどうやら、トインビーのいない間に全てを終わらせるつもりのようだった。
スバルがエンブルクに戻っても大丈夫なのかとは心配した。魔王である以上、どこで命を狙われているかもわからない。しかし、もう今まで何度も戻っている事であり、ある程度の注意さえ払えばまったく問題はないと主張する彼に押し切られてしまう形で、俺はそれを承諾してしまった。そんな風に必死になるスバルも珍しかった。俺も実際の所、魔王領という物には興味があったし、学園の外に出てみたいという気持ちが強かったのだ。
「おはよう、マカロン」
俺の姿を見るなり、マカロンは甘えるように顔を摺り寄せてきた。いつものように顎を撫でてやる。マカロンはそれが気に入っているのか、表情を緩めてぐるぐると喉を鳴らす。まるで犬か猫でもあやしているかのような気分になり、少しばかり癒される。
「よーしよしよしよし……」
もう何度もやっているうちに、どこを撫でてやれば良いのかわかるようになってきている。こうしたやり取りはもう何度目の事だろうか。夜は時々3人(2人と1匹)で過ごす時がある。スバルと魔術稽古を行う時にも、リーワースの街外れの丘に行く為に彼女の背中に乗せて貰うのが常になっていた。
「エンブルクまで行きたいのだが、飛べるか?」
とスバルは俺の隣で、マカロンの頬を撫でた。マカロンは大きく鳴いた。
「あ、これはわかる」と俺は言った。「凄く喜んでる」
「久々のエンブルクだ。マカロンも戻れるのなら嬉しいのだろう」
「マカロンは生まれもエンブルクなのか?」
「いや、70年前までは別の場所にいたらしい」とスバルは言う。「だが、ここに来るまではずっとエンブルクにいたんだ」
スバルはそう言うと、先にマカロンの背中へと登っていく。マカロンの人生(龍生?)を知りたい気もした。彼と一緒に魔法を遣わないのは、魔素の『衝突』によって事故が万が一にも起こらない為だ。ある程度の魔力制御が出来るのであればそのような事故は起きないだろうが、基本的に他者との魔法との同時使用は避けるのが普通だった。
「――風よ」
と龍の背中に乗ったスバルが、いつものように、上から俺に魔法をかけるのがわかった。俺は大人しく彼の魔法を受け入れ、マカロンの背中へと運ばれていく。初めは自分の魔法制御が出来なかった為にそうして貰っていたものの、今なら彼の力がなくとも十分自分の力で出来るはずだった。しかし未だにこの習慣はずっと続いている。
おそらくは、以前俺が彼の魔法を抵抗した事を、俺もスバルも意識しているのだろう。そうする事で、彼の魔法を拒まないという意思を俺は示しているつもりだし、おそらく彼もその事で安心している部分はあるのだと思う。
「いつもありがとな」
とマカロンの背中に乗った俺は言う。
「ああ」とスバルは満足そうに頷く。
エンブルクは地図上ではリーゼルニアから南西へと進み、国を3つ4つ越えた場所にある。早朝から出たというのにも関わらず、エンブルクへと着いたのは陽が傾きかけた頃だった。その間に、何度か途中の国で降りて軽い休憩はとった。しかし長く座り続けたせいか、エンブルクにつく頃には尻が少しばかり痛かった。
「見えたぞ」
とスバルが山を越えた先に見えるそれを指を刺す。そこには城と街、そしてその先に湖が見えた。それはサイズ感こそ比べ物にならない程大きいものの、どこかリーゼルニア国立魔法学校とリーワースの街を連想させる物だった。
――この景色を見ていると、俺の住んでいたエンブルクを思い出す。
と以前スバルに言われた事を思い出す。俺としてはその逆であったがよく分かる。まるで瓜二つと言った情景が目の前に広がっていた。
「凄い……」
と俺は声に出す。
街の上空には何頭もの龍が飛んでいて、軌道を描きながら飛んでいた。皆、エンブルク王家に仕えている龍なのだそうだ。聞いてはいたものの、そのような数の龍を見た事はなかった為に驚いてしまう。龍は目立つのではないかと心配していたのだが、話に聞いていた通り、この様子であれば目立つ事はなさそうだ。その中の1頭が擦れ違い様に鳴いた。親しみを込めるような鳴き声だった。
「今のはマカロンの姪にあたる龍だ」とスバルは言った。
「ならマカロンの子供はどれ?」
「彼女には子供がいないんだ」とスバルは言った。
「……そっか」
気にするなという風にマカロンは鳴いた。
「先代の墓は城の離れた所にある」とスバルはそのやりとりの後に言う。「流石にその近くに降りるのは目立ちすぎる。少し歩く事になるが、大丈夫か?」
「大丈夫だ」
と俺は返す。座り続けていて腰がもう限界だった為に、今すぐにでも降ろして貰いたかった。
☆
墓の近くにあるという森の中で、俺とスバルはマカロンから降りた。
「今日はお前も距離を飛んで疲れているだろう」とスバルはマカロンの頬を撫でながら言う。「明日の朝迎えに来てくれ、それまではお前も仲間と会いたいだろう」
「いつもありがとな」
と俺もマカロンに言う。彼女は満足そうに鳴くなり、空を泳ぐように飛ぶ龍達の群れの中にまぎれて行った。
森から30分程行った先、街が一望できる小高い丘の上に、スバルの両親の墓はあった。歩けば相当の距離ではあったものの、風を纏って進めばそう時間もかからなく労力も必要とせず、楽に辿り着く事は出来る。
(でかい……)
10メートルは優に超えるであろうその縦長の石は、墓というよりは何かの記念碑にすら見える。石碑はかなり遠方からでも確認が出来て、その存在感を示していた。
「これが、墓? 他に小さな墓が別にあるとかじゃなくて?」
「ああ、これだけだ」とスバルは返す。「王家の人間皆の墓になる」
「成程」
その石碑からは、街へと続く道が舗装されていた。もう夕刻だと言うにも関わらず、何十人という人間が集まっていた。皆、石碑の前にやってきては、次々に何かを祈って帰って行く。その光景が意外に思えてしまい俺は驚いてしまう。だってそれは、世界に災厄をもたらしたはずの、魔王アルキオネの墓なのだから。
「……」
フードを深くかぶったスバルが目を閉じて祈りを捧げ始めたのを横目に、俺は少しだけ周囲を見渡す。老若男女問わず、様々な人間達が何かしらを祈っているようだった。
(でも……これがスバルのご両親の墓なのか)
それから、彼に習って両手を結び、目を閉じた。思えば、友人の親の墓に来るなど初めての経験だった。会ったことの無く、話した事も無い人間の墓。何を思えば良いかわからず、とりあえず、自己紹介とスバルの近況を報告しておいた。
(――はじめまして、スバルさんの友人のノエルと言います。いつもスバルさんにはお世話になっております。彼は――)
「……」
目を開けると、既に彼は祈りは終わっていたようで、俺の事を見ていた。
「随分と長く祈っていたな」とスバルは言った。「何を話していた?」
「色々と、な」
と俺は言った。まさか彼の事を褒めていたと言える訳もない。
「……でも、少し驚いたな」
「何がだ?」とスバルは聞く。
「こういうととても失礼なんだけど、『魔王』の墓なんだろ。だからもっと……人は避けたがるのかと思っていた」
見ている限り、墓の前にいる者達の表情は皆明るい。走り回っている子供達すらいて、それを微笑ましそうに見る大人達もいる。
「意外か?」
「なんていうか、俺が想像していた『魔王』像とかなり違うような気がする……。もっと怖がってるもんかと、思ってた」
「外の国の人なら、そう思うかもしれないね」
と外から声をかけられる。見ると、俺達と同じようにフードをかぶった、背の低い老婆だった。




