46幕 平穏な時期と実技試験
思えば学園生活最初の学期は、比較的平和で明るい時期だったなと、後になって思う。それはまるで、その後に起きる嵐を前にした静けさだったかのように。しかし今はその『静けさ』についても、ある程度は語っておきたいと思う。静けさの中にも、後の嵐の原因になる物は確かにあったのだから。
友人は別にいなくてもいい。
そうは思っていたけれども、ブライアンやシャーリーと仲良くなり、少なくとも、学園生活に色が付いたのは事実だった。俺達3人は、授業を受けるときは並んで席を取り、食事や移動時は一緒に行動する事が多くなった。
勿論、相変わらず食事は味を感じられないので辛く、時々精神的な年齢の違いからか彼らの言っている事が幼稚に思える事も多々あった。しかしそれでも、ブライアンからは北方の国の事情やその地方にある伝説、生態系について知る事が出来たし(彼は妙に記憶力が良かった。頭がいいのだろう)、シャーリーからは『女性らしさ』の基礎的な物を学ぶ良い機会になった。ノエルも本来女性ではあったが、彼女はどちらかと言えば勉強や家族の事にしか興味がなかったきらいがある為に、そういう知識や記憶がどうしても乏しいところがあった。
マウリッツ達はその後、特に何をしてくる訳でもなかった。
こういうのは後で根に持つのがお決まりだと思っていたが、俺とブライアンがシャーリーの傍にいるようになってからは、彼女に対する嫌がらせはとんと無くなった。自分で言うのもなんだが、思っていたより、俺の影響力は強いらしい。
その変わりか、色々な生徒に話しかけられる機会が増えた。やはりシャーリーの言っていたように、皆俺に対して『怖さ』を持っていたのだと思う。それが2人と過ごす事でなくなったのであれば、とてもありがたい事だった。
校内には本当に様々な人がいた。シャーリーもブライアンも俺と同じ12歳だったが、中にはプリシラやフェードルのように浪人をしている人間も多い。非常に狭き門な上に、この学園からの卒業するのも、また難しいとの事だった。優秀な生徒達が集まったはずなのに、毎年多くの落第生が出るらしい。
「――風よ!」
フェードルはそう唱えると、3つ横並びになった花瓶を、全て風魔法で持ち上げてみせた。それから、宙に浮かんだ花瓶達の向きを逆さにする。逆さになった花瓶の中の水は、当然重力に惹かれ流れ出るが、地面へとこぼれる直前に、まるでそこに見えない空気の受け皿でもあるかのように、ぴたりとその動きを止めた。
そこからは、まるで映像の逆再生でも見ているかのようだった。フェードルは風を操り、その水を花瓶の中へと戻していく。全ての水を受け入れた花瓶達は、また向きを変え、元の場所へと戻っていく。花瓶は何事もなかったかのように、元々そこにあった通りに戻る。
「……よろしい、ミュルジェール」
そう言って、ヴァーノン先生はフェードルに拍手を送る。
浅黒く背の高い、若く、見るからに優しそうな教師だ。いつも白衣をかぶっていて、それが様になっている。
「とても良い感じです。特に、水を一滴も無駄にすまいという繊細さはとても良かったです。合格です」
「……ありがとうございます」
当のフェードルは、出来て当然だとでも言わんばかりにそう冷たく返事をすると、自分の席へと戻っていく。席に戻るまでに、何度か俺の方に目を向けて反応を伺っていた。どうだと言わんばかりに。どうにも彼女は俺に対抗心を燃やしているらしい。しかし確かに、彼女は同級生の中ではかなりの実力を持っているのは確かだった。『初級魔術入門Ⅰ』、その実技の中間試験、おそらく彼女はトップクラスの点数だろう。
「次、リシュタンベルジェル」
「はい、お兄ちゃん」
とプリシラがヴァーノン先生の呼びかけにそう答える。
「……授業中にその呼び方はやめろって言ってるだろ、プリシラ」
ヴァーノン先生が呆れたようにそう言うと、緊張で包まれていた教室に笑いが生まれ、空気が和らいだ。おそらくプリシラは意図してやってくれたのであろう。
親しみやすく、生徒から人気のあるヴァーノン先生は、実はプリシラの兄なのだそうだ。ヴァーノン・リシュタンベルジェル。学校中が、プリシラ同様に苗字では呼びづらい彼の事を、ヴァーノン先生と呼んでいる。成程兄弟で話しやすそうなオーラを出している。
「……はい、合格だ。文句をつけるとしたら、最後に花瓶を戻す時に少し雑になった所かな。もう少しで花瓶が倒れる所だっただろう」
「えー、だってなぁ……」
プリシラも、先程フェードルがやってみせた事と同じ事をする。ヴァーノン先生はそうは言うものの、妹のその結果に満足しているらしく、皆が見ているというのにも関わらずプリシラの頭を撫でた。プリシラはそれを隠すまでもなく嬉しそうに受け入れる。仲が良いのだ、彼らは。
「いいなぁ……」
と教室のあちらこちらから声が漏れる。ヴァーノン先生はまだこの学院を卒業したばかりで、若く、生徒から人気があった。
プリシラも中々の魔術を持っているが、やはりフェードル・ミュルジェールには敵わないだろう。彼女は同級生の中でも、頭一つ分抜け出てきているように思える。
ちなみに、ブライアンは花瓶の一つから出た水を上手く制御出来ずにこぼしてしまい、シャーリーに至っては、力を入れすぎて花瓶を逆さにするタイミングで手元を誤り、危うくヴァーノン先生の顔面を捉えかけて顔を青白くした。しかし、彼女達も試験的には十分合格点は貰えているようだった。この試験では『物持ち上げ』の基礎さえきちんとおさえていれば、花瓶を浮かす事さえ出来れば良いとの事だった。
「――合格です。アルフオート。非の打ち所がないな、これは」
「ありがとうございます、ヴァーノン先生」
俺については、面白味も何もなく特筆すべき所もない。
何の苦もなく難もなく。出来た所で何かしらの嬉しさはなく、当たり前すぎて達成感もない。きっと、それがノエルの魔力という『借り物の力』だという思いが強いせいだろう。俺はヴァーノン先生に一礼すると、フェードルの方に出来るだけ視線を向けずに席へと戻っていく。視線を向けなくとも、強い敵意の視線を向けられていることは感じていたのだから。
「次、ブルームフィールド」
「はい」
次に呼ばれたのは背の高い、髪をぼさぼさにした男だった。どこからどう見ても上級生で、スバルと同じくらいの歳に見えなくもない。他の授業でもそうした落第生を何人も見る事がある。おそらくは落第生だろう。この授業で見る上級生は彼だけだった。本来ならば、誰もがパスできるような授業なのだ。
緊張した面持ちで出てきたブルームフィールドという苗字の青年は、花瓶の前に立つ。深呼吸をしてから、それから、思い切って口を開く。
「――風よ」
そう唱えたは良い物の、花瓶はぴくりとも動かない。彼からは一切の魔素の流れが感じられず、魔法が発動していない。それはまるで、ノエルがバラントの施設で『封魔の枷』を付けられていたかのような状況だった。しかし、彼はそのような魔具を一切着けていなかった。
「――風よ。風よ!」
「俺の3つ上の姉貴がこの学校にいるんだけどさ」
と隣の席にいるブライアンがぼそりと言った。
「姉貴が1年の時も、あの人をこの授業で見たって。毎年この授業に落ちてるらしい。魔力がほとんどないらしいんだ」
「ほとんどないって……なんで入学試験は通れたの?」
と俺は聞いた。
「あー、ノエル、入試受けてないもんね」と俺達とすっかり打ち解けたシャーリーが言う。「入試って基本、筆記試験だけだよ」
「……そうなんだ」と俺は返す。
人によっては、属性によっては魔法に得手不得手という物が存在する。しかし風魔法ではあっても、あまりにも初歩の初歩である『物持ち上げ』が出来ない魔術師などというのはそういない。学校に通ってない一般人であったとしても、普通に出来るハズの魔法なのだ。
「風――」
「もういい、もういいブルームフィールド。やめなさい」
と言い、ヴァーノン先生が彼をとめる。結局、花瓶は一ミリたりとも動く気配はなかった。ヴァーノン先生は辛そうな表情をしながら、ブルームフィールドの肩をぽんと叩いた。
「……これで6年連続落第か」
「『物持ち上げ』もできないって、なんでここにいるの?」
「わざと落第してるんじゃない?」
くすくすと、教室のあちらこちらから笑いが起きる。
ブルームフィールド、そう呼ばれた彼は、表情を曇らせながら溜息をつくと、とぼとぼと教室の一番後ろの席へと戻っていく。その背中は、あまりにも寂しそうに見えた。
(落第生、か……)




