44幕 平民虐めと正義感の強い少年
『魔法の下には皆平等』
上下関係を気にしていては魔術学習に差支えが出るとの事で、クラーク・トインビーが校長に就任して以来、この学園では、平民も貴族も関係なく平等の扱いを教師から受ける事となり、また生徒達もそうある事を求められる。
しかし貴族からすれば、百歩譲って貴族間の上下関係には目を瞑れたとしても、平民の子供と同じ扱いを受けるのは屈辱極まりない事である。上級生になるにつれてその差別的な感情は無くなっていくそうなのだが、入学したての頃は酷い物らしい。それで起こるのが貴族達による一方的な『平民虐め』。毎年そのせいで辞めていく平民は少なからずいるのだそうだ。
おそらく彼女もまたその『平民虐め』の被害者なのだろう。平民はただでさえ逆らいづらい上に、彼女は輪をかけてそういう標的になりやすそうな、気弱な見た目をしている。
「あの……帽子ありがとうございました。すみません、ごめんなさいっ」
それだけ言うと彼女はいそいそと俺の前から離れていく。そのおどおどとした様子からはもしかすると、俺も彼女を虐める可能性があると思われているのだろうか。
(だからこれくらいの年齢の人間関係って、嫌なんだよな……)
去っていく彼女のとんがり帽子を見ながら思う。子供特有の、想像力の欠如から来る行き過ぎた悪意。たまにそのまま身体だけ大人になる性質の悪いのもいるけれども。確かに人生をやり直したいと思ったが、そういう面倒くさい部分まではやり直したくなかった。
「……」
読書を続ける気分でもなくなってしまう。俺は溜息をつくと、本を閉じて鞄の中に仕舞い立ち上がる。次の授業の教室へと向かう為に、時計塔を出た。
(……失敗したかな)
思ったよりも早く授業の教室に着いてしまったらしい。授業が始まるまでにはまだ十分な時間があった。授業の始まっていない教室は騒がしく手持ち無沙汰になる。時計塔に戻る程の時間もなさそうで、『結局、ここでも読書をするしかないのか』と思った時に、声をかけられた。
「あれ、ノエルさん、珍しいなぁ」
教室に入ってきたばかりのプリシラだった。その隣にはいつものようにフェードルが居て、俺の事を見つけるなり、露骨な嫌悪感を示してくる。俺は君に何かをしたのだろうか、と少し尋ねてみたい気もするが、聞けば聞いたでまた面倒くさい事になりそうなので、その視線に気づいていないフリをする。
「そうだね、少し早く着いちゃって……」
「そっか」
プリシラはフェードルを気にしてか、俺の傍に席を取るかどうかで悩んでいるようだった。こういう時、空気が読めてしまうのは悲しい事ではある。俺の事は気にしないでくれと伝えるかどうかで悩んでいる時、ふと教室内に前方から声があがる。
「やめてっ、帽子、返して下さいっ!」
先程時計塔で会った平民の少女だった。彼女は数人の男子生徒に囲まれて、彼女の三角帽子を取り上げられていた。彼女の慌てた表情と上ずった声が面白いのか、男子生徒達はにたにたと笑っている。
彼らが遣っているのは覚えたての『物持ち上げ』の応用。数人による風魔法によって、帽子は右へ左へ、前へ後ろへと宙を舞い続け、彼女が掴もうとする度に、するりとどこかへ逃げていく。
「ああ、シャル、またかぁ……」
とプリシラが呟く。
「また? いつもの事なの?」と俺は尋ねる。
「そうやなぁ。あの子、シャーリーって言う平民なんやけどな、いっつもあの帽子かぶっとるやろ? 男の子らはあの帽子でからかうのが面白いみたいでな、たまに授業の前にああなる事があるんよ。ほんま、シャルもああなるんわかっとんやったら、帽子かぶってこんかったらええのに」
プリシラは呆れたようにそう言う。その呆れはシャーリーという名前の少女にも、彼女をからかって遊ぶ少年達に向けられているようにも思えた。見ると、教室内の皆が同じような視線を向けている事に気づく。なるほど恒例の光景と化しているのだろう。
「……」
別に誰か止めてやれよ、などと言うつもりもない。皆同じように心の中では思っているだろうから。シャーリーをからかうのは6人程の少年。変に注意をしていらぬ標的になるのも嫌なのだろう。『平民虐め』程悪質な物ではないだろうが、それでも好んで嫌がらせをされたがる者もいない。
ただ、見ていてやはり気分の良い物でないのも確かではある。
「返して! お願い!」
顔を真っ赤にしながら帽子を追いかける彼女の姿を見る。
(シャーリー……シャル……ねぇ……)
――何言っているのシャル、貴方はこれから一人で暮らすんだから、色々と服は持っていないと。その都度買いに行くなんて難しいでしょうし
ふと、リーワースの街で、制服を採寸した時に見た親子の事を思い出す。そういえば、彼女こそ、今目の前にいるシャーリーなのではないのだろうか。だとするならば、あの宙を舞う三角帽子は、あの人の良さそうな母親に買って貰った物という事になる。
――うちは平民で貧乏なのに、わざわざ買ってくれて。皆さんから見ればダサいかもしれませんが、それでもこれは、大切な物なんです。
先程時計塔で会った時に、シャーリーが言っていた事を思い出す。
(下らない事をするなぁ……)
流石に見ているのも辛くなってきたので、彼女を助けようと立ち上がりかけたところで、教室の別の場所から声があがる。
「お前ら、下らない事はやめてやれよ!」
育ちの良さそうな少年だった。恐らくは彼も貴族出身。少しばかり身長が高く、肌が白い。少しばかりそばかすが目立つ物の、はっきりとした顔をしている。フェードルの透き通るような金髪とはまた違った、どちらかと言えば茶色に近い、濃い金色の髪を持つ少年だった。
その少年の声に、帽子にかけられた魔法が解けて地面に落ちる。リーダー格でガタイのいい少年がそれを拾い上げ、彼を睨みつける。
「なんだよ、ブライアン」
「それを彼女に返してやれって言ってるんだよ、マウリッツ」
ブライアン、そう呼ばれた少年は、マウリッツ少年を睨み返す。おそらく、我慢の限界が来て言わずにはいられなくなったのだろう。ブライアンはマウリッツ達の傍までやってきて、シャーリーを庇う様に立った。
「なんだよお前、そんなにムキになって。あ、さては、こいつの事気になってんのか?」
おい、天下のエインズワース家の坊ちゃんは、平民様の女が好きなんだってよ!
マウリッツが大声で煽る。蔑むような笑いが、少年達だけでなく教室の中で起こる。侮辱されたブライアンはかっかしやすい性格なのか、分かり易く表情が歪んでいく。今にも飛び掛りそうだと言わんばかりに。
「あれ、大丈夫かいな……」
と俺の傍にいるプリシラが、眉を寄せながら心配そうに呟く。学園内での暴力行為など勿論ご法度である。最悪の場合は退学。それに、いくらブライアンの身体が大きいと言えども、物理的には多勢に無勢。体格差や数を補う為に魔法があるといえど、ブライアン少年から感じる魔素は、マウリッツ達とそう変わりはしない微々たるものである。つまり、喧嘩になれば、どうあってもブライアンは勝てないだろう。
しかしブライアンがマウリッツに飛び掛る事はなかった。俺が皆を止めたからだ。
「――風よ」
マウリッツの傍をある物体が通り過ぎた。それはマウリッツの頬にギリギリで触れない距離でかすめ、背後にある壁に勢い良くぶつかる。ワンテンポ遅れて、彼の周囲に強風が起こり、数人が思わず目を塞いだ。そこで初めてマウリッツは自身に危険が迫っていた事に気づき、慌てて背後へと目を向ける。
それは教科書だった。
風魔法。俺は適当な机の上に置かれていた教科書を、彼に向けて飛ばしたのだった。勿論、当てるつもりなど毛頭も無く、手加減している。スバルとの訓練のお陰で、それくらいの微妙な調整であれば出来るようになっていた。万が一にも当てるつもりはなかったが、万が一ぶつかってでもいれば、軽い怪我程度では済まなかっただろう。
「……」
その事に、教室中がしんと静まり返る。教室内にいる生徒の視線が、床に落ちた教科書へ向けられ、それから少しづつ、俺へと動く。そのような威力の魔法が遣える者など、俺くらいしかいなかったからだ。
「ああ、ごめん」と俺はマウリッツに向けて言った。「手が滑った」
有無を言わせないように言う。それ以上取り合わないといった感じで。一度大きな力を見せてしまえば、何を言おうがその言葉は力を持つ。
「……」
マウリッツの顔色がみるみる青ざめて行くのがわかった。彼は俺に何か言いたげではあったものの、顔を顰めて視線を逸らせる。それからマウリッツはシャーリーにその三角帽を押し付けるように渡すと、他の少年達と一緒に教室から出て行ってしまった。




