4幕 アンドレア・フロリオと、既視感のある魔素
「すみません、今、誰だとおっしゃいましたか?」
アンドレア・フロリオは目の前の光景を、そして今自分が耳にした言葉を、どうしても信じることが出来なかった。
「ですから、ノエル・アルフオートですよ。ほら、リストニアにいた『偉大なる12人の魔法遣い』入りも間違いないだろうなんて噂されてた、あの少女ですよ」
なんて事はないと言った風に、研究所の職員は言った。
がつん、とこめかみを殴られたような衝撃がアンドレアを襲う。
どうやら聞き間違えではないらしい。
今目の前にいるのは、半年前に行方不明になったあの『ノエル・アルフオート』なのだ。
☆
バラント王国国内では有名な魔術師、アンドレア・フロリオ。
国では『英雄アンドレア』などとして先の戦争などでの活躍ぶりを知られている。
王都で精霊魔術を研究しながら、有事には軍隊の魔術部隊の一員となり戦地に赴く。高位精霊の力を借り放たれる対軍魔法はいくつもの不利な戦況を覆し、バラント王国を勝利へと導いてきた。
彼はこの度国王の命によって、国東の森中にある研究施設へと来ていた。隠されるように建てられ、あまり表沙汰に出来ないような研究が行われるその研究所からは、アンドレアにはどうしてもバラントという国の「闇」の部分を感じずにはいられない。気は進まないものの、国王の命とあれば逆らう事も出来ない。
召集がかけられたのは、自分を含めた10人の魔術師達だった。10名全員が『精霊魔術』になんらかの形で携わっていて、この面子で研究所に集まるのは今回が初めてではない。
彼らが集められたのは、魔王討伐の為に、人の身に精霊を降臨させた魔術師を作り出す為だ。だが一度たりとも、その試みが成功した事などない。成功する気配すら見えない。
「今回の器は、きっと皆さん気に入って下さると思いますよ」
研究所の職員は集まった魔術師達に自信ありげにそう言うと、アンドレア達を施設の最奥にある部屋へと案内する。魔術師達は呆れながら「何を寝言を」とでも言いたげに、職員についていく。
施設の最奥の部屋は地下深くにある為に、被験者の魔力が地上に漏れる事もない。他国の察知魔法を掻い潜る事が出来るその場所へ行くという事は、大方またどこかの国の捕虜を『実験道具』として使うのだろう。
(相変わらず王は現実的でない事を仰られる……)
とアンドレアは思う。
どんなに魔力の高い人間を捕らえてきても、人間では精霊の器には決してなれない。他ならぬ精霊魔術を使う彼らが一番わかっている。他の魔術師にしても同じ事のようで、皆どこかうんざりした表情でいる。皆わかっているのだ。今回もまた無駄に一つの命を無駄にして、同じ失敗を繰り返すだけに終わるだろうという事を。
しかし、そんな彼らの考えは裏切られる。
「……」
半時間ほどほど歩き続け、最奥の部屋まであと半分と行ったところだろうか。アンドレアをはじめとした10人の魔術師全員の表情が、皆少しづつ何かに気づき、段々険しくなり始める。
何かがおかしいのだ。
「魔素の、濃度が……」
魔術師の一人がそう呟き、表情を顰める。洞窟内を流れる魔素がひどく濃いのだ。
生物の体内に流れている魔素。生き物は、その魔素を身体から大気中へと放出している。しかし、このような魔素の量は、普通人間程度の魔力が放出するような濃度ではない。
油断すると魔素酔いしてしまいそうな強い魔素量に、アンドレアは身構える。
(この魔素量……まさか、今回の対象は人間以外に精霊を降臨させるつもりなのか……?)
何かしら、強大な魔力を持った魔物でも捕まえたのだろうか。これほどの魔素濃度となると、至龍か、あるいはユニコーンのような聖獣なのか……。
「また今回は、とんでもない物を用意したんですね」と魔術師の1人が研究員に言う。「一体、何を用意したんです?」
「まぁ、実際に見てもらうのが一番ですよ。きっと皆さん、気に入って貰えますよ」
魔術師達の表情が少しづつ変わっていくのを見て、してやったりという風に研究者達は不敵に笑う。
1歩1歩、部屋に近づくにつれてどんどん魔素濃度は濃くなっていく。アンドレアは本能が『これは危険だ』と告げるのを理解していた。いつものような実験とは明らかに訳が違う。油断をすると、実力のある魔術師ですら気絶してしまいそうな魔素濃度だ。
(……しかし、この魔素の性質……どこかで……)
あらゆる生命の中に存在する、魔力の源である『魔素』。
魔素には色や匂い、温度、圧力や波長に似た、目には見えないものの、魔力を持つ物のみが感知出来る第六感的な性質がある。それは人によって違い、心地よいもの、不快なもの、攻撃的なもの、とてもユニークなものと、千差万別である。2つと同じ物はない。
しかし、今感じている強力な魔素の性質を、確かにアンドレアはどこかで感じた事があった。
(いや、まさかな……)
と彼はその考えを否定する。そんなハズがない。これだけの魔素濃度を人間が出せるハズがないのだから。
「……さ、着きましたよ」
部屋の前に辿り着いた時、魔術師たちは身構えずにはいられなかった。何かが扉の向こうにいる。何か、とても危険な物が。魔術師達の表情に緊張と強張りを感じた研究員は、その事に優越感を感じながらも、皆を安心させるように笑みを浮かべた。
「皆さん、そう身構えなくても大丈夫ですよ。襲ってきません。『無力化』していますから。皆さんの命の安全は保障できます。さ、中へと入ってください」
そう言って扉をあける。
「――『光』を」
全員が部屋に入るのを確認すると、研究員は魔法で部屋に灯りをともす。
「……ひっ」
何人かの魔術師がソレを見て思わず声をあげた。アンドレアも部屋の隅にいるソレを見つけるなり、思わず背筋に寒気が走り、鳥肌が立ってしまった。
そこには膝を抱え、虚空を見つめる1人の小汚い少女がいた。
骨と皮だけといえる程にまで、極端に痩せた少女だった。腕や足の骨は完全に浮いていて、頬の肉は削げきっている。おちくぼんだ目は見開き、おおよそ焦点があっていない。はじめアンドレア達魔術師は、彼女が自分達を凝視しているのだと怯えたが、すぐにそうではないということがわかる。彼女は何かを見ているようで、まったく何も見えていないのだ。半開きになった口からは涎が垂れている。
廃人。
彼女からは、膨大な魔力を感じていた。おおよそ人間とは思えない魔力。足と手には『封魔の枷』がついており、これで少女の身動きと魔法を封じ『無力化』しているのだろう。
しかし、彼女は一目見ただけで精神が狂ってしまっているとわかる状態だった。その不気味さは、見ているとどこかこちらまでその狂気が伝染しそうになり、思わず顔を顰めたくなる。
「……」
だがアンドレアは、その廃人の少女を凝視せずにはいられない。
目が離せないのはその醜さのせいではない。
彼女に覚えた既視感のせいだ。
目の前の廃人の少女は『銀色』の髪をしていた。
アンドレアはその髪の人間など、ほとんど見た事がない。銀色と言えば小妖精のような生まれつき魔素量の高い亜人達、その中の極々一部の者くらいでしか見られないハズの髪色なのである。
(だが、彼女は……)
しかし少女には、亜人にあるハズの明らかに人間と違うところ、エルフであれば特徴である尖耳や尻尾という物がない。混血であったとしても、その特徴は遺伝するはずだ。
だとすると、一体彼女はなんなのだろうか。
(……まさか)
1つだけ、思いつく可能性があった。先程一度だけ考えて、あまりの突飛さに捨ててしまった考え。しかしそれが正しいとすると、あまりに笑えない話だ。
だが、そう考えると合点が行ってしまう。
彼女の顔を、確かにアンドレアは見た事があった。記憶の中の彼女からはかなり痩せてしまっているけれども、確かに彼女の顔だ。
(いや、しかし、彼女の髪色は確か栗色だったハズでは――――)
先程から感じる、とめどなく漏れ出る魔素の性質は、以前彼女と会った時に感じた物と同じ感触。魔素量の強さはあの時から比べ物にならない程、人間の域を超える程に増えている。しかし、それがもし、もし有り得ない量の魔力強壮剤を投与ドーピングした事によって作り出された物だとすれば。だとしたら彼女の今の廃人のような状態も、薬の過剰投与による精神の崩壊という理由がつく。髪色も、体内魔素量の急激な変化によるものだといえる。
彼の中の考えと現実とが、かちりと音を立ててハマる。
だが、彼はそれを認める事はどうしても出来なかった。
「彼女は……誰なのですか?」
どうしてもアンドレアは、研究員に尋ねなければいけなかった。その可能性を否定してくれと。
「ああ、ノエル・アルフオートですよ」
だが、研究員は隠すでもなくそう事実を告げた。
「……すみません、今、誰だとおっしゃいましたか?」
アンドレア・フロリオは目の前の光景を、そして今自分が耳にした言葉を、どうしても信じることが出来なかった。
「ですから、ノエル・アルフオートですよ。ほら、リストニアにいた『偉大なる12人の魔法遣い』入りも間違いないだろうなんて噂されてた、あの少女ですよ」
あなたも耳にしたことはあるんじゃないですか?
なんて事はないと言った風に、研究所の職員は言った。
がつん、とこめかみを殴られたような衝撃がアンドレアを襲う。
どうやら聞き間違えではないらしい。
今目の前にいるのは、半年前に行方不明になったあの『ノエル・アルフオート』なのだ。