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39幕 貴族と平民の距離の近い店と噂



「店は入らないのか?」と俺は聞いた。


「ああ、大変なことになるだろうからな」とスバルが言った。「外で待っているよ」


「わかった」


 確かに、魔王だとバレでもすれば大変な事になるのだろう。俺は少し残念に思いながら、店の中に入った。


 数分後、俺はそれが見当違いの事だと知る。


 棚は天井まで高く、ぎっしりと本が敷き詰められている。教科書だけでなく、色々と興味が沸いてきて、高い所まで見上げようとするとフードが外れた。即座に声をかけられる。


「あなたは……もしや、ノエル・アルフオート様ではないですか?」


「え……あ、はい、そうですが……」


 どこかで見たが思い出せない顔の唐突な問いかけに、馬鹿正直にもそう答えてしまった。その声に店中の物音がすべて止まり、ただでさえ静かな店内が輪をかけて音がなくなるのがわかった。それで俺は失敗したのがわかったが、その時にはもう遅かった。


 一瞬の沈黙の後、堰を切ったように店内がまるで居酒屋にいるような騒がしさに変わる。


「やはりノエル様でしたか! 以前ブルームフィールド様のパーティーでお会いしたのを覚えておりますか?」


「え、何、ノエル・アルフオートが来ているって?」


「ほんと? あ、あの銀髪の子?」


「ちっちゃくて可愛い」


「本当だ。生きておられたという事を聞いておりましたが、お会いできて光栄です!」


「次は私にも握手を……。この度はご家族の事も含め、とても大変だったと聞きました。でも我らがクラーク・トインビーの元ならもう大丈夫ですからね!」


「頑張ってくださいね! 期待しております!」


 リーゼルニア国内がノエル・アルフオートの噂で持ち切りだというのは本当だったようで、騒ぎを聞きつけた人が次から次へと店に集まってきて、物を買うどころの話ではない。


 次々と色んな人が俺に握手を求めてきて、何か一言と、それから何かしらの「物」を俺に押し付けるように渡してきた。それは大抵はここで買われた本であったが、中には魔法用の小道具であったり、焼きたてのパンであったり、どこかのショーのチケットだったりと多種多様にわたった。


 そこで俺は自分が見当違いだった事に気づかされる。


(大変な事(・・・・)になるってこっちの事かよ!)


 と俺は店の外に目をやると、スバルが俺を見て苦笑いをしているのがわかる。助けて欲しいのだけれど、彼にそのつもりはないらしい。まるで魔法界に戻って来た時の『額に傷のある眼鏡の魔法使い』にでもなった気分で、俺は次から次へと握手を求められる。


「そろそろノエルさんも疲れてきたでしょうし、皆さん離れてあげて下さい。ほら、皆さん一旦店を出てください。閉めますよ」


 30分程して、アイドルでもないというのに握手のせいで手が腫れ始めた頃、本屋の店主はそう言って店から客を追い出してくれた。そうしてくれなければ、おそらくまだまだその騒ぎは続いていたであろう。お陰様で店が俺と店主だけになり、やっと落ち着く事が出来た。俺はげっそりとしながら店主に感謝の言葉を述べる。出来ればもう少し早く止めて欲しかったのだけれども。


「ありがとうございます。お騒がせしてしまいました」


「いえいえ。しかしまさかうちに来てくださるとは。……やはりリーゼルニア魔法学院にご入学されるという噂は本当でしたか。お茶をお持ちしても?」


 本屋の店主は6、70代くらいの人の良さそうな、背の低く腰の曲がった人だった。


「いえ結構です。教科書を買いにきただけですから。ご迷惑にならないうちに出て行きます」


「ご迷惑だなんてそんな。しかし、そのご様子ですと……もうほとんど本は買わなくても大丈夫そうですね?」


「えっ?」


 手に持てなく、なった貰った本を見ながら、店主は言った。確かにそこには、リストに書かれた本も積まれている。『魔法史学』の教科書など3冊も同じ物を貰っていた。


「……それだけ皆さんがあなたに期待しているという事ですよ。あるいは、今のうちに恩を売っておこうという事か。今や国中があなたの話題で持ち切りです。今、手提げか何かを持ってきましょう。入りきるかはわかりませんが」


「何も買っていないのに、お手数をおかけします」


「いえいえ、むしろこちらはお礼を言わなければなりません。あなたが来て頂いたお陰で、人が集まり、今日だけで一週間分の本が売れましたから」


 だからなかなか店主も止めてくれなかったのか、と納得する。荷物は手提げ3つ分になった。


「持って帰れますか?」


「連れに頼めば……多分、なんとか」


 絶対にスバルに持たせて帰ろう、と心の中で決める。


「しかし、驚かれたでしょう。この国、というよりもこの街は特になのですが、貴族と平民の意識がかなり薄いですからね。リストニア育ちのノエル様からすれば違和感があるとは思いますが」


「ああ、はい。確かに。でも、そのお陰で皆さん、とても親切にしていただきました。この街の方が良いかもしれません」


「そうでしょうそうでしょう。私もこの街の雰囲気が好きです。それもこれも、我らがクラーク・トインビーのお陰なのですよ。あの方の出自は我々と変わりません。あの方が校長になられてから、あの学院でも階級の意識をなくそうとされている。その流れがこの街にも来ているのです。彼が校長になられてからもう半世紀以上が経ちますが、かなり街の様子も、活気も変わりました」


「50年!」


 と俺は驚いて言った。


「おや、知りませんでしたか?」と店主は意外そうな顔をする。


「かなり昔の著書にも名前がありますし、昔からおられる魔術師だとは知っているのですが……」と俺は店主に聞く。「彼は何歳なのでしょうか」


「確か、もうすぐ95歳になられるはずだと」


「……」


 空いた口が塞がらなかった。見た目はどう見ても良くて40代前半くらいであり、勿論そんな訳はなく、60代くらいが若作りをしているのだと思っていたのだから。


 と店主は笑い、リストに載っている中でまだ俺が『貰っていない』本を棚から取り出してきた。


「差し上げます。御代は結構です」


「いや、でも……」


「先程も言いました通り、私自身もあなたに恩を売りたいというのですよ。もしよろしければ、今後とも私の店を使って頂けると嬉しいです」


「……ありがとうございます。使わせて頂きます」


 と俺は言って、頭を下げる。


「……しかし、ノエル様が入るという事は、いよいよあの噂が本物らしく聞こえてきましたね」


 店を出る前に、本屋の店主はそう口にした。


「何がですか?」


「ああいえ、ご存知ないのならなんでもないのです……と言いたいところですが、そうは言っても気になるでしょうな」


 と店主は言った。


「クラーク・トインビーが優秀な魔法遣いを集めて、私設軍を作ろうとしている噂ですよ」

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