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37幕 名前を呼ぶ事とお互いを知る事




 3月の風はまだ少し肌寒く、風呂上りの身体には夜風が染みる。外灯(炎魔法の篭った魔法具を灯りに使っている物)を頼りに、至龍の傍へと歩いていく。西洋風な世界観を持つこの世界の気候は、何故だか日本とそう変わらない。学園内に多く植えられた「桜」に似た淡紅色の花を咲かせる樹のせいで、日本ではない世界に来たはずなのに、どこかちぐはぐとした印象を持ってしまう。これが「異」世界に来た、という事なのだろう。


 スバルは、黙って彼の至龍を撫でていた。マカロンもそれに満足しているのか、心地良さそうに目をつむり、スバルに甘えるように首を寄せていた。微笑ましい光景ではあるものの、ちらりと見えるスバルの横顔からは、どこか、憂いを帯びているように見えた。


 魔素封じの鉱石はまだ俺の胸元にあった。トインビーと話し、肌身離さず持っていたほうが良いと言われ、入浴中すら着用していた。鉱石の威力は強く、いくら魔素の探知に長けたスバルでさえも気づかない程だそうだ。


 だからこそ俺は彼に近寄る事が出来た。気づかれたのは足音のせいだ。


「スバルさん、待って下さい!」


 俺の顔を見るなり、どこかへ行ってしまおうとするスバルに声をあげる。それでも俺の方を見ようとせず、歩みをとめようとしないスバルの進路を、マカロンの長い首が阻む。


「お前……」


 マカロンがスバルをじっと見る。まるでこの先には行かせないと言いたげな表情で。俺がスバルに話をしたいという事をわかってくれているのだろう。彼女は本当に賢く、人の気持ちのわかる龍だと思った。それでも俺から離れようとするスバルに、俺は咄嗟に叫んでいた。


「待って! ……ッ! 待てって! スバル! 俺の話を聞いてくれ!」


 別に、意識して呼び方を変えた訳ではない。だけど、咄嗟に出てきたのはその喋り方だった。唐突にそう呼ばれた事に、スバルは驚き、足を止めて俺を見る。彼は俺の口調の変化に驚いてはいるようだった。思えば、精神的な年齢は年下であるのにずっと敬語で話していた。


「……なんだ、話とは」


 たった一言なのに、そこに込められた感情に気圧されてしまいそうになってしまう。剥き出しにされた魔素にはまた敵意が乗っている。あの洞窟の時と同じだ。


 しかしその動作は、どことなくわざとらしいように思えた。まるで『魔王』として、決して分かり合えない『表側』の人間と話すかのような言い方。今日一日という短い付き合いではあるが、それが彼の素であるとは到底思えなかった。何故彼はそんな風に話すのかはわからない。その具体的な理由はわからないものの、とにかく、彼が俺との距離を置きたがっているというのは明らかだった。


 だからこそ、その「きつさ」に怯む事は出来ない。俺は彼と話して彼という人間を知りたかった。それはトインビーに言われたからではなく、今日一日過ごして彼が「魔王」だとしても、良い人間だと思ったからだ。


「今日は本当にありがとう。屋敷に連れて行ってくれた事も、この鉱石の事も、それに村での事も。まだ感謝してなかったから」


「気にしなくていい。トインビーに頼まれたからやったまでの事だ」


「それでもやってくれたのはお前だ、ありがとう。それに、だからこそお前に、スバルに謝らないとと思ってた。ほんとにごめん。あれだけ色々してくれて、感謝しないといけなかったのに、俺はお前が『魔王』だって聞いて怖くなっちゃって、あんな失礼な態度取って。怒らせて当然だよな」


 ごめん、と俺はもう一度言って、頭を下げる。少し間をあけて、スバルは口を開く。


「……それも別に、気にしなくていい。俺は怒ってもいないし、お前が失礼だとも思っていない。ああいった反応をされるのには俺は慣れている。誰だって俺が魔王だと知れば、お前のような態度を取るだろう。思うところもない」


 淡々とした口調でスバルはそう返してくる。


(慣れているのなら……)


 と俺は思う。慣れているのなら、なぜ先程から、不自然なまでに俺を避けたがり、距離を置きたがるのか。なぜ今も、そう言いながらも俺と目を合わせようともしないのか。なぜ俺が彼の魔法に抵抗した時、あんな風に傷ついた顔を見せたのか。


(それに……)


 ――お前は知った上で、俺と話してくれていると思っていたんだがな。


 なぜ彼はそんな事を言ったのか。慣れている、なんて言うのはきっと嘘だろう。魔王である以上、そうした態度を取られることは確かに多いかもしれないが、しかし、慣れて平気だというのはまったくの虚言なはずだ。


 その言葉は俺に向けての物でありながら、彼自身に言い聞かせている物のように思えた。彼がどれほどその事で辛い思いをしているのか、そんな事、今日一日話しただけの俺にはわからないし、想像もつかないけれども、それでもそうして自分の心の壁を強く保とうとしているのだけはわかる。そうしないと彼自身が持たないのだろう。自分にもそういう時はあるからわかる。


「話はそれだけか? なら、やはりお前は気にしなくていい。もう行くぞ」


 スバルはそう言うと、無理やり話を終わらせるように、再び俺から離れて行こうとする。


「……気にしない訳ないだろ!」


 行かせない為に、俺は叫ぶ。


「俺のせいでお前が辛そうにしてるんだぞ、気にしない事なんて出来るか」


「……辛くなどはない、慣れている」


 と彼は言ったが、やはり目を逸らしたままだ。かたくなにそう言うスバルに、俺は首を掻いた。


「なぁ、悪かったよ、ごめん。簡単には解決許せない事かもしれないけど、それでも避けるのだけはやめて欲しい。俺はお前ともっと話したいんだよ」


「……何故俺なんかと話したいと思う」


 とスバルは聞く。


「トインビーにそういわれたのか?」


「違う。……いや、確かにトインビーにはそうなるといいなとは言われたけど。でも、それよりも、俺が個人的に、お前と仲良くなりたいからって方が強い。お前と仲良くなりたいんだ」


「仲良く、なりたい?」


 そこで初めて目が合った。俺がまっすぐに見ている事に、その言葉が嘘ではないと言う事に気づいたのか、彼は狼狽したように、またすぐに目を逸らした。


「何を……。お前、正気か?」とそこで一度言葉を切る。「俺は魔王だぞ。トインビーから聞いたんじゃないのか」


「聞いた」と俺は答えた。「その上でお前と友人になれたらいいなと思ってる、そう思って話しに来た」


「なぜだ」


「なぜって、お前が良い奴で、仲良くしたいと思うからだよ」と俺は言った。「今日一日、お前が俺にどれだけ良くしてくれたと思ってるんだ。屋敷で泣いた時だって、ほとんど初対面なのに慰めてくれたような人間だぞ。そんな良い奴、仲良くなりたいに決まってるだろ」


 泣いた事を掘り返すのは恥ずかしいが、それでも俺は視線を逸らさずになんとか言う。スバルもいつの間にか、俺の事を見ていた。


「……俺が、怖いんじゃないのか」


「怖い」と俺は言った。「正直、今はめちゃくちゃ怖い。でも、最初は怖かったはずのマカロンも、知ってみたら案外良い奴で怖くなくなった」


 そう言うと、マカロンは少し嬉しそうに一鳴きして、俺の傍までその長い首を伸ばしてきた。撫でてやると、気持ち良さそうな顔をする。俺に喉元を触られ、ぐるるると猫みたいに鳴くマカロンの姿を見て、スバルは少しばかり驚いた表情を見せた。


「懐いてるのか……」


「龍でさえそうなんだ。お前の事をもっと知れば、たとえお前が魔王でも、怖くなくなるかもしれない。だからお前の事を、もっと知りたい。話したいと思ってる」


「……だが、知ればもっと怖くなるかもしれない」


 そう言ってスバルはまた視線を逸らす。それは今までと違い、その先の言葉を言うかどうかで悩んでいるようでもあった。少しの逡巡の後、スバルのはその弱みを口にする。


「あれだけ俺の事を圧倒したお前なら、もしかしたら俺の事など怖がらずに仲良くなれるんじゃないかって思っていた。だから、俺の風魔法を拒絶した時、ショックだった」


「……悪い」


 と俺は言った。彼が自分の本音を口にしてくれたことは嬉しかったが、それでも真正面からそう言われると申し訳なさに胃がきりきりと締め付けられてしまう。


「だから、今そう言ってくれるのはとても嬉しい。だが、それ以上に、俺の事を知ってまた嫌われるのではないかと思うと、余計怖い。俺は魔王だ、お前達『表側』の人間とは考え方が違う」


「かもしれない。でも、そういうのって、やってみないとわからないもんだろ」


 と俺は苦笑いをしながら言った。彼が何故俺を避けたがるのか、その理由がなんとなくわかった気がした。スバルは確かに優しいのだ。優しくて、繊細な人間だった。


「……友達になろうよ、スバル。お互いの事を知ろう。今日だけであれだけ話せたんだし、多分俺達は結構良くやれると思うんだ」


 そう言うと、スバルは額に手をやるようにして俺から目を逸らす。


「どうした?」


「いや……今、かなり嬉しいのだが、俺は友人という者がいない。こんなときどうすればいいのかわからない」


「嬉しいなら素直に笑えばいいんじゃないか。それに、俺もお前より長く生きてるけど、あまり友人は多い方じゃない」


「……年上なのか」


「ああ。ノエルの記憶もあるけど、中身は28歳のおっさんだよ。男どうし、俺達は友人として上手くやれると思う」


「……お前がノエルではない事は聞いていたが、てっきり同じ年齢くらいか下かと思っていた」とスバルは言った。「あまりに物事を知らないから」


「そりゃ、この世界の物事をほとんど知らないからな」


 と俺は苦笑いをした。


「年上に失礼なことを言うな」


「……なら、その年上の友人であるお前に聞こう」


 少しも年上だと思っているような口ぶりではないものの、そう言ってスバルは小さく笑う。「友人」という響きに、少しばかりの弾みを持たせながら。


「これから俺達はどうすればいい?」


「とりあえず、室内に入って何か暖かい物でも飲まないか」


 と俺は答える。


「それで色々とお互いの事を話そう。ここだと少し、体が冷えてきた」



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