35幕 偉大なる魔術師と彼の目的
とりあえずスバルと話して謝る。
そう決めて、部屋に荷物を置きに戻り、部屋を出たところまでは良かった。
小間使い達に尋ねながら、彼の部屋まで行ってみたはいいものの、部屋には戻ってきていないようだった。どこへ行ったのかと尋ねて見ても、知っている者は誰もいない。しばらく寮内を歩き探してみたはいいものの、スバルらしき人影に出会うことはなかった。
結局、スバルと話す事は一旦諦め、自室へと戻った。
これまでの事を少し考えようとベッドに座り、ぬいぐるみを抱え、リアンを呼ぼうとする。
「リアン? リアン、ちょっといいか、話したい事があるんだけど」
そう声を出しながら呼びかけてみる。しかし、聞こえてはいるだろうに、リアンは一向に出てくる様子もなく、反応する様子もない。しばらく呼び続けたものの、何も反応がなく、結局俺はリアンと話す事も諦め、持って帰ってきていた荷物を整理する事に決めた。
「……ノエル様、お食事の用意が出来ました」
間も無くして、小間使いが部屋にやってくる。またあの味のしない食べ物を食べなければならないのかと、少しばかり気後れしてしまう。しかし不幸な事に、味覚がなくなったところで、どうも空腹というものはなくならなかったらしく、体が栄養を求めているのがわかった。気が進まないまま食堂へと向かうと、広い食堂に居たのはトインビーだけだった。
「やぁ、ノエル君。お帰り、待っていたよ」
「ただいまです。トインビー先生もおかえりなさい。……他の方は、誰もこの食堂を使わないんですか?」
「皆には、外で食べるようにとは伝えてあるからね。誰にも邪魔されずに、君ともう少し、個人的な話がしたかった」
トインビーは言い、既に用意されていた夕食に手をつけ始める。肉に、パンに、スープに……どれもおいしそうには見えるものの、どうにも俺は、食欲がそそられなかった。味がしないとわかっているからだろう。(実際、トインビーとの会話中に食べたそれらからは、どれも味がしなかった)
「君も、『スバル』の事について話があるんだろう?」
『今日』の事でなく、『アルフオート家の屋敷』の事についてではなく、『巨人』の事についてでもなく、『スバル』の事について。ずばりと確信を突いてくるそれに、俺は少し戸惑ってしまう。
「スバルさんは……どちらへ?」
「さぁ、先程までは私の部屋で色々と報告をしてくれていたんだけどね。夕食を一緒に採らないかと誘ったのだが、外へ出るのだそうだ」
「何か、あるんですか?」と俺は聞いた。
「何もないだろう。ただ単純に、君と、顔を合わせるのを避けたかっただけだと思う」
とトインビーは言って、苦笑いをした。
「……スバルさんから、何か聞いたんですか?」
「アクサムの村での巨人の事については報告を受けたが、君との事は何一つ話さなかったよ。だからこそ、何かあるんだと思って、こうして君に尋ねてみた。その様子だと、彼とは何かがあったんだね」
落ち着き払った、非常にゆったりとした口調で彼は尋ねてくる。食事ですら絵になるかのような、優雅な手つき。まるで一緒にいるこちらまで、洒落た空間にいるかのような錯覚を起こしそうになる。彼の動きや話し方には独特のペースがあって、飲まれてしまいそうだった。
俺は頷いて、それから、彼に尋ねる。
「どうして隠していたんですか?」
「何がだい?」とぼけるように言うが、絶対にわかっているという顔だった。
「スバルさんの事です。彼が魔王だって、アルキオネ・ブランチユールの息子だって、どうして黙っていたんです?」
朝食の時、彼について話す時、それを説明する機会は十分にあったはずだ。それなのに、トインビーは意図してそれを濁して話していた。
「君は知らなかったのかい?」
「知らなかったです」
「だろうな。今朝話していてそう思ったよ。だからこそ、もう少しの間は話さずにいようと思っていた。まさか早々にこのような事故が起きるとは思わなかったけれどもね」
「どういう事です?」
と俺は聞く。
「君には、スバルともう少し仲良くなって貰ってから、伝えようと思っていたんだ。君ならば、スバルのよき理解者になってくれるのではないかと、そう思っていたからね」
とトインビーはそう言い、手に持っていたナイフとフォークを置いて俺をじっと見た。
「その前に少しばかり、身の上話をしてもいいだろうか?」
☆
「私とスバルの父、つまりはエンブルクの先代魔王、アルキオネとは、何度も魔術比べをした間柄だ、それは知っているかな?」
「はい、あまりにも有名ですから……」
と俺は答える。『魔術比べ』なんて言葉に置き換えているが、実際は『一騎打ち』、魔術を使った本気の『殺し合い』だ。魔王を滅ぼさんとする『偉大なる魔法遣い』トインビーと、『魔王』アルキオネの力は拮抗しており、2人の死闘はついぞ決着がつかなかった事で有名である。ある時は三日三晩魔法を打ち合い続けても、2人の魔素は決して途切れる事がなかった事や、またある時はあまりの魔力のぶつかり合いの為に、エンブルクの森が一つ消滅してしまった事など、世界最強の魔法遣い達の戦いとして、伝説にすらなっている。
「我々は長年憎みあっていた。己の魔力を日々磨き続ける意味は、彼を打ち倒す為だけの為にあるようなものだった。奴を倒せるのは私であり、私の人生は奴を倒す為にこそある、そう思うくらいにね。確認することはなかったが、きっとアルキオネもそう思っていただろう。彼を倒す為ならば、他の魔王など私にはどうでも良いと思えるくらいにね」
それが決して、誇張表現でない事は知っている。
現在、魔王達が今も存在する事が出来ているのは、トインビーがアルキオネ以外に興味がなかったせいだと言われているのをノエルは聞いた事がある。実際にトインビーに滅ぼされた魔王は数人いる。しかし彼がアルキオネ以外の魔王にも目を向けていたとすれば、今頃エンブルク以外の魔王は全滅していた可能性すらあった。
「だが、そんなに憎みあっていた私達だが、ある時、同じ問題を抱えなければならなくなった。すると、今まで殺し合いをしていたのが嘘のように、『魔王』の彼と『魔術師』の私は意気投合して、非常に親しくなってしまった。彼の晩年には、お互いが一番の親友ともいえる間柄になった。彼の息子、つまりスバルの誕生日パーティーにすら、秘密で誘われるくらいにはね。もちろん、表向きに参加する訳にはいかないから、変装して参加したけれどね。彼と過ごす時間は、本当に有意義な時間だったよ。人生で一番幸せな時間だったかもしれない」
その時の光景を懐かしむかのように、トインビーは言う。
魔王を倒す為の『偉大なる12人の魔法遣い』が、『魔王』のパーティーに参加する。『表の世界』のトップと『裏の世界』のトップが、いがみ合わずに一緒にいる。とんでもない話ではあるものの、見てみたい気もした。
「魔王の世界というのは、非常に実力主義の世界でね。王が死ねば跡継ぎは息子、という訳には簡単にはいかないんだ。息子が魔王になりえるだけの実力を持っていなければ、他の魔王に滅ぼされたり、臣下によって国を奪われたり、あるいは我々『偉大なる12人の魔法遣い』に討たれてしまう事もある。それだけの力を持たなければ、代替わりというものは出来ないんだ」
そう言って、トインビーはグラスを傾ける。
「しかしエンブルク、つまりブランチユール家はそんな魔王の世界でも珍しく、代々世襲制に成功している国家でね。あそこはある時期からずっとブランチユールの人間が継いで来た。当然、アルキオネの次はスバルが国を継いで魔王になるハズだった」
「だけど、スバルのお父様は早くに……」
と俺が言うと、トインビーは「そうだ」と頷いて言葉を繋ぐ。




