34幕 懐く龍と怖いという感情
リーゼルニアに戻る頃にはもうすっかり夕方になり、陽は傾き初めていた。西日で蜂蜜色に染まるリーゼルニア国立魔法学校の大きな時計塔は、幻想的で綺麗なはずなのに、俺はそれを素直に受け取る事が出来ずにいた。
あの後、やはり俺達の間には一切の会話はなかった。重い沈黙状態のまま空を飛び、その間俺は空から見える景色を眺める余裕もなく、暗い気持ちを抱え続けていた。何度も何度も謝らなければと思ったが、なんと謝って良いか上手く言葉が出てこず、それどころか、また彼を怖がってしまうのではないかと思うと、上手く話す事が出来なかった。
学園の敷地にマカロンが降りるなり、スバルは何も言わず彼女から降りる。声をかける間もなく、俺を避けるようにして、寮の中へと入ってしまった。俺はその背中を目で追うことしか出来ず、1人、マカロンの上で嘆息した。
(……やってしまった)
額に手をやる。結局、謝ることすら出来なかった。
(あれだけ色々と優しくしてくれたし、お互い、仲良くなれると思ってたのに。魔王と知った途端俺がいきなり怖がったら、そりゃ傷つくし、怒ってるよな……)
彼が「良い人」だというのはわかっていた。しかし「良い人」である事よりも、「魔王」である事の方が強烈すぎて、話しかけることすら上手く出来なかったのだ。言い訳のようだが、「魔王」という存在は、この世界で恐れ忌み嫌われている。いくら「良い人」だとしても、テロリストに話しかけるのは怖い。
「……はぁ」
もう一度大きく、溜息をつく。自分自身への呆れの為に。本当に、何をやっているのだろうか。今すぐ追いかけて話をするべきなのだろうか、などと思いつつも、それが出来れば苦労していないという自分もいる。いや、そもそも――
「これ、どうやって降りよう」
マカロンの上にいるままの俺は、地面からそこそこ高い位置にいる。下手をすればアパートの二階から飛び降りるくらいの高さだ。無理をすれば行けない事もない、などと思ったが、それが出来るのは青年男子、つまりは直樹の体だからこそだろう。ノエルの体では筋力もついておらず、下手をすれば骨を折る。
単純に、落下直前に風を纏えば良いだけの話なのだが、今はその風の調整が出来そうにない。
自分の足が強風で消し飛んでしまう可能性すらある。
どう降りたら良いか悩んでいた所、すぐ傍に生暖かい息を感じた。見ると、マカロンがその大きな口をあけて、顔が俺のすぐ傍まできていたのだ。
「わっ、ひゃっ」
その大きな口が、俺の腹を咥える。あまりの事に変な声が出る。一瞬の事で驚く事も出来ないままに、俺の身体は地面まで降ろされていた。龍の甘噛みは、まるで父さまに抱き上げられた時のような感触だった。痛くない、けどごつごつしている。勿論、マカロンが少しでもその顎に力を加えれば、おそらく人間の体など粉々に砕いてしまうだろうけれども。
「……あ、ありがとね」
どういたしまして、とでも言うようにぐぇぇ、と鳴く。それから、俺の胸元へとその大きな顔を近づける。何かを訴えかけるかのように、丸々とした目が、上目遣いになる。これは――
(撫でろ、という事なんだろうか?)
マカロンは確かに、俺に何かを求めていた。そういえば、スバルはよくマカロンを撫でてやっていた事を思い出す。
「……」
俺は躊躇しながらも、手を伸ばし、頭に触れる。硬く、ざらざらとした感覚が掌に広がる。爬虫類特有の鱗、魚のそれと違い、ぬめり気などといったものはおおよそ存在せず、癖になりそうな妙な心地よさがあった。永遠に触っていたくなるようなその感覚に、俺は思わず、頬が緩んでしまう。
(ああ、これ、気持ちいいかも……)
トカゲや蛇と言った有鱗目を飼う人間の気持ちがわかるような気がした。ワニ革が人気なのも頷ける。調子に乗って、顎下へと手をやると、気持ち良さそうに目を閉じた。
「ぐるるるるるる」
(……かわいい)
撫でられて気持ちが良いのか、マカロンは猫のように喉を鳴らした。どうやら俺は彼女に気に入られているらしい。
「……ごめんな。俺は君のご主人を傷つけてしまったみたいだ」
と俺はマカロンの頭を撫で続けながら、ぼそりとそう呟いてみた。これではまるで、家に帰って飼い猫に愚痴る奴みたいだ。
彼女は俺の言葉を聞くなり、首を傾げてみせる。それは俺が何を言っているのかわからない、というよりもむしろ、どうしてそう思うのか、とでも言いたげだった。そういえば、マカロンは人間の言葉がわかるのだった。
「俺が……スバルさんの事、凄く怖がっちゃってさ……あんなに良くしてくれたのに」
俺がそう言うと、マカロンは俺から体を離した。それから、自分の前脚を上げ、人差し指で器用に自身の体を指(?)指してみせる。
自分、自分、という風に。
「マカロン? マカロンがどうかした? マカロンが怖いかって事?」
こくりと頷く。どうやらあたっていたようだ。
「うーん。正直、今はそんなに怖くないかな」
と俺は言うと、彼女はまた俺の傍へとやってきて、満足そうに目を閉じる。また撫でろ、とでも言いたげに。
俺の眼前にあるその笑ったような表情がどこかかわいらしく、俺もその暗い感情がついつい癒されてしまう。出発前はあれだけ怖いと思ってしまっていた「龍」なのに、今ではかなり警戒はなくなっている。もっとも、先程甘噛みされたときは、食べられてしまうのかと心配になってしまったが。
「でも、そっか」
と俺は頷く。それもこれも、彼女がマカロンという可愛らしい名前だった事を知り、短時間ながら一緒にすごした事で、少しは彼女の事がわかったからだ。
――お前もアイツの性格を知りさえすれば、怖くなくなるだろう。
出発前にスバルに言われたことを思い出す。確かに彼の言っていた通りだった。
「……性格を知りさえすれば、怖くなくなる、か」
と俺は、そんな格言めいた言葉を呟いてみる。知らないから怖い、というのは「魔王」という存在にもあてはまるのだろうかと思った。スバルの事が今怖いと思うのも「魔王」という肩書きがあるからだった。俺が「龍」を怖かったように。もっと彼の性格を知る事が出来れば、「魔王」だとしても怖くなくなるのだろうか。
「……もしかして、君はそれをわからせようとしてくれたの?」
まさかな、と思いながら、俺はマカロンを撫でる。彼女は目を閉じたまま、満足そうに鼻息を漏らした。
「ありがとね、お陰で少し勇気が出たよ。もう行くね」
とにかく、一度スバルと会って、まずは謝らないといけない。
俺がそう言うと、マカロンはぐぇ、と少し嬉しそうに鳴いた。




