33幕 感謝と義務、感謝と拒絶
「スバルさんが、魔王……?」
アーマンドの言葉に、信じられず、隣の椅子に座るスバルに目を向ける。スバルはただじっと無表情に、目の前の男が槍を構えるのを見ている。別段警戒している様子でもなく、ただ落ち着いた表情で、じっと目の前の老人を見ていた。
「魔王アルキオネ・ブランチユール亡き今、その息子をクラーク・トインビーが匿っているという噂は聞いていたが、まさか本当だとは……」
「魔王……アルキオネ……」
アーマンドの言う、『アルキオネ・ブランチユール』の名前は知っている。あまりにも有名で誰でも知っているような名前。
『偉大なる12人の魔法遣い』といえば『クラーク・トインビー』が出てくるように、『魔王』といえば、『アルキオネ・ブランチユール』あるいは、『裏切り者ハミルトン・フォルド』の名前が出てくるのが、この世界の常識となるような名前。子供ですらその名前を知っている。特にアルキオネは4年前に死んだにも関わらず、未だに多くの人々の記憶に残るような爪痕をこの世界に残しているのだから。
(スバルさんが、魔王アルキオネの息子……!? いや、でも、だって……)
アーマンドの言葉は到底、信じられない物だった。
魔王。土地や民を魔の力によって捻じ伏せ、自らを王と名乗る者。
勿論、そんな勝手が許されるハズもない。出る杭は打たれる。それは自然の原理である。それでも今日において魔王が存在するのは、彼らに力があり、出た杭が打たれないだけの力を示しているからだ。
暴力的かつ残虐的。魔王領ではない『表側』の人間世界を襲い、略奪を繰り返す。世界から恐れられ、忌み嫌われる存在。『偉大なる12人の魔法遣い』が組織されたのも、そんな傍若無人な魔王達の振る舞いに対抗する為である。魔術ばかり勉強してきたせいで、世界の在り方には疎いはずのノエルの記憶ですら、魔王という存在の知識は持っている。
だからこそ、俺にはスバルが魔王だと言われても、信じられない。
実質的には数時間の関係ではあるものの、彼は俺に親切にしてくれ、屋敷では慰めてくれて、マカロンの上では一緒に笑いあった。それに、先程はこの村の襲撃を助けてくれた。巨人を殺すときには彼らに謝りすらしていた。
話に聞くような魔王の像とは決して違う。
想像しているような残虐性も暴力的な存在でもない。
「……」
しかし、彼が魔王であると、色々と納得がいく部分が出てくる。若くしてあれだけの魔力を持っている事、龍を従え、国宝級の魔宝具を持っているような家柄だという事。
「本当、なんですか……スバルさん」
信じたくはないものの、それは俺の中で確信めいた物になっていた。
「……お前はてっきり、知っているか、トインビーから聞いているんだと思っていた」
意外そうに、しかし淡々というそのスバルの言葉に、鈍器で殴られたような衝撃が俺を襲う。
それははっきりとした肯定の言葉だった。
「……!」
急に、俺の体を「怖さ」が襲う。魔王が今目の前にいて、俺に話しかけている、という事にだ。例えるなら、今まで行動を共にしていた人物が、国際的に指名手配されている、何をしでかすかわからないテロリストだと知らされたような状態だ。怖くならない方がおかしいのかもしれない。
そんな俺の表情に浮かんだ「恐れ」を感じ取ったのか、スバルは自嘲気味に小さく笑った。
「お前は知った上で、俺と話してくれていると思っていたんだがな」
(……なんで、そんな顔を)
はっきりと傷いついているのがわかる表情だった。スバルの漏らした「弱み」に、その言葉と表情に、俺はどうしてだか胸が締め付けられるような罪悪感を感じてしまい、思わず目を逸らす。
「ノエル様……」
とアーマンドが声をかける。老人も俺がスバルの事を知らなかったことに気づいているのだろう。それから、また目つきを鋭くし、槍の穂先をスバルに向けた。そうしなければならないという様に。構えてはいるものの、自分が魔王には到底敵わないという事がわかっているのだろう。穂先はかたかたと震えている。
それが精一杯の虚勢である事は誰が見ても明らかであった。それでも、彼は村の長としてそうしなければならないというように口を開く。
「我等が村を救ってくれた事には、本当に感謝はしている」とアーマンドはスバルに言った。「しかし、魔王をこの村にいさせる訳にはいかない。一刻も早く出て行ってくれ」
「……」
その言葉を受けたスバルは、何も言わずに立ち上がる。
「帰るとする」とスバルはそう言い、部屋から出てこうとする。「茶には感謝する、美味かった」
「アーマンド……」
と俺が言おうとするのを、アーマンドは遮る。
「十分わかっているのです。わかっているのです、ノエル様。あの方がいなければ、我々が死んでいた事、本当ならば感謝してもし尽くせない程のお方である事も」
とアーマンドは俯いたまま、俺に目をあわせずに言う。スバルはもう既にこの家を出ていた。
「しかし、間も無くすれば、応援を呼んだ他の村の民が来てしまうでしょう。そんな時に、私のように彼の事を知っている人間がいればどうなります。魔王によって救われた村、魔王に魂を売った村だと、妙な勘ぐりをせぬ者が出てこない保障はありますか。魔王とは本来、そういう者です。あの方はおそらく、そうではないのでしょう。それはわかります。わかりますが、私は村長としてまた、この村を守らなければならないという使命があります。わかって下さい、ノエル様」
「……」
そう言って、俺から気まずそうに目を逸らすアーマンドに、俺はどう言えばわからず、スバルを追うようにして家を出て行く。
彼はおそらく、正しい事をしているのだろう。
村の中心に居座るマカロンの事を、村の者は物陰に隠れたり、かなりの距離を置いたりしながら、興味を示していた。村の者にとって初めて間近で見る龍は、場合によっては先程の森の一眼巨人よりも恐ろしい存在で、そして今しがた村長の家から出てきた謎の魔術師は、おそらくその龍よりも強い可能性が高い。自分達の服装と比べれば上質すぎるその服装は、おそらく貴族のものであろう。村の恩人ではあるものの、皆は警戒をし、加えて歩む道を邪魔しないように道端に寄っていた。
村人達の視線を一身に集めながらも、スバルはそれを気にしないといった風に堂々と歩いていた。
「……」
俺はどうすれば良いか悩んだものの、リーゼルニアに帰るより他はなく、おずおずと彼の後ろを付いていしかない。
マカロンの傍までやってきた俺は、スバルに何と声をかければいいかわからないでいた。龍の背中に乗る時に、彼がいつもそうするように、彼は俺に風魔法をかけ、宙に浮かせようとした。しかし――
「――風よ」
「――ッ!?」
おそらく、スバルにしても、少しばかりその状況に苛立っていたのだと思う。俺にかけた風の魔法は、いつもの魔法ではあったものの、それでも少し攻撃的な物になっていた。だから俺は咄嗟の事に驚いてしまい、彼の魔法に対して体を硬くし、抵抗してしまった。
彼の目が見開かれる。
「ち、ちがっ、これは……」
「……」
慌てて否定をしようとしたものの、彼の眉根は歪み、俺から目を逸らす。はっきりと、彼が傷ついたのだというのがわかる。
「……すまない。怖がるのも当然だろうが、大丈夫だ、俺は何もしないから。――風よ」
謝らなければこっちの方だというのに。
スバルは俺と目を合わさずにそう言うと、もう一度俺に風魔法をかけた。俺も今度は抵抗しないようにして、その風を受け入れてマカロンの背中へと降りた。その魔法からは、アルフオートの屋敷で、俺が慰めて貰った時以上に、俺に触れる事に対する恐れのような感情が乗っているように思えた。
(やってしまった……)
という感情が俺の頭の中をぐるぐると渦巻き、胸を締め付けていた。
(彼に俺を傷つける意思なんてないのはわかっているのに。それでも俺は、彼が怖いと思ってしまった……)
彼自身もマカロンの首付近に乗る。俺から離れた場所で、わざとその場所を選んだのだという事がわかる。マカロンはその長い首をスバルの方を向いてくぅ、と可愛い声で鳴いた。まるで主人であるスバルを気遣うかのように。
「……大丈夫だ。行ってくれ」
スバルはそう小さく呟くと、マカロンの首を撫でた。その表情は俺から見えなかった。風避けの障壁を張ると、マカロンはぐぇ、と弱弱しく鳴いた後、その翼を広げようとした。
「――お兄ちゃん、お姉ちゃん!!」
しかし、マカロンが翼を広げる直前、彼女の前に、少年が走ってきた。彼はマカロンが翼を広げかけた事に驚きながらも、大声で叫ぶ。
「ありがとうねー!!」
年頃で言えばおそらく7、8歳と言ったところだろう。農村に住むのであれば、まだスバルの魔法の威力について、その威力と怖さが理解できていないであろう年齢。
「こらっコリン……あ、あの……その、すみません。でも、村を救って頂き、ありがとう、ござい、ました」
少年の母親らしき、気の弱そうな女性が慌てて、少年を連れ戻すように出てくる。軽く会釈だけして、道の端へと下がっていくと、村から声が沸いた。
「ありがとう!!」
「兄ちゃん凄かったよ!あんた本当に命の恩人だ!」
「もっとゆっくりしていけばいいのに!」
おそらく、皆思っていながら言い出しづらかった感謝の言葉が、少年が言いだしてくれた事で、堰を切ったように出始めたのだろう。
「……」
感謝の言葉を述べる彼らは、スバルが魔王だと知れば、きっと恐れ出す。そんな風な顔も、声も見せないだろう。アーマンドのように。
だけど、たとえ魔王だとしても、彼がこの村を救ったのは事実であった。たとえ魔王だとしても、俺に優しくしてくれて、慰めてくれたのは事実なのだ。彼はトインビーの言っていたように、間違いなく良い人だった。それなのに、俺は彼の事を怖がってしまい、傷つけてしまった。村人の歓声が、鋭く、俺の心に突き刺さる。
「……行ってくれ、マカロン」
村人の歓声に何も答えずに、スバルはそう龍に言う。マカロンは翼を大きく広げると、ぐぇぇぇと大きく鳴いて、空へと飛び立った。
結局、リーゼルニアに戻るまで、俺は彼に話しかける事すら出来なかったし、彼がこちらを振り返る事も一度も無かった。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
自己満足の為、好きで書き始めた物ではありますが、PV数、ブックマーク数が増えるのを見る度に書いていて良かったと思えます。いつもありがとうございます。
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