25幕 旧アルフオート侯爵領と森の一眼巨人の引き起こした悲劇
アクサム村は、リストニア王国の東の端、リーゼルニアとの国境付近にある小さな村落である。人口400人程の小さな農村であり、一番近くの隣街に行く事すら馬車で半日程かかってしまう場所にある。半年程前に領主がアルフオート侯爵からラシユクーレ侯爵へと変わったものの、そこに住む人間達には特に何の変化も起きない。たとえ領主が変わろうが、国王が変わろうが、「偉大なる12人の魔法遣い」が変わろうが、辺境の田舎村に住む自分達の生活は変わらず、ずっと続いていくのだと思っていた。
そんな村に悲劇が襲ったのは、昼過ぎの事だ。
悲劇の前兆は確かにあった。その日は朝から妙に鳥が鳴いていて騒がしかった。しかし、そんな事が起こるなどと、誰も予想が出来なかった。
村の端に住む若い夫婦、ダリルとメイアは、昼食を採りながら、狩猟用の人飼狼がいつになくうるさく吼える事に煩わしさを感じていた。耐えかねた夫のダリルが黙らせようとして、席を立った直前だった。鈍い音と共に、人飼狼が短い悲鳴をあげて、それきり鳴かなくなってしまったのだ。
「……」
明らかに異様なその音に、夫婦は顔を見合わせる。狼が何者かに殴られたというのはすぐにわかった。何かが起こっていた。ダリルは妻のメイアに対して頷き、おそるおそる扉をあける。
家の前には、森の一眼巨人モノアイギガンテスがいた。それが金棒を家に向かって振りかざしいる。
「巨人だ! メイア逃げろ!!」
ダリルが叫びながら扉から離れると同時に、家の扉が粉々になって吹き飛んだ。
呆然とその惨状を見る夫婦を前に、巨人の次の攻撃によって、石造りの家の壁に穴が空く。次いで、一つ眼の巨人がその穴から家へと入ってくる。夫婦共に、巨人を見るのは初めてだった。アクサム村の近くの森に巨人が住んでいるというのは聞いていた。村の中にも、森で遭難した時に実際に巨人に遭遇したという人間はいる。しかし、巨人達はヒト嫌いではあるものの、彼らの逆鱗に触れる事をしない限り、こちらに危害を加えるような種族でない事を彼らは知っていた。
その巨人が、現に今こうして、家を壊して襲ってきている。
殺意があるのは明白だった。敵意を剥き出しにした魔素に、血走った眼、そして、ダリル達に向けて構える金棒。明白だった。
「メイア! 裏口から逃げて助けを呼んできてくれっ!」
とダリルは巨人の動きから目を離さずに叫んだ。
「でも、あなたがっ」
「いいから早くッ!」
メイアは半ばパニックになりながらも、それに従い、裏口から逃げ出す。夫がいくら狩猟で生計を立て、獣を駆る事に長けていたとしても、巨人のように体格差のある魔物を1人で倒す事など出来ないだろう。かと言ってメイアでは、戦力にすらならないのは目に見えていた。
裏口から慌てて家を出る前に、大きな音がした。巨人が金棒を振り下ろし、今まで食事をしていたはずのテーブルを真っ二つに割ったのだ。テーブルの上に乗っていた皿が飛び、割れる。
(早く、早く誰かを呼んでこないと……!)
早く助けを呼ばなければ、夫はあの巨人に殺されてしまうだろう。自分でもよくわからない声をあげ、叫びながら助けを呼ぼうと、全力で駆ける。
しかし、家を出、通りに出た所で、その事に気づいた。
何匹もの巨人達が、金棒を手に、既に他の家を襲っているのだという事を。
「なん……で……」
正面に立てられた家の住人が、家の前に血を流して倒れていた。彼の家もまた同じように、玄関に大穴が空いていて、そこから進入されたのであろう。家の中に入らずとも、その大きな穴から隣人の家に住む子供が倒れているのが見えた。爆発音がして、そのほうを見ると、通りに面した家が今まさに崩れ出し、炎をあげていた。その向かい側に立てられた家も、天井がなくなり崩れている。
(どうしてこんな惨状なのに、気づかなかったの……?)
メイアには与り知らぬことではあったが、無理もない事だった。彼らはほぼ同時に襲われたのだ。何匹もの巨人達によって。
「ぐあうっ」
爆発音がしたのとはまた反対側の方向に立てられた家から、呻き声が聞こえた。見ると、幼馴染のエルザが、這いながら、彼女の家から出てくるのが見えた。
「エルザ!!」
「メイア……逃げっ……ぐぁ、うぁぁあぁぁ!」
エルザの言葉は途中から断末魔の叫びへと変わる。エルザの家から出てきた巨人が、彼女の身体に金棒を突き立てたのだ。
「あ……ああ……あ……」
親友の死ぬ瞬間を目にしたこと、そして、今親友を殺した一つ目の巨人が、今度はメイアへと視線を向けたことに、彼女は恐慌に襲われ、あまりの事に、2、3歩よろめき、その場にへたり込んでしまう。
突然の事に、上手く呼吸すら出来ないでいた。なんで、なんで急にこんな事が。
ふと、へたり込んでしまった彼女は、自分の後ろに何かの気配を感じて振り返る。そこには金棒を振りかざした巨人が立っていた。
「やっ、やめ、てっ……」
その嘆願も虚しく、視界が金棒の黒色一色になり、そのまま彼女の命と意識が消える。
☆
突如現れた15匹の森の一眼巨人によって、村の東側が一時間も経たずして壊滅した。その一帯に住む50人程の人間は逃げる間もなくあっという間に命を落としてしまった。巨人の持つ金棒によって、骨を砕かれ、叩き潰され、突き殺された。家の中に隠れようものなら壁ごと吹き飛ばされる。
それでも命からがら逃げ伸びた住人によって情報がもたらされ、村は恐慌状態に陥る。
(馬鹿な、森の一眼巨人が、村を襲う……?)
村長のアーマンドはその知らせを聞くなりすぐ近隣の街や村へと、遣い魔の伝令カラス達を飛ばした。しかし隣街まで行くには馬車で半日ほどの距離がある。どんなに風魔法を遣い飛ばして来たとしても、4時間はかかるだろう。その間、自分達の村を自分達だけで守らなければならない。
(最悪、村を捨てて逃げるしかないが、しかし、巨人達の脚力を前に逃げられるのか。いや、そもそも本当に一眼巨人が村を襲ったというのは本当なのか、信じられない……)
村の自衛団を向かわせ、自身も巨人達の元へと向かう。そこには間違いなく、村を壊す一眼巨人達がいた。
だとすると、未曾有の事態という事になる。
長い歴史の中、森の一眼巨人と人間は非協力的な関係にあると言えども、お互いの距離を置くという事で不干渉を貫いてきた存在である。いくら個々の力が強い巨人といえども、数で勝る人間達の村を襲えば恨みを買い、王都から軍隊が派遣され、住処である森を攻められれば、あるいは焼き討ちされてしまえばどうしようもない。お互いがそれをわかっている。だからこそ、巨人達の住む森の傍にある小さな村は、何十年、何百年も、巨人の怒りを買わない事を守り続けてきて、存続し続ける事が出来てきたのだ。
相互の不可侵は不文律として、人間と巨人の間に存在するものだと思っていたのだが、それが今目の前で破られようとしている。
森の一眼巨人の強さは、王都に住む高位魔術師5人がかりでやっと1匹と対等に戦えると言われている。低位魔術師すらいないこの村では、何人でかかっても1匹の巨人を倒せるかどうかと言った所だろう。そのような巨人が15匹も一度に攻めてきたというのだ。おそらく、森に住む巨人全員で出てきたという事だろう。絶望的な状況だった。
(このままでは全滅してしまう。それに、近隣の町から援軍が来たところで……)
想定しうる最悪の状況が現実の物になりかけているという事に、彼は冷や汗をかいたのがわかった。しかしそれでも、抗わなければならなかった。
「森の民よ! なぜ我等の村を襲うのか!」
何人もの男が集まってやっとの思いで、その動きを止める事の成功している巨人に対し、村長は問いかける。
「グオアアアアア」
「我々が何か貴方がたの逆鱗に触れるような事をしたのだろうか! どうか怒りを沈めて教えて頂きたい! 望む物があるのであればなんでも差し出そうではないか!」
「アアアアアアアア!!」
しかし、巨人は何も答ようとせず、ただただ咆哮し、金棒を振り回し、男達をなぎ払っていく。どの巨人に対しても同じような反応である。1匹たりとも、アーマンドの言葉に耳を傾けようとする巨人はいない。一人、また一人と、金棒はの村の男達の身体を捉え、骨を砕いた。
(これはまるで、話を聞いてくれないというよりはむしろ、言葉を解していないかのようではないか……。理性と知性のあるはずの一眼巨人がどうして……?)
アーマンドは唇を噛む。彼が会った事のある巨人は、片言ながら人間の言葉を喋る事が出来ていた。少なくとも、人間が言った言葉を理解する事はできていたハズだ。それが今は、巨人達はただ叫び声をあげるだけである。巨人達同士ですら、意思を疎通出来ているようには思えなかった。その証拠に、狩猟を行う彼らは本来、連携の取れた行動をとるはずなのだ。今は個々が自分達の思うがまま、バラバラに暴力を振るっているだけだ。
(これはまるで、獣と変わらず、ただ人を殺しているだけではないか……)
連携がとれていないと言っても、被害が出ている事も、巨人達が強いことにも変わりない。誰1人として巨人に傷をつける事も出来ず、金棒の餌食となり、村人が宙を舞い、吹き飛ばされ、じわりじわりとその数を減らしていく。
(まずいな……。このままでは、長くは持たない……)
それはアーマンドだけではなく、誰もが思っていた事だった。今はまだ人数がいる為に、足止めをする事こそ出来ているものの、このまま長引いて今より人数が少なくなれば、あっという間にこの村は蹂躙されてしまうだろう。
逃げだそうにも、巨人がそれを見逃してくれる訳もない。どうする事も出来ず、かと言って巨人に有効な攻撃与えることも出来ず、時間ばかりが過ぎていく。
「村長! 後ろです!」
「――なっ!」
誰かの声に反応して振り返る。目の前の巨人に対して魔法を詠唱していたが為に、気づくのが遅れてしまった。別の巨人がアーマンドの傍にいて、金棒を振り上げていたのだ。
「しまった――」
しかし、そこで気づいてもう遅い。アーマンドは身体を動かす事も出来ず、ただ顔を顰める事しか出来ない。終わりか、と思わず目を瞑ってしまう。
しかし、予想していた衝撃がくる事はなかった。
「え――」
その代わりに感じたのは、凄まじいまでの強風、横殴りの風。油断していると地面から足が離れてしまいそうな程強い風が吹いたのだ。その直後に、何かが物凄い勢いで、壁へと飛んでいき、ぶつかる音がした。
その風が勢いを弱めたところで、アーマンドは目をあける。
さっきまで巨人がいたはずの場所に、一匹のドラゴンがいた。




