22幕 今後の事と優し「すぎる」提案
「……ところでだ。君はこれから、どうしようと考えているんだい?」
消しゴムを無理やり喉の奥へと押し込むような苦痛に似た食事が済むと、トインビーは唐突にそう口にした。
「ええと……」
思わず、言葉を濁してしまう。それは、こちらの世界に来てから頭を悩ませていた事でもある。貴族として今までノエルは暮らしてきた訳なのだが、家族がいなくなった以上、帰る場所がない。食事中に聞いた話では、アルフオート家の持っていた領地は、今はラシユクーレ侯爵の領となっているのだとか。
ノエルは貴族として魔術の勉強以外してこなかった為に、この世界自体についての知識はあまりない。このままでは、明日の食事にすらありつけない可能性すらあった。リーゼルニアにいるのであれば、母方の親族を尋ねれば、なんとかして貰える可能性はあるものの、実は一度も会ったという記憶がない。
「もしよければ、なのだが」
そんな様子の俺を見て、トインビーがある提案を口にする。
「この学園の生徒になり、この寮に住む、というのはどうだろうか」
「……え?」
「元々私は、君を特待生としてこの学園に勧誘していたし、今でもその気持ちは変わっていない。それに、さっきも言ったように、君の魔力を知れば、必ず君の力を私利私欲の為に使いたいという輩は必ず出てくるだろう。私としては、君が自分自身を護れるようになるまで、出来れば私の目の届く範囲にいて貰えるならとても嬉しい。なに、学費や生活にかかる費用は心配しなくていいさ」
「……」
トインビーのその提案は、とても魅力的な話だった。
住処や生活を保障してくれる上に、勉学の機会まで与えてくれるという事なのだ。この世界で何かをしたいと思っても、知識がなければ何者にもなれない上に、勉強をする為には生活の基盤ができていなければならない。彼の差し伸べてくれる手は、まさしく、渡りに船というものだ。
それに、リーゼルニア国立魔術学校は、とても権威のある名門魔術学園だ。世界中から、大魔術師を目指す者達が集まってくる学校であり、この世界に偏差値という物があれば、間違いなく二位以下の学校に差をつける、最高位に位置する学校であった。
「とても嬉しいですし、助かるお話ですが」と俺は言った。「でも、どうしてこんなに自分に優しくして下さるのですか?」
「まぁ、将来の為の投資だと思ってくれればいい」
俺の疑問に、彼は答えた。
「投資?」
「君の力は、正しくさえ使われれば、きっと将来、世界の発展の為になると信じている。それは初めて君と屋敷で会った時から確信している事だ。君程の魔力素養があれば、何を目指しても社会の発展に役立つと信じている。だからこそ、私は君に、安全な環境で色々な事を学んでもらえればと思っているんだ。幸いここは、君を魔力を育てるのに十分な環境が整っているだろうしね」
「……そう、なんですか」
と俺は言った。
どれほど期待された人間の人生を引き継ぐ事になってしまったのかと、少しばかりのプレッシャーのような物を感じてしまう。
「で、どうだろうか」
「助かります」
と俺は言った。断る理由もなかった。
「よろしくお願いします」
「ありがとう。……さて、なら早速色々と用意しなければならないな。今年度の入学式まで、あと一週間もない。そこに間に合わせるなら急がなければならない」
トインビーの言葉に思わず驚いてしまう。
しかし考えてみれば、確かにそうなのだ。誘拐されて半年ほど、この屋敷に来て2ヶ月も眠っていたのだ。ノエルはその間に12歳の誕生日を迎えている。あれだけ先だ先だと思っていたはずの入学も、目の前まで迫ってきていた。
「体調も大丈夫そうだという事であれば、今日はこの後、リストニアの君の屋敷に戻り、必要な荷物を取って来るといい」
「あの屋敷、まだ残っているんですか?」
と俺は聞いた。てっきり住む人間がいなくなって、誰か別の者の屋敷になっているのだと思っていた。
「ああ、君が戻ってきた時用にと、私が買い取っていたからね」
「……えっ?」
それはまるで、俺が生きている事を確信していたかのような、そして最初から、こうして俺がリーゼルニアに入学する事を見越していたかのような行動のように思えた。
先程からどうも、何かしら裏があるのかとも思ってしまう程、トインビーからは善意の固まりを投げつけられている気がする。行き過ぎている、優しすぎるのだ。彼が何を考えているのか読めない。顔には出さないものの、彼への一種の「怖さ」のような物を感じていた。しかし、他に頼るあてもなく、今は素直にそれに甘えさせていただく事にする。
「そうなんですか、何から何まで、本当に、ありがとうございます」
顔に不信感を出してしまわぬようにしながら、俺は言った。
「何、気にする事はない。管理人も雇ってはいるので、屋敷に入る分には大丈夫だとは思うが、後で鍵を渡そう。それを見せれば屋敷には入れるハズだ。残念ながら私は今日はどうしても出なければならない会議があってね、付いていく事は出来ないが、スバルの龍に連れて行って貰うと良い。スバル、悪いが、頼んでもいいだろうか?」
「わかりました」
と今までずっと俺とトインビーのやりとりを聞いていたスバルが頷く。
「スバルさん、よろしくお願いします」
「……ああ」
俺がそう言うと、今トインビーに見せたのとはまったく異なる態度で、そう返されてしまい、少しばかりその違いに驚く。
「準備をしてくる。後でお前の部屋に行くから、お前も着替えておけ」
そっけない口調。スバルはそう言って立ち上がると、食堂からそそくさと出て行く。冷たく、あまりの態度に呆然としていると、トインビーが苦笑いする。
「弟子がすまないね。彼も思うところがあるのだろう」
「思うところ……やっぱり、初対面の時の事を、根に持っているのでしょうか」
と俺は聞く。バラントの施設で、俺は彼を殺しかけたのだ。もしあの時トインビーが現れなければ、おそらく俺は魔力炎で彼を燃やしていた所だろう。
「根に持っているというよりは寧ろ、悔しいのだろう」
とトインビーは言った。
「悔しい?」
「君みたいな、年下に負けたという事がね。元々は知人の子を預かっているのだが、彼は同世代の魔術師達とは、比べ物にならない程の魔力を持っているのだよ」
「それは、確かに思いました。初めは『大魔術師』かそれ以上のレベルの魔術師だと思っていましたから。だけど、あんなに若かったなんて」
と俺は言った。
自分という例外はあるが、魔力は年齢に比例するといわれている。勉強と研鑽を重ねて強くなっていかなければならないからだ。若くして大魔道師、などといった存在はほぼいない。
「確かに『大魔術師』の中に混ぜても、彼は遜色ないだけの力を持っているだろうね」
「それに俺……私は、薬のせいで魔力があがっているといっても、そこには精霊からの力が加わっててます」
精霊の力がなければ、俺はスバルに負けていたはずだ。いわば俺はチート的な力を使って勝った訳だ。
「……それでもやはり、君に負けた事は彼にとって、衝撃的な事で、悔しい事なんだろう。彼は少し特別な事情を持っている子でね、自分が誰よりも強くならなければいけないと思っているところがある。事情はどうであれ、君のような年下の、それも女の子に負けたとなれば、彼はそんな自分自身が許せないんだろうね」
「自分は本当は、年下でも女でもないんですけど」
と俺は言った。
「本当の君がどうであれ、今の君は間違いなく彼より年下の女の子だろうに」
とトインビーは笑った。リアンみたいなことを言う。
(……いや、確かにそうなんだけどさ)
リアンはあまり考えない方がいい、とは言った物の、どうしてもそう考えてしまう自分もいた。いくらノエルの記憶が自分の中にあって、更にはそれが混合したとしても、自分とノエルは別人、という考えをどうしても持たずにはいられない時がある。結局、色々と簡単に割り切れるほどの事ではなく、色々とややこしいのだ。
「彼の対抗心や悔しさは本来なら悪いことじゃなのだろうがね。それがあるからこそ、高みを目指そうと思えるのだから。今は初めての事に、戸惑っているだけだろう。……まぁ、彼は、気の難しい所こそあるが、根はいい子なんだ。出来れば仲良くなってあげて欲しい」
「わかりました」
と俺は頷く。少し違うかもしれないけれど、仕事で後輩に抜かれたり、部活動で後輩にレギュラーを取られたりする時に感じる劣等感のようなものなのだろうか。それならわかる気がする。
「……だけど、彼は何者なんですか。至龍を従えている上に、あれだけの魔力。化け物じみた強さでした」
「私も彼の将来は末恐ろしいと思っている。あと10年もすれば、彼に追い越されてしまう可能性もあるだろうからね。だからこそ、未熟なうちはきちんと大人の手で護ってやらねばならないし、正しく導いてあげなければならないと思っている。弟子にしたのはそんな理由からだよ。と、まぁ、単純な魔力だけで言えば、スバルより今は君の方が怖いくらいだけどね」
と言って、トインビーは笑うものの、俺は笑えないでいた。『偉大なる12人の魔法遣い』、その筆頭魔術師、つまり世界で一番強いはずの存在が「敵わなくなる」と言わしめる程の才能を持っているスバル。そして、あれ程の力を持っていたスバルですら未熟だと言ってしまえるトインビー。俺は少し、2人に恐怖すら感じていた。
「そうですかね」
「末恐ろしいよ、君もスバルも。将来が楽しみだ」
トインビーはそう言った後、小さな声で付け加えた。
「それに、そうなって貰わなくては困るのだ」
「えっと?」
「いいや」と彼はかぶりを振った。「何でもない」




