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21幕 事後処理と、後遺症と代償






「精霊の件については、なるべく他人に話さない方がいいだろうな。君が本当のノエル君でないという事も」


 廊下を歩きながら、トインビーは言った。まだ俺は寝衣のままではあったものの、着替えずに彼らと共に食堂までの道を歩いていた。


「本来のノエル君の記憶あれば君も知っているのだろうが、精霊をその身体に宿した例というものは、私も聞いた事がない。他人の魂を宿すという事についても、だ。おそらく、ノエル君の魔力と、あまりにも過剰な薬物の投与によって、それを可能にしたのだろうが……」


 とトインビーは続ける。


「そうなると、君の強大な魔力を利用したいという人間は、間違いなく出てくる。それも、バラントだけではない。どの国にしてもの話だ。どこに耳があるかもわからない以上、我々も極力その話は漏らさないようにしておく」


「そうです、ね」と俺は言った。「そうして貰えると、助かります」


 それくらいはなんとなくではあるものの、想像がついていた。天才少女と呼ばれただけで、その力を使う為に、家族を皆殺しにしてまで誘拐するような世界だ。ましてやそれ以上の魔力を持った存在であれば、喉から手が出る程欲しいと言った人間も出てくるであろう。


 出来るのであれば、もうそう言った思いはしたくない。それは本来は俺の経験した訳ではなく、記憶である。それでも油断すると胸の張り裂けそうな思いになる。


 寮の食堂は、一度に数十人が入れるだけの広さがあったが、今は俺達以外誰もいなかった。


「今はここに誰も近づかないように言っている。何を話しても聞かれる事もないだろう」


 とトインビーが言い、一番奥の席についた。隣にスバルが座り、向かいに俺は座る。間も無くして、使用人と小間使い達によって食事が運ばれてくる。思えば、久々に食べ物を見た気がする。そういえば一体、眠っている間、リアンはどうやって俺の身体に栄養を与えていたのだろうか。次に出てくる事があれば、聞いてみたい。


「君が起きるとわかっていれば、もっと豪勢なものを用意させていたのだけどね」


 かぼちゃのスープに、パン、サラダ。そう言った簡素な物ではあったが、そもそもが用意して貰えるだけでも嬉しい事である。そのうえ目覚めたばかりではあるものの、あまり腹が空いている訳でもなかったから、目の前の量だけでも完全に食べきれるかどうかは怪しいものだったのだ。


「頂きます」


「……?」


「……」


「……ん?」


 手をあわせた俺の事を、呆然とするように2人が見てくる。


「えっと……どうしました?」


「いや、何だろうかと思ってね、その儀式は」


「え……ああ」


 と俺はそこで気付く。そういえば、こうやって手をあわせる習慣は日本以外でもなかった気がする。あなたの命を私の物にさせて『いただきます』という意味だったと思うけれど、確かにこの世界にはない習慣のはずだ。あまりに無意識のうちの行動だった為に、それを考える事もなかった。


「君がこの世界以外の場所から来たのだと、今改めて実感させられたよ」


 とトインビーは言った。本物のノエルでない事を隠す為にも、この習慣は今後は控えておいた方がいいだろう。無意識で困るのはノエルの行動ばかりだと思っていたのだが、ナオキとしての行動もあるらしい。他にも、そう言った事が多々あるのかもしれない、あとで見直さなければならないだろう。


 かぼちゃのスープは俺の好物だった。


 それがノエルの好きだったものなのか、それともナオキが好きだったものなのか、不思議と思い出せない。ノエルとの記憶とナオキとの記憶の齟齬がなくなってきているせいなのだろうか。まぁ、リアンの言っていたように、そのあたりの事を無駄に気にして疲れる必要などもないのだろう。


 湯気の出ているそれを冷まして、口に入れる。直後にやってくる違和感に、俺は思わず顔を顰めてしまった。


「ん、どうかしたかい?」


「ああ、えっと……」


 嫌な予感がした。身体の温度がさぁっと引いて行く感覚が、俺を襲う。俺は少し言葉を濁しながら、それを確かめる為に、パンやサラダを次々と口へと運んでいく。


 嫌な予感は、確信へと変わっていく。


(まるで砂を齧っているような感触……これはまさか、味覚が……?)


 スープにせよ、パンにせよ、サラダにせよ、舌に感じるのはどれも同じ感覚であり、そして、味がしないという事だ。砂を噛んでいるような、あるいは味のしなくなったガムを再び口に含んだようなその感覚に、思わず口に含んだ物を吐き出してしまいたくなる。咀嚼し、もう十分という状態まで噛み砕いているはずなのに、味のしないせいで、身体が受け付けてくれない。かといって吐き出すのも悪く、無理に飲み込むと涙が出そうになってしまう。


「捕まっていた時の過度のストレスから、味覚が一時的に消えているのではないだろうか」


 と俺の話を聞いて、トインビーはそう結論づける。


「いや、多分、そうじゃないです」


 トインビーのその考えを否定する。自分でも、自分の顔から表情がなくなっているのがわかるほど、血の気が退いていた。味を感じないのには、思い当たる節があるのだ。バラントの施設にこの身体が捕らえられていた時の事。魔力強壮剤の副作用を少しでも抑える為に、研究者達の魔術によって、肉体を弄くられていた事を。その時、彼らはノエルの身体から「不要な物」を排除する事によって、耐久性をあげているという話をしていた事を思い出す。


 ――もう変わっちゃってどうしようもない部分とかは、流石に治せなかったけど


 ――どうしようもない部分?


 ――すぐにわかるよ


 リアンとの会話を思い出す。彼の言っていた「どうしようもない部分」とは、おそらくこのことだという確信があった。他にも何かが変わってしまっている可能性はある。しかし、人間としてあるべき部分がなくなっているという事に、寒気を感じてしまう。


「バラントは、なんて事をするんだ……」


 俺の説明を聞き、トインビーもスバルも顔を顰めた。ある物をなくす事は出来ても、無い状態からある物作り出すのは難しい、らしい。それが物体ではなく、精神に関わることであれば尚更であるという。リアンが「どうしようもない」と言った以上、それはきっと、もう戻ってこない事なのであろう。


(マジかよ……)


 正直な所、その事には、かなりのショックを受けていた。人間の三大欲求のうちの一つ、食欲。食べる事が嫌いだと言う人間はいないだろう。誰だって、おいしい物を食べたいと思うに決まっている。人生の楽しみの一つは食べる事だと、俺も今まで思っていた。だからこそ人は外食をするし、日々、別の物を食べる。


 味覚を失われたという事によって、食べる事の楽しみは奪われてしまったという事なのだ。


 それも、未来永劫に。


 好物であったはずのかぼちゃ、脳内には味覚の残滓こそあるものの、いくら口に含んで確かめてみた所で、その味を実際に感じる事は出来かった。おそらくこれが、コーンポタージュだとしても、水だとしても、はたまた味噌汁だとしても、すべて同じように感じてしまうだろう。


(まさか、この世界に来て真っ先に味覚がなくなるだなんて……)


「すまない、ノエル君。なんと言っていいのか……」


 思わず頭を抱えてしまった俺ではあるが、その陰鬱さが、トインビーやスバルまで伝染してしまった事に気づく。食卓の空気が重い。


 これは俺が人生をやり直す、他人の人生を引き継いだ事への代償のような物なのであろう。そう思えば、気分は少し軽くなった、というのはまったく嘘だが、受け入れなければならない事でもあるように思う事は出来た。これは仕方がない事である、と。


(……よし!)


 自分は被害者だといえども、自分が原因でそういう空気になるのは非常に申し訳なかった。俺は努めて明るく振舞おうと、残りの料理を口に運んでいく。


「ま、まぁ、それでも味を想像する事は出来ますし。それに、こうやって、命が助かっただけでも、ありがたいと思わないと……いけないですから……」


 相変わらず味もしない上に、飲み込む事は苦痛だった。無理に声と表情を作り、吐き気に負けないようにと「異物」を取り込んでいく。油断すると気持ち悪さから涙が出そうになる。


 流石にその無理な作り笑顔は、痛々しくて目に毒だったかもしれない。だけどトインビーもスバルもそんな俺の気持ちを組んでくれたのだろう。食事を続けてくれた。





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