19幕 精霊の価値観と、進路相談(チュートリアル)
「わかってないなぁ、君は」
と精霊は寝転んだまま両手をあげて言う。その様は少しばかり可愛いように思った。
「さっきも言ったけど、僕ら精霊の世界って、何年も何十年も、何百年も、下手したら何千年も変化の無い世界な訳。つまり僕らは普段から動いてすらいない存在、君らの世界で言うニートだ。そんな僕らが、わざわざ何かしたいと思うか? めんどくさくて何もしたくないのさ。君の身体を使って動くより、君に魔力を与えて自由に動くのを見ていた方が楽しいんだ。ゲームはコントローラーで操作しなくちゃいけないからめんどくさい、むしろアニメを見てる方が好きーって感じだと思ってくれれば、わかりやすいだろうか」
「随分と俺の世界について詳しいんだね」
「そりゃ、僕と君は一心同体になって、記憶を共有している訳だからね。君のわかり易い言葉に置き換えて説明しているのさ。もっとも、さっき言ったように、君の方には魔力がないから、記憶の共有は僕だけの一方通行になっちゃってるんだけどね」
とぬいぐるみはそう言って、俺の膝上に飛び乗った。
「ノエルの魂が壊れてなくて、ノエルの身体に入ったとしても、僕は彼女の好きにさせていたつもりだよ。僕は君と違って、こうしている今ですら十分面白いんだ。僕が悩んでいたのは、君と話すのが不便なことだけさ。一緒にいるのに話せないって、寂しいじゃん?」
「……えっと、要するに、お前は俺がどんな風に動くかを見て楽しみたいって事?」
「そういう事だね」
「なるほど。悪趣味……なのかな?」
「なんとでも言えやい。それでも動きたくないのさ」
ばたばた、とぬいぐるみが両手両足をばたつかせる。さっきから、このぬいぐるみの動きを可愛いと思ってしまうのは、俺がノエルの記憶を引き継いでいるからなのだろうか。
「お前は……えっと、いつまでもお前お前じゃ流石に呼び方に困るよな。名前はなんていうんだ?」
「ん、僕かい?」
俺は頷く。
「名前はないよ。どこにでもいるような多くの精霊の一人だから。好きに呼んでくれていいよ?」
「えーっと、じゃあ、熊のぬいぐるみの中にわけだし、テッドとかどう?」
「それ、君の記憶の中に、なーんかひっかかるものがあるんだよなぁ……」
露骨に嫌そうな顔をされた。喋る熊だしいいかなとも思ったのだけど。
「さっきも言ったと思うんだけど、僕は別にこのぬいぐるみじゃなくても、無機物であればなんでも憑依出来るし、話せるんだからね?」
「……うーん」
少しばかり考えて、ふと俺は思い出す。俺が……自分、ノエルがこのぬいぐるみに、名前をつけていたことに。
「リアン、なんてどうかな?」と俺は聞く。
「リアン? 悪くはないだろうけど、どうしてそんな名前? 君の記憶には特にない名前だなぁ」
「俺が……えっと、ノエルが、名前をつけていたんだ。そのぬいぐるみに」
そう言うと、はぁ、とぬいぐるみは溜息をついた。
「だからこのぬいぐるみじゃなくてもいいんだって言ってるじゃん。でも、まぁ、うん、リアン、か。まぁ、いいよ、リアン。気に入ったよ」
とそのぬいぐるみ、リアンは頷いてみせる。俺はそれに少しばかりの疑問が沸いたので尋ねる事にした。
「ところでリアン、お前、さっき俺の記憶はわかるって言ってたけど、ノエルの記憶はわからないのか?」
「そうだね。ノエルの残った記憶っていうのは、身体に残った記憶だからね」と彼は言った。「だから、魔力の塊である僕には触れない実体の部分なのさ。ちなみに君がこっちの世界に来てから考えている事っていうのも、全部、頭、その脳で考えている事だから、わからなかったりする」
「なんか難しい事言うなぁ……」
と俺は答える。
「君の『これはノエルの記憶、これはナオキの記憶』って考え方の方がよっぽど難しい気もするんけどねぇ」
とリアンは目を細めながら返してくる。
「お前が言ったんじゃないか」
「それは混乱しないように最初だけって話だろう?」
とリアンは言った。確かに、そう言っていたような気がする。
「ノエルとナオキの記憶が定着してきた今、その考え方はむしろ君は自身の中で邪魔になる。多分だけど、自分の中でも混乱しかけてるんじゃないの、その考え方。いいかい? 君はナオキを捨ててノエルになったんだから、ノエルの記憶であったとしても、それはもうすべて君の記憶なんだ。そういう考え方をして無理に疲れる必要なんてない。あまり難しく考えない方がいいと思うよ?」
「そういうもんなのかな」
と俺は尋ねる。そのあたりの事はあまり考えていなかったが、確かに行動をしながら、あれはノエル、これは直樹、などと言った感じで一々と考えると悩みそうな部分はあった。
「そういうもんなのさ」とリアンは言った。「まぁ、これはあくまで同居人としての助実。実際にそうするかどうかは君の好きにするといい」
「そっか。ありがと」
「って、まぁ、君の精神が壊れたら、僕もこの身体にいられなくなるからね」と照れ隠しのように彼は言った。「なら、そうした上でノエル。君はあとは何か質問はあるかい?」
「これからどうした方がいいだとか、そういう事って何かある?」
「ないよ。君がしたいようにすればいい。これは君の人生だからね、僕が口出しをする事ではないよ。君は人生をやり直したかったんだろう? なら、君自身がしたい事を考えて、君のしたい事を為せばいいだけの事だ」
「なんか、厳しいんだね? これからの事とか、ノープランなんだけど」
「君の人生だからね、君がちゃんと考えなきゃ駄目だ。ノエル自身がね」とリアンは言う。あえてナオキ、と呼ばないのは彼なりに色々と考えてそうしてくれているのだろう。
「なるほどね。ありがとう、リアン」と俺も返す。お互いの名前を言い合うのは少しくすぐったかった。
「他には?」
「うーん、今は特にないかな」
「そっか。なら、僕は君の中に戻るよ。僕がこうして外に出ていても、君の魔力は変わらないんだけど、ぬいぐるみにいるのは想像以上に疲れるし、面倒くさいんだ。ニートはニートらしく、君の中で寝転びながらぼうっとしてるよ。ああ、ただ君は僕の視線を気にする事もないからね。僕は他人に言いふらすつもりも、その相手もいないんだから」
「わかった」
そう言われるとむしろ恥ずかしくはなりそうだけど。見られていると色々と思うところもあるし。
「ああ、でも寂しくなったらまたこうして出てくるから、話してくれると嬉しいかもしれない」
「わかった」
「じゃあ、頑張ってね、ノエル」
そう言うと、ぬいぐるみの中にあった魔素は俺の中に戻っていく。ぬいぐるみは力を失い、その場に倒れこんだ。俺は抜け殻となったそのぬいぐるみを「いつもそうしていた」ように、腕に抱えて、少し考える。ノエルの記憶を引き継ぐ、という事はそういう考え方をする事だろう。
(……けど、したい事、か)
リアンの言うことが真実であれば、俺は精霊の魔力をこの身に宿しているという事になる。しかもその力は、俺が自由に使える物だとも。それがとんでもない事だというのは、洞窟の中で魔術師達に放った魔術や、スバルと対峙した時に放った魔力が物語っている。実際に経験して、ノエルの記憶を得た事で、それがどれ程凄いことなのかもちゃんと理解している。
これは、チートどころの話ではない。
自分がとんでもない力を手に入れたのだと思うと、少しにやけてしまいそうになる。これなら、なんだって出来るだろう。
そう例えば……例えば……。例えば……?
(……ん、あれ?)
と、そこで俺は、ふと何もしたい事が思い浮かばないことに気づいた。
俺が、この世界でしたい事は……なんなのだろうか。