18幕 同居人と原理説明
2ヶ月、という言葉に俺は驚く。
「……本当に? そんなに眠ってたのか?」
「うん、本当に」
とぬいぐるみは頷く。
「本当に危ない状態だったからね。この2ヶ月、僕は君の体力回復だとか、筋肉の蘇生に努めていたから、今ではなんとかマシになってきてはいたけどね。それがなかったら死んでた可能性すらあったかもね。流石に死んじゃうともう治せないから、結構焦ったよ」
「なるほど。だから今こんな感じで筋肉が戻ってきてるわけだ」
そう言って、俺は自分の腕を見る。そんな事が出来るのかとは驚きではあったものの、精霊であればそのような事を起こせるだろうという考えもある。相変わらず二重思考が存在するものの、不思議と混乱はない。どちらの考えも自分の考えだと思えるようになっていた。
「髪とか、もう変わっちゃってどうしようもない部分とかは、流石に元に治せなかったけど、あとは概ね元通りだと思う」
「どうしようもない部分?」
「すぐにわかるよ」
と精霊は言った。その言葉に少し違和感を覚えたものの、俺は彼に礼を言う。
「ありがとな、助かったよ」
「いえいえどうも」とぬいぐるみは満更でもない様子で頭を掻く。「君が死んだら僕も宿り場が無くなって困るからね。入って速攻で死亡、なんて嫌じゃない、お互い」
「宿り場……そういえば、お前、今までどこにいたんだ」
「勿論、君の中だよ」そう言って、俺の胸の辺りを指し示すように、ぬいぐるみは腕を伸ばした。「君の中で、色々見てたよ」
「いたの? 全然わからなかった」
と俺は言った。という事は、あまり胸を揉んだりするのは止した方が良いのかもしれない。
「だろうね。君と僕はこの世界に来た時にはもう、一緒になっていはいたんだけど、僕は魔力供給以外何も出来なかったからね」
「どういう事?」
「どうやら、君の中に魔力がまったくなかったのが原因らしい」
と精霊は言った。
「詳しい話は省くけど、僕ら精霊っていうのは、実体を持たない、魔力の塊なんだ。だから働きかける事が出来るのも、基本的には魔力にだけ。ここまではいいかな?」
「ああ、うん。なんとなく」
ノエルの記憶のお陰で、その原理についていける。
「だから、魔力の無いナオキの精神の中に、入れはしても働きかけられないって事。つまり僕はノエルの身体の中で、ぼぅーっとしてることしか出来ない訳。君に話しかける事は出来なかったし、君の身体を動かす事も出来ない」
やれやれ、と言った感じでぬいぐるみは両腕をあげる。
「君の世界に魔法がないのは知ってたけど、まさか魔力まで0だとは思ってもみなかったよ……。お陰で今の僕に出来るのは、せいぜい君の身体への魔力供給くらい……と言いたい所だけど、正直なところ、君は身体に宿る魔力へのアクセス権を自由に使えちゃう訳だし、僕にも使うなって拒否権がないから、もう僕の魔力は実質君の物みたいな物かな」
こればかりはちょっと予想外だったな。
そう言って首を振る。
「ええと……つまり、俺がお前の魔力を勝手に使えるって事?」
「そう。こないだ魔術師達を殺した時に使ってたようにね」
妙に魔力が高かった気がしたが、あれは薬の力だけではなく、精霊の力を借りていた結果らしい。
「なんか、その、ごめんな?」
と俺はばつが悪くなり、頭を掻きながら答える。
「なんで謝るのさ」
「いや、俺に魔力がないせいで、お前は動けないって事だよな。ノエルの身体の中に入りたいって言ってたのは元々お前だったし、やりたい事とかあったんじゃないのか? なら、悪いことしたなって」
「ああ、その事なら気にしなくていいよ。最初から僕は何もするつもりなかったし」
「……は?」
その返答に、俺は少しぽかんとしてしまう。
「だから、その点については謝らなくていいって事だよ。僕が困っているのは、君とこうしてコンタクトをとる分に、少し不便だなーって事だけさ。まぁそれも、こんな風に、ぬいぐるみの中に魔力を投影しておけば、問題ないっちゃないんだけど」
それでも一々めんどくさくってさぁ。
ぐでぇ、とぬいぐるみがその場にへたり込む。
「は、はぁ……」
俺の頭上に「はてな」が浮かんでいるのを察してくれたのか、精霊は身振り手振りを付け加えながら続ける。
「えーっとね、つまり、僕は本当に、ノエルの身体の中に入っても、特にしたい事なんてなかったって事。人間の身体の中に入って、人間の世界を見てみたい。それが僕の望みだったんだよ」
「え、それだけ?」と俺は聞く。「それだけなの?」
「君は知らないだろうけどさぁ、僕達精霊のいる世界って、かなり変化に乏しくてね。ただただ時間が流れるだけのほんっっっとに退屈な場所なんだ。十年、百年変化がない事なんてざら。だから精霊達はみんな、日々変化する人間の世界に現界したがる。人間世界に現界できたお礼に、少しだけ人間の望みを手伝ってあげる。それが精霊魔術の原理。君はもう精霊魔術についての知識があるんだろう? あれはそういう原理なのさ」
俺は頷く。
精霊魔術についての知識は「あった」。ノエルが屋敷の書庫で、それ関連の魔術書を一時期大量に読み込んでいたから。俺が殺したアンドレア・フロリオも精霊魔術の研究者だった。
「僕と君との関係もそんな物だと思っていい。僕は君のお陰で、人間界に受肉してこの世界を見る事が出来る。だからそのお返しに僕はその間、君に僕の力を貸してる。そんな感じ。わかった?」
「原理はわかったけどさ」
と俺は答える。
「それなら尚更、そんな楽しい世界に現界したら、やりたい事とかあるんじゃねぇの?」