16幕 森の一眼巨人族と至龍
大きな身体というのはそれだけで威圧感になる。ついている筋肉の量の差が、そのまま力の差にも繋がってしまうからだ。この世界には魔法があって、その力量差を埋め合わせたり、逆転させてしまう事が出来るといえども、それでもやはり自分の倍以上もある身体が目の前にあれば、萎縮してしまう。
亜人。
遠い昔、かつては人間と同じ存在だったが、体内魔素の変異によって血を分けたといわれている。「力の巨人」と「知恵の小妖精」は、森のカーストの最上位で双璧をなしている。所謂ヒト嫌いな種族としても有名で、好んで人前に現れる事は滅多にないはず種族。その彼らが、今こうして自分達を取り囲んでいた。
好戦的な性格でないと謂えども、彼らの手には、ヒトなど一撃で葬り去れそうな金棒を軽々と握られている。囲まれている今は、とてもじゃないが心中穏やかな気分でいる事は出来ない。
「スバル」
「はい、わかっています。先生」
決して先に手を出すな、とか、そう言ったところだろうか。スバルは出しかけてした威圧感のある魔素を自分の中へ収束させていくのがわかった。魔素による威嚇は、時によっては有効な手段だろうが、この場所では不適切だった。
「……」
やがて、1匹の巨人が進み出るように前に出る。服装、というより首からかけた装飾が他の巨人より豪華で、リーダー格なのだろうと推測できる。
「我々、凄い魔素、この場所から、感知」
(凄い片言……)
人間の言葉だった。亜人には亜人の言葉があるハズなので、ヒトに合わせてくれているのだろう。
「ああ、我々もそれを感知した。だからこうして、この施設の中に入って調べていたのだよ」
とトインビーが答える。
「もしや、精霊、暴走。情報請う、強く」
「精霊ではない、彼女だよ。彼女の魔力が漏れていたのだ」
俺を示すようにして、トインビーは言う。
「人間? それにしては、魔素、大きい。人間、違う」
「誘拐されていた間に、魔力強壮剤で魔力を高められている。勿論それだけでは説明がつかない。彼女は人間の持つ魔素の量をはるかに越えている。にわかには信じられないが、精霊をその身に降ろそうとしたのだろう。今は私の魔法で魔素を隠している」
説明をしていないにも関わらず、ズバリであててくる。
「精霊を降ろしている」その言葉に巨人達はざわめき、スバルまでもが驚く。
「納得。だが、大きすぎる、魔素、お前達みたいに人、集まる。この森、壊す。出て行く、求む」
「そのつもりだ。我々は彼女を連れて、早くここから離れたいと思っている。君達に危害を与えるつもりもない。出来れば鳥をこの森に呼ぶ為に開けた場所にいきたいと思っているのだが、そのような場所へと案内して貰えないだろうか」
少しの間、巨人のリーダー格は考えていたが、やがて首を縦に振る。
「了承。付いてくる、良い」
トインビーとスバルは森に入っていく彼を追い、森の奥へと歩を進めていく。
「来る時は空から直接降りてきたのだが、帰るときはそうもいかなくてね」とトインビーは言う。「彼らを撒く事は出来るだろうが、森の中で迷ってしまっては困る」
道中、俺の事を他の巨人達が興味深そうに見てくるのがわかった。その大きな一つ目がいくつもこちらに向いているというのは、あまり良い物ではない。
「なに、気にする事はない。彼らは自分達の住む場所さえ侵されなければ、決して危害を加えてくる事はない。ヒトに危害を加える事が、森を脅かす事に繋がると理解しているのだよ。ヒト嫌いではあるが、排他的なエルフとは違って、お互いを尊重してくれる良い種族だよ」
一つ目の巨人の一匹と目が合う。彼が口角をあげて笑うのがわかった。敵意のような物はないらしい、俺も怖がりながら無理に笑って返すと、嬉しそうにして、仲間達と何かを話し出す。『見ろよ、笑ってくれたぜ』とでも言いたげに。
「トインビー先生は、どうしてこの身体に、精霊を降ろしていると思ったのですか」
「その口ぶりだと、どうやらあたっているようだね」
俺が頷く。
「最初に君の屋敷を訪れた時から、その可能性は危惧していた。君ほどの魔力を持った存在であれば、誰かがそのような馬鹿な考えを思いつくのではないかと。だからこそ、うちの学校に呼び、君を私の目の届くと所に置き、君が自分の身を護れるようになるまで保護するつもりだったのだが……」
そうなる前に、それは起きてしまった、という事だろう。
「まったく、愚かな事をする」
ぼそり、とそう呟く。それ以上何を言っても暗い話にしかなりそうにないと判断したのだろう、彼は何も言わなかった。俺も何を言えば良いかわからず、そのまま黙っていた。
☆
5分程歩き続けた所で、木の生えていない開けた場所へ出た。巨人達は俺達がその場所を確認するなり、何も言わずに森の中へと消えていく。
「なんだったんだ……」
やがて森の一眼巨人の気配がなくなると、スバルはそう呟く。
「他の誰かがくるよりも先に、ノエル君をこの森から出せるのであれば、彼らはそれが1番だと考えていたのだろう。とにかく事を構えないで済んで良かった。スバル、申し訳ないが急いで彼女を呼んで貰えるだろうか」
「はい、先生」
スバルは開けた場所の中心の方へと早足に進んでいく。トインビーもワンテンポ遅れながら、それについていく。
「苦しい思いをさせているが、もう少し我慢して貰えるだろうか?」
「あ、はい。ありがとうございます」
そうは言う物の、正直な所もう降ろして欲しかった。恥ずかしさの限界ではあった。
男だから普通に人生に関係ないものだと思っていたが、実際にこうして抱き上げられるのは、かなり恥ずかしいものである。男前な壮年のおじ様の顔が近くにある、というのは妙に気恥ずかしい。女なら惚れていたかもしれない。かと言って、降ろして貰うことも出来ず、俺はじっとしているしかない。
ぴぃぃぃぃぃ、と、高い音が鳴った。笛の音だ。
目をやると、先に中央に着いていたスバルが、何か楽器のような物を吹いて音を鳴らしていた。風で揺れる木々の音しか他にない夜の森の中、その音はよく響きこだました。何かを呼んでいる。時間を置いて、もう1度鳴らす。
3度目の笛をスバルが鳴らしかけた所で、周囲一体に陰りが出てくる。
初めはそれが、月に雲がかかった為だと思った。しかしすぐにそうではないという事に気づいた。明らかに自然の物でない強い風が吹き、俺は慌てて空を見上げる。そこには、視界を覆う程、巨大な生き物がいた。
(これ、は……)
翼を持ったそれは、鳥などと言った物とは比べ物にならない程に大きく、見ているだけで自分達の無力さを思い知らされそうになる。
漫画やゲームなどで目にした架空の存在。
龍、そのものがいた。
「ドラゴン?」
「見るのは初めてかい」
とトインビーが問う。
トカゲとも蛇とも言える爬虫類を何百、何千倍にも大きくした物に、翼を生やしたような生き物だった。2tトラックを簡単に越える大きさ。遠くから見てもわかる岩のような鱗の凹凸、身体と同じかそれ以上あるであろう開けた翼は、駅構内にでかでかと貼られた看板よりも大きく、硬そうで、あれにあたれば骨折どころでは済まないだろう。
RPGなどと言ったゲームで、彼らの攻撃力が何故高いのかが嫌でも理解させられてしまう。前足から伸びた爪は「鋭い」というよりも最早、「大きい」という形容が出来る域である。あんなものを受ければ、大ダメージなどと言ったものでは済まない。死んでしまう可能性がある。
その龍が今、ゆっくりとスバルの隣へと降りてきていた。翼を一振りさせる毎に、周囲の木々が大きく揺れる。
「彼女は知性と理性を持つ至龍だ。亜竜とはまた違う。その辺りの違いは、君なら知っているだろう」
呆然としている俺に、トインビーが笑いながら説明してくれた。
彼女、という事はメスなのだろう。
龍はスバルの体など一飲みしてしまいそうな程大きな顔をしていた。その頭を、地面に伏せるように置いて、スバルはそれを撫でてやっている。まるで犬のようにその巨大な生物を飼いならしている。
至龍と亜竜の違いは知っていた。知能と魔力を持たない、龍のまがい物とされる亜竜と、「龍」に至る為の知性を持った至龍。ヒトの言葉を解す事すら出来ると言われている至龍は、亜竜とは比べ物にならない力を持つという。見ることすら珍しいドラゴンの、その中でも更に希少な存在である至龍が、ヒトに飼われているだなんて。
スバルという青年は何者なのだろうか。まだ若いように見えるのに、『偉大なる12人の魔法遣い』の弟子入りをする程の魔力を持った存在。
色々な事に混乱しながらも、俺はトインビーに抱えられたまま、風魔法で宙を浮き、ドラゴンの身体へと乗った。彼女の背中には何故か赤いカーペットのようなものが敷かれていて、俺はその上に座らされる。やっと解放された事に安堵はするものの、龍の上に乗っているという居心地の悪さを感じていた。
「すまないがスバル、彼女に少し急ぐように頼めだろうか」
「わかりました。……いけるか?」
前半はトインビーに対して、後半はその龍に対して。
龍は小さな声で「ぐえ」と鳴き、首を縦に振った。凄い、と思った。彼女は本当に言葉がわかっているのだ。
龍がその大きな翼を広げる。ゆっくりと、上下に動かし、数度の往復で彼女の身体が宙に浮いた。背中の上に乗っているので、筋肉の動きこそ感じたものの、風を感じる事はなかった。トインビーが周囲に風避けの魔法をかけてくれていたからだ。あっという間にドラゴンは空へと舞い上がり、雲の高さまで上昇していた。
雲間から見える街はミニチュアのようで、時々見える家あかりが綺麗で思わず感動してしまう。そこで改めて俺はファンタジー世界に来たのだと実感させられる。少し安心したせいかもしれない。自分の今の状況を、やっと落ち着いて見れる気がした。
しかしその景色を見て満足してしまったせいか、一気に身体が重くなっていくのがわかる。うつらうつらと、意識が飛びかけている。
「疲れているのだろう」
とトインビーは言った。
「もう大丈夫だろうから、眠ってもいい。風除けの魔法もある、何、落ちやしないさ」
大人しく甘える事にする。そういわれなくても、俺は眠気には抗えずに眠っていたかもしれないが。
ノエル・アルフオート。
途切れ途切れになる意識の中、俺はぼんやりと考える。
とんでもない境遇の人間の人生を、どうやら俺は引き継ぐ事になったらしい。瞼が重くなり、そのまま意識が暗闇へと消える。