13幕 技量と力量の差
「……」
魔素を本来であれば初めて感じるはずの俺ですら、その魔素の濃さに驚いてしまう。背筋を冷えた手でなぞられたようなぞっとする感覚に、思わず鳥肌が立つ。これは危険だ、と本能が訴える。
規格外の魔素量。
国内では英雄と呼ばれていて、一般的な基準を大きく超えているはずのアンドレア・フロリオの魔素量でさえ、その比ではない。ノエルの記憶の中でもそれほどの魔素と相対したという記憶はなく、魔術のピラミッド、頂点の『12人の偉大なる魔法遣い』あるいはそれに次ぐ『大魔術師』、少なくともそのレベルの魔力でないと説明がつかない程に、強力な魔素量だった。
大きすぎる魔素というのは、自己の位置を伝えてしまうという致命的な弱点になる為、普通魔術師は、魔素を安易に表出しようとはしない。
ノエルは他の才能こそずば抜けていたものの、魔素を抑えるという才能(と運)にだけは恵まれなかった為に、どう隠そうとしても魔素を抑える事が出来ない事が多々あった。加えて今は、爆発的に上昇した魔素量のせいでだだ漏れ状態である。
対してその魔素からは、それを隠そうとする意思すら感じられない。加えて俺に対する敵意の感情がその魔素には乗っている事がひしひしと伝わってくる。まるで俺から漏れている魔素に対抗し、真っ向から魔素比べをしてくるかのように。
「……」
魔素の総量自体はこちらの方が多いだろう、それは間違いない。しかしこちらは今も壁に支えられながら歩いているので精一杯で、支えがなければ立っている事すらままならない状態だった。もし対峙する事になれば、その場から動かずに対応しなければならない。普通に考えて、お世辞にも分が良いとはいえない。
出来ればその魔素との接触は避けたかった。
しかし一方通行のこの洞窟内で、魔素の持ち主は敵意と共に近づいてきている。その敵意は間違いなく俺に向けられている。どうあっても衝突は避けられそうにない。
(……やるしか、ない)
覚悟を決める。
進行方向、少し先にある曲がり角のすぐ先まで来た所で、その魔素の持ち主が歩みを止めるのがわかった。魔素の発生源の動きが止まり、足音も消える。それは向こうが俺の位置を把握しているという事でもあった。お互いが息を飲むのがわかった。
「……」
先にしかけたのは相手だった。
曲がり角の先から、地を這うようにして、床一面を覆う火柱がこちらへ向かってやってくる。天井まで届くか届かないかのそれを盾にして、人影がその後ろを駆けてくる。俺達の距離は一瞬にして詰まる。深く被ったローブのせいで相手の顔は見えないものの、相手は男だとわかる。
「……っ!」
俺は急いで風を使役し、自身の周囲に強風を展開し、迫り来る炎から身を護る。まっすぐに走り続ける炎柱が俺の後方へと消えていくそのタイミングで風を解き、迫ってきていたローブ姿の眼前に氷壁を作り出す。
短時間で魔法を連続して使用する事。そもそも魔法の存在を自然と受け入れている事で、やはり俺は自分が深瀬直樹でなく、ノエルの記憶を受け入れた事で変わり始めているのだと思い知らされる。だけど今は、そんな事を思い巡らせている場合ではない。
全力疾走で近づいていた相手は、氷壁を目の前に慌てて足を止め――ようとしなかった。
(……なッ!?)
嫌な予感がして、即座に風魔法を放つ。力加減をしていないその魔法は、魔術師達の上半身を斬り飛ばしたのと同じ魔法だ。風は刃となり、氷壁を破壊し、その先のローブ姿へと襲い掛かる。しかしローブ姿は魔術障壁を展開し、真っ向からそれを受け止めて、その衝撃の為に2、3歩その場で後ろに下がっただけで、傷一つ負う事はなかった。
氷壁を崩してでも、咄嗟に風魔法を打った事のは正解だった。
そうしなければきっと、ローブ姿の男は氷壁を突き破り、彼と俺の距離はなくなっていただろう。
(さっきの。風で砕けるよりも先に、氷壁は溶けかけていた……)
炎を発生させたのか、それとも身体周囲に熱量を生み出し突進していたのか。どちらにせよ、氷壁は元々分厚いものであったのにも関わらず、吹き飛ばす前にはもうほとんど意味をなしていなかった。
厚い氷壁を一瞬にして溶かす程の熱量を短時間で0から作り出す事も、至近距離から放たれた風の刃を防ぐ耐久性を持った魔術障壁を瞬時に作りだすことも、到底考えられない事である。どれだけの魔力があっても不可能な事である。初めから彼はそれを予見して、熱量も障壁も発生させていたとしか考えられない。
俺の行動は、初めから読まれていたのだ。
「……」
俺はそこで嫌でも察してしまう。このままでは、俺は勝てないだろうという事を。
この身体には魔術の才能があり、膨大な魔力があった。様々な魔術についても一通りの記憶がある。だが、また、自分が魔術の応用的な使用方法を「知らないという事」も知っていた。こうした対人、対魔術師を想定した魔法の遣い方の経験がなければ、訓練をした事もない。こういう時、どういう風に立ち回ればいいのか、対魔術師との戦闘において、何が適した魔法なのかといった知識をまったく持っていないのだ。言わばノエルは、教科書的な知識しか持たない優等生だった。
先程のアンドレア達のような、はるかに格下の魔術師相手なら、何も考えないでも良かった。しかし今目の前にいるような魔術師を相手にするのであれば、その戦い方を知っていなければいけなかった。
今の一瞬のやりとりも、相手がこちらの動きを読んだ上での行動なのに対し、俺はただ、相手の動きに反応して、知っている魔術を使っているだけの事だった。その違いはあまりにも大きすぎる。俺と男との間には大きく技量の差があると思い知らされてしまう。
加えて相手の身体能力の高さについて見せられてしまう。対する俺は、壁にもたれなければ立ってすらいられない状態だというのに。
(……マジかよ)
と俺は相手を見ながら思う。
男は風を受け流すなり、被っていたそのフードを外す。
背の高く、綺麗な顔をした青年だった。
歳は十台後半と言ったところだろうか。まだ微かに幼さは残るものの、目鼻立ちははっきりとしていて、整っている。目つきは鋭いものの、顔全体から、隠し切れない育ちの良さと、知性のような物を感じさせており、粗野さはない。おそらく、その「きつさ」さえなければ、どこぞの雑誌の表紙を飾っていても違和感はなさそうだった。見も蓋もない言い方をすれば、美形である。
その男が、俺を怪訝な表情で見ていた。
「人、間……?」
まるでそこにいたのが俺であったなどとは、つゆにも思わなかったとでも言いたげな声と表情だった。しかし、その動揺のお陰で、彼の行動が一旦止まり、無防備になる。俺はその隙を逃すわけにはいかなかった。
「しまっ……」
俺が魔術を発動させた事に対して、男の反応、対応が1テンポ遅れる。それで十分だった。
俺はただ単純に、炎を作り出す。小細工も何もないただの魔力炎を、男に向かって放つ。ただし、持てる魔力のすべてを注ぎ込むよう、全力で。
技量で負けている俺からすれば、出来る事は1つしかない。力技でのゴリ押し。何の捻りも芸もないが、それしか思いつかない。幸い魔素量という点だけではこちらに分がある。自分の魔力が、薬による強化によってどれだけ強くなっているのかはわからない。だがありったけの魔力を用いて、その炎を作り出す。ここは狭い通路の一本道。彼に避けようはない。俺はとにかく全力で炎を作り出す事だけに集中して、それを放つ。
「この、魔力……はッ!」
男は慌てて魔術を防ぐために、風を発生させて身体の周囲に壁を作り出す。先程俺がそうしたように。多くの魔素が流れる事から、それが全力全開の魔術壁だという事がわかる。そうしなければ防げない程の魔術炎をだというのを、俺も彼も理解していた。俺は相手に隙を与えない為に、炎をただ全力で流し続ける事しか出来ず、相手も魔術壁を作り続けて身を守り続けねばならなかった。
一見すれば拮抗した状態。
だが、単純な力比べであれば、魔力の差が物を言う。俺の方に圧倒的な分があった。魔力炎を前に、彼の作り出したその壁は磨り減っていき、少しづつ、少しづつ小さくなっていく。魔力を傾け続ける男の表情が険しくなるものの、だからと言って彼はそのままそれ以外の事が何も出来ないでいる。
一方の俺は全力を出し続けていると謂えども、一向に魔力は尽きる気配がない。余裕すらあった。
(このまま、押し切る……!)
やがて、男の作り出す障壁の限界がきて、その形が保てなくなりかけた時―――
「えっ……?」
彼を覆い尽くしていた魔力炎が消えた。
何が起きたかわからなかった。その炎は間違いなく俺が魔素を注ぎ込み作り出していたはずの物で、俺は魔力の注入を止めたつもりなどなかった。しかし今唐突に、炎はおろか、その注ぎ込んでいた魔素すらも、一瞬で根こそぎ切り取られたように消えてしまったのだ。
理解できていなかったのは俺だけでなく、相手の男も同じだったようで、お互いが一瞬、呆然としてしまう。
……一体、何が起こったのか。
「大丈夫かい、スバル」
落ち着いた、渋みの声と共に、その男は現れた。
壮年の男。短く切りそろえられた黒に近い茶色の髪や、皺一つ無いローブからは清潔感が漂う。落ち着いた風貌とその様子は、教養の高さを示し、また彼の中の魔力に対する自信の表れだと感じずにはいられない。おそらくはその男が、俺の魔力炎を消したのだろう。
「すみません、助かりました。想像以上の魔力です」
「そうみたいだな」
その壮年から出た心配の言葉は決して俺にかけられた言葉ではなく、スバルという、目の前の青年に対してかけられた言葉だった。だからこそ、俺は驚かずにはいられない。
その声と顔には「記憶」があった。「ノエル」は直接会った事もあるはずだ。誘拐される少し前に、彼はアルフオート家の屋敷に、ノエル・アルフオートを自分の学校への特待生として勧誘する為にやってきた事があるからだ。その事で、世間は大きく騒ぎになったくらいなのだから。
「……」
リーゼルニア国立魔法学校の校長にして、『偉大なる12人の魔術師』の筆頭魔術師、世界で最も有名な魔術師、クラーク・トインビー。
その人が今、俺の目の前にいた。