12幕 袋小路と八方塞
何度目かの挑戦の後、その場で立ち上がるのが結局不可能な事なのだと知る。
「マジか……」
頭をおさえ、思わず呟いてしまう。しかし考えてみれば当然かもしれない。もう何ヶ月もの間、部屋の中に閉じ込められていて、足の自由が奪われていたのだ。歩いていないどころか、立ってすらいない。筋肉が衰えてしまっているのだろう。全然力が入らない。
「何か、支えになるものでも……」
せめて棒でもあれば、と周囲を見渡す。目に入るのは死体ばかりで、何もない。
「……」
冷静になってみると、自分がとんでもないことをしたのだと思い知らされる。感情のあまり行動し、人を殺したのだ。それも、1人や2人どころではない。勿論彼らに対する憎悪の記憶は強いものだ。やった事自体への後悔はない。しかしやはり思う所や罪悪感と言ったものがない訳でもない。俺はそれらをあまり見ないよう、そして、あまり考えないようにする事にした。
足を引きずり、身体をくねらせながら、それらの間をぬって壁の傍まで移動する。
初めてここが洞窟の中で良かったと思った。壁に凹凸があるお陰で、壁に指を引っ掛ける事が出来たのだから。筋肉がなくなっているのは腕も同じ事であり、文字通り骨と皮だけになっていて力はほとんど入らない。しかし何度かの挑戦の後、壁にもたれかかる様にして、俺はやっと立ち上がる事が出来た。それでも、足ががくがくとよろめいていて、油断すると崩れ落ちてしまいそうだったが。
「ここから、出ないと……」
ゆっくりと、倒れてしまわないように歩を進める。1歩歩くだけなのに時間と体力を消耗してしまう。先程まで駅の構内を闊歩していたとは思えない程の重労働。おまけにノエルの足はまだ短く、歩幅は狭く、時間をかけてもほとんど進んでいない。5分かけて通路を歩き続けたはずなのに、振り返ってみれば、まだ先程までいた部屋が視界の中にある。その移動速度のあまりの遅さに、焦りと苛立ちを感じてしまう。
通路は足元がかなり不安定な上で歩きづらい。しかしどうやら一本道のようで、とにかく歩き続けば良いという、それだけは救いではあった。だが、そんな一本道故に、避けられない事もある。
「何かありましたか、そちらから何か凄い量の魔素が……お前は!」
この施設の職員だと思われる、白衣を着た男は俺の姿を確認するなり顔色を変える。
一本道である以上、彼を避けて洞窟を出る事は出来ない。逃げるだけの力もない。かと言って彼に応援を呼ばれてもまた困る為、彼の姿を確認するなり、俺は風魔法で彼の身体を壁に叩きつけた。彼は何が起きたか理解できないままに、その場に倒れこみ動かなくなった。
死んでいるのか、生きているのかはわからない。確かめるにも、自分の体すら上手く動かせない。
彼らには恨みもある上に憎さもあるが、出来ればこれ以上人を殺したくはなかった。とは思うものの、自分の魔力がノエルの記憶の中のそれよりも、あまりに大きくなり過ぎている為に上手く制御が出来ない。これでも自分の中の魔力を最小限に抑えていたつもりだった。力任せに風を放てば、先程の魔術師達のように、身体が消し飛ぶ事になる。
だからこそ、自分の身体を風に乗せて運ぶ事も出来ないでいる。歩くのが難しくても、風の力を借りれば出口まで自分を運ぶことも出来ただろう。しかし今のような骨と皮だけの状態で下手をすれば、自分の魔法の衝撃で骨が砕け散る恐れすらあったのだ。
結局、自力で歩くしかないのだ。重い足取りで、全然前に進まなくとも、それでも少しづつ歩いていくしかない。半刻の間に3度程、同じように研究者達に遭遇した。その度に俺は同じように彼らを壁に叩きつけ、意識を無理やり奪う。
(そりゃ、これだけの魔素が身体から漏れてるなら、見に来るわな……)
自分の身体からは、尋常じゃない量の魔素がだだ漏れしていた。放出している自分こそ大丈夫だが、遠く離れていても魔素酔いしてしまいそうなその量は、最早人間の出せるだけの量を越えているはずだ。元々ノエルが魔素の制御だけは苦手だった上に、今はとんでもない量の魔力になってしまった為、上手くその流出を抑える事が出来ない。焼け石に水状態な上に、体力を使う事になる為に、抑える気力すら沸いてこない。
(……って、自然に魔法の知識が出てくるのってのも、普通に考えればおかしいんだけどさ)
自分はつい先程まで魔法とは縁のない世界にいたというのに、今では魔法がある事前提で物事を考えている自分がある。まるでそれが当たり前の知識として自分の思考に組み込まれている。さっきみたいにそれで混乱する事はなかったものの、それでもやはり違和感は残る。
☆
かれこれ数十分、あるいは数時間歩き続けたと思う。その割には、ほとんど進めているような気がしない。この身体の状態では、同じ距離を歩くだけでも、人の何十倍の時間もかかってしまう。そのうえ、距離自体はそう進んでいないはずなのに、息切れが激しくなってくる。
一向に出口が見える気配すらない。ここがどれくらい地下にあるのかわからないものの、このままではここを出るより先に力尽きてしまうのではないのだろうか。
「やばい、もう、ほんっと、疲れた……」
立っているのもしんどくなり、壁にもたれかかるように座りこむ。疲れのあまり、息が荒く、自然と肩が上下した。
「なんっ、でっ、こんなっ……」
身体が重く、額からはとめどなく汗がながれていた。こんなに疲れることなんて、連勤が続いた時ですらなかったというのに。
少し休憩しよう。休憩。駄目だ、身体が持たない。
天井を仰ぎ見るようにして、口を大きくあけて、何度も何度も息を吸う。身体も心も精一杯なはずなのに、深瀬直樹の身体と比べると肺活量が少ないなと感じる深瀬直樹としての俺と、それを生まれつき付き合ってきた物なのだから自然な物だと感じるノエル・アルフオート側の俺、更にその2つを冷静に眺めている2つの記憶が交じり合った結果の今の俺が自分の中にいる事に、少しだけ笑えてきてしまった。
でも、そんな自分がいるからこそ、いきなりこの世界に放り込まれても助かることもある。ノエルの記憶と、深瀬直樹の記憶があるからこそ、考えられる事もある。たとえそれが11歳の記憶と知識という限定された物であったとしても、まったくこの世界を知らない俺ががむしゃらに考えるよりはかなりマシといえるものだ。特に、このような状況下であるならば。
「ふぅ……」
息は整ってきたが、まだ身体が動かせそうにない。休んでいる間に、少しだけ考える事にした。
これからの事だ。
今俺はこの地下施設から抜け出そうとしている。しかし無事に抜け出したとして、俺はどうすればいい? それは以前、ノエル自身も考えていた事のようで、その記憶がある。
家に帰る? どうやって? ここがどこの研究施設かはわからないものの、おそらくはバラント王国の領内なハズだ。アンドレアの言っていたように、俺の誘拐を指示したのがバラント国王なのだというのであれば、まず間違いなくこの国の役人や自治機関は当てにならないだろう。
それどころか、向こうからこちらを探す可能性だってある訳だ。この研究施設の人間が死んだとのだとわかれば、間違いなく追ってくる。それらをどうやってやり過ごす? ところ構わず魔法を遣えばそりゃなんとかなるかもしれない。だけど自分の魔力がどこまで通用するのかすらわからない状態な上、多勢に無勢という言葉もある。下手に動いて数でかかられれば、どうしようもないと考えていた方がいいかもしれない。だとすると、極力目立つのは避けた方が良い。
(なら、一般人に扮しながらリストニアの国境近くまで戻るしか……)
と、自分の身体を眺める。骨と皮だけになってしまった身体に、それを包む貴族の服装。それが今のノエルの格好である。明らかに不審な点しかない。バラントの一般市民の様子や、食事情には詳しくないものの、ここまで痩せた人間が出る程貧しい国ではないハズだ。
(それに、この髪の色……)
と俺は自分の肩甲骨のあたりまで伸びる長い髪を指で摘んで見る。元々は栗色で、今ではすっかり銀色になってしまった髪だ。銀色なんて、どこに行っても目立つだろう。日本なら髪染めがあるのでたまに見ることはあるが、この世界にはそうそういないハズの髪だ。服の問題はどうにかなったとしても、髪色は変えられない。
しかしながら、俺は何故か、髪を切る事を全力で嫌がっている。それだけは避けたいと思っている自分がいる。おそらく、ノエルの記憶に起因する事なのだろう。割り切りたいのに、割り切れない。それはノエルの記憶からくる思いなハズだが、今の俺の気持ちでもあった。
となると、極力人の目に付かない場所を進むしかない。しかしだとしても、そこには食料の問題が残る。俺の中には、この世界の野生植物の知識なんて存在しないし、野生生物の調理方法も知らない。日本ではそんな必要はなかったし、ノエルとしても、食事なんて時間が来れば用意されている物なのだから。
既に色々と詰んでいる気がしないでもない。
その上に、ノエルの家族は皆殺されている。父方の親族は数年前に皆病気で死んでいる上に、母は元々リストニアではなく、その更に隣の国、リーゼルニアの人間だった。リストニアに帰ったところで、帰る場所がそもそも存在しない可能性がある。
「確かに、やりなおしたいとは思ったけどさぁ……」
と俺はぼやく。
やり直しはしたいと思った。でも流石に、開幕からこんなハードで、かつ重すぎる過去を持つ少女の人生を引き継ぐとは思わなかった。
考えれば考える程に八方塞がりではある。
だが、考えていても仕方がない。とにかく今は動くしかないし、そもそもこの洞窟から出ないといけなかった。
(とりあえずは、リストニアへ戻る事を考えよう)
そう決め、壁にもたれながら立ち上がった時、俺はそこで自分の物とは違う、大きな魔素の流れがこちらに近づいている事に気づいた。