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11幕 自問自答と葛藤、精霊の注意事項





 研究員の命が果てた後に私が感じたのは「虚しさ」だった。


 発散させた怒りが急激にその熱を失っていくのがわかる。先程まで憎しみの感情ばかりだったというのに、今はどこへいってしまったのかというくらい何もない。変わり果てた研究員の姿を眺めながら、私はぼんやりと考えていた。


(こんな事をしても父さまも母さまも、誰も帰ってこないというのに……。)


 ふいに、頬に自分の涙とは違う水分を感じた。掌で拭ってみると、赤黒い。誰かの返り血のようだ。その血を眺めていた所で、ふとその手が自分の記憶にあるものよりも小さな手である事に気付き、はっとした。


 ―――「俺」は、何をしているんだ?


 部屋の中を見渡す。衝動に突き動かされて無我夢中になっていたが、周囲にはその衝動の残骸である、多数の死体が転がっている。腹に穴が開いた者、焦げて墨と化した者、首や上半身など身体の一部がない者など、いろいろといたものの、その全員を、自分が殺害したのだ。


 彼らはこの施設の研究者や、魔術師だった。全員、自分に地獄を味あわせた人間である。憎くて憎くて仕方がなく、それで殺した。それは間違いない。


 俺が、俺自身の意思で、確かに憎いと思ったからそうしたのだ。


 でも、本当に?


 俺は彼らの事を本当に憎いと思っていたのか?


 今ここに来たばかりで、彼らに会ったのもこれが初めてなハズなのに?


 俺は先程魔法で首を刎ねた男の事を思い出す。


 アンドレア・フロリオ。バラント王国では『英雄アンドレア』などと知られている男だ。


 俺は彼の事を知っている。そして自分が置かれているこの状況がどういうものなのかを知っている。魔法の遣い方や、言葉を知っていて、この身体の主ノエル・アルフオートの家族が皆殺された事も、投与された薬の痛みも知っている。


 それもこれも、この身体が元々持っていた記憶、ノエルの記憶が俺の中に流れてきたからだった。その記憶があったからこそ他ならぬ『憎い』という感情が生まれて、彼らを殺した。


 なら、その憎いという感情は、俺の物ではなく、本来ノエルの物なのではないのか?ノエルの感情と意思が、俺を動かし、彼らを皆殺しにしたのではないのか。


「……」


 自分の両手の掌を眺める。


 成人男性の手よりもはるかに小さく色白な、女の子の手。ノエル・アルフオートの手であって、深瀬直樹の手ではない。


 そのはずなのに、俺の中にはまた、それが間違いなく自分の手だという記憶がある。馴染みのある自分の手を見ていると思っている自分がいる。


 どちらも間違いなく自分の思考だった。深瀬直樹としての考え方と、ノエル・アルフオートとしての考え方が同時に存在していた。


 アンドレアの首を刎ねる前、彼の言葉を『下らない』と思った。


 研究員を殺した後、俺は『虚しい』と感じた。


 俺は確かにそう思った。心からそう思った。嘘偽りなくそう思ったハズだ。でもそれは本来、深瀬直樹という存在が思う物ではなく、ノエルが感じるはずのものなのだ。


 俺は今、間違いなく、ノエル・アルフオートとして物を考えて行動している。だけど、だって、俺は深瀬直樹じゃないのか?


(俺は……)


 10歳の誕生日に貰った熊のぬいぐるみの事を覚えている。お父さまが買ってきてくれた物だ。触った時の感触まで、この手にはっきりと残っている。父さま達が殺され、誘拐される直前まで持っていた事も、はっきりと覚えている。


 一方で、あの階段から落ちた時の痛みの記憶もある。足を滑らせて、後頭部に受けた激痛を覚えている。


 どちらも、俺の頭の中にある記憶で、そのどちらもが俺は確かに経験した事のように思えてしまう。


(どうなってる? 俺は誰だ? 深瀬直樹なのか? ノエル・アルフオートなのか? どっちにしても、生まれてから今までの記憶がある。だったら、どっちだ、なんだ、それともまた、誰か違う人間なのか?)


 頭の中がごちゃごちゃしていた。誰かに教えて欲しい気分だった。


 誰か。


 ――どうしても1つだけ、先に聞いて欲しい事があるんだ。どうしても気をつけて欲しい事。


 ふと、こちらに来る前に精霊に言われた言葉が、頭をよぎる。


 ――これから君は、ノエルという元々君じゃない人間の身体の中に入る。だからきっと、ノエルの身体に残っていた記憶とか、感情とか、とにかく色々な情報が君の中に入ってきてしまう。そうすると、元々の君の記憶はノエルの物に上書きされてしまって、もしかすると、君の今までの価値観や考え方が変わってしまうかもしれない。つまり、ノエルの身体に入った瞬間、君は君じゃなくなるかもしれない。


 ――そうなると、自分は今なんなのか、誰なのかっていう自己認識が出来ず、苦しむ事なるかもしれない。


 精霊が少し真面目に忠告してくれた言葉。


 あぁ、そうか、これがそれなのか、と思った。これが先程から感じている気持ち悪さの正体か。


 ――まぁ、これはきっと実際に体験してみないとわからないことだろうし、でも一応言葉として覚えておいてくれればいい。


 確かに、今の今でよく思い知らされた。でも、精霊の言葉が大きく俺の助けになる。その言葉がなければ、延々と自分の得体の知れない状況に悩み、ともすれば発狂していたかもしれない。


 ―――だから最初だけは、自分は間違いなくフカセ・ナオキなんだ、って事を絶対に頭の中に置いておいて行動してみて欲しい。そうすれば君は、自分を見失わずに済むはずだから。わかった? 最初だけでいいからね。自分は元々フカセ・ナオキ


 俺はその場で目をつむると、自己暗示のように、自分の心の中で、俺は深瀬直樹だと唱え続け初めていた。そうしないと、2つの考え方をしている自分に対して、パニックのあまり、自分が誰だかわからなくなってしまいそうだったから。


 自分は元々深瀬直樹。


 自分は元々深瀬直樹。


 自分は元々深瀬直樹。


 自分は元々深瀬直樹。


 自分は元々深瀬直樹……。





 …………


 ……


 …。


 自分は元々深瀬直樹。


 自分は元々深瀬直樹。


 自分は元々深瀬直樹。



 どれほどそうして瞑想を続けていただろう。5分、10分、いや、もしかすると1時間かもしれない。とにかく、延々と俺はその言葉を唱え続けていた。


 お陰で、大分落ち着きを取り戻す事が出来る。


 まだノエルとしての記憶が頭の中に入ってきた事による思考の混乱はあった。だけど、俺は今、俺自身が深瀬直樹なのだという事を理解出来ていて、そのお陰で、二つの考えが出てきても、なんとか自分を見失わずに済んでいた。それもこれも、精霊の言葉のお陰だ。精霊に感謝しなければ。


「……そういえば」


 そういえば、精霊はどこにいるのだろうか。ノエルの中に一緒に入る、と言っていた。しかしノエルの記憶は入ってくるものの、精霊の記憶は入ってきたようには思えない。俺と一体化したようには感じられないのだ。かといって何の反応もなく、この身体の中に彼がいるようには思えない。どこかにいるのであれば、声をかけてくれてもいいはずなのに。


 俺はしばらく精霊を呼び続けてはみたものの、まったく反応はない。


 仕方がなく、一旦精霊の事は諦める事にして、俺はこの部屋から出る為に立ち上がろうとした。しかし……。


「あ、れ……」


 足に上手く力が入らない。上手く立ちあがる事が出来なかったのだ。






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