10幕 記憶による眩暈と、憎悪という感情
精霊の言っていた通り、ノエル・アルフオートの身体に入った俺を最初に待っていたのは、彼女の身体に残る記憶だった。
「……っ!」
たとえ精神が壊れていても、身体には確かに記憶が残っていたらしい。俺の頭の中へと流れ込んでくる。一度に大量の情報が流れ込んできて、それがあまりに膨大な量だったので、脳が耐え切れず焼ききれてしまうかと思った。痛みのあまり思わず額をおさえようとするものの、腕が動かないせいで、ただ顔を顰めて我慢するしかない。
『封魔の枷』のせいだ、と俺は思った。
聞いた事の無い単語なはずなのに、知っていて当然の知識のように感じた。きっとこれが、ノエルの記憶を引き継いだという事なのだろう。
幸いにも意識がブラックアウトする直前で流入は完了したようで、痛みが引いていく。だが、あまりの事に眩暈が残る。記憶が入ってきた事で、色んな物が混乱していて気分が悪い。
「うぅ……」
声が漏れた。それはノエルの声で、確かに自分の声だった。眩暈のせいで、上手く立ち上がれそうもない。まるで高熱が出たときのようだ。平衡感覚が失われていて、先程から視界がずっと揺れている。
しかしノエルの記憶のお陰で、今どういう状態で、なぜそうなっているのか、それらの事すべてに疑問を持たずに済んだ。
ゆっくりと、周囲を見渡す。魔術師達が10人、研究者4人が俺を囲うようにして、部屋の中に居る。
「……成功、したのか」
誰かが言った。
日本語でも、俺の聞いた事のあるどの言語でもないハズだ。しかしそれでも、その言葉の意味が理解が出来る、喋る事も出来るだろう。俺はその言葉を「知って」いた。
「……」
しかし、その言葉と彼らを前に、急激にどす黒く、心の奥底から震える感情が湧き上がってくる。
『憎い』
彼らが自分に何をしたのかを「覚えている」。彼らを見ているだけで、地獄のような日々の「記憶」が蘇り、あまりの事に苛立ちとやるせなさが視界一面を覆い、感情が溢れ出して涙がこぼれそうになる。憎悪という感情が一気に自分の身体中を支配する。
俺は彼らに何をされたのかを「覚えて」いる。
誘拐され、その為に関係のない、父さま、母さま、兄さま、姉さま、家族の皆が殺された事を。そしてあの暗い部屋で受けた苦痛を、薬による痛みを、辱めを、家畜以下の扱いを受けた日々を。何度懇願した事だろう、そして、何度恨み、出来る事なら殺してやりたいと望み続けた事だろう。
一朝一夕では決して出来ない感情。日々積み重なって出来上がった怨嗟が、発露を求めていた。沸き戻ってきたその時の痛み、悔しさ、殺してやりたいと思った感情が自分の身体を埋め尽くし、我慢できなくなり、溢れ出る。
絶対に許さない―――。
魔法の遣い方は「知って」いた。身体がきちんと「覚えて」いる。俺はそれを当たり前のように遣える。ただ、念じて、魔素に働きかければ良いだけだ。
―――風よ、吹け。
「おお、ついにやりましたね! 我々が――」
魔術師のうちの1人が歓喜し、嬉々として言い切るその前だった。魔術師と、その隣にいて顔をあわせていた魔術師の上半身が吹き飛んだ。俺が飛ばしたのだ。本当は身体を壁に叩きつけるつもりだったのだが、威力が思った以上にあがっていた。壁に彼らの血が肉片が飛び散る。
残った下半身達は支えを失い、それぞれ地面に崩れ落ちるように倒れこむ。魔術師達や研究者達の召喚成功からくる笑みや安堵は、一瞬にして凍りついた表情に変わる。
「……な、馬鹿な。なぜ魔法が遣えるんだ」
と誰かが呟いたのが聞こえた。俺の身体はまだ部屋の中央に倒れこんでいて、その両手両足には枷がついているのだから。
自分もその事には気づいていた。今までずっと、そのせいで魔力を封じ込められていたハズだった。しかし今は、自分の中に、今までとは違うとてつもない《・・・・・・》魔力を感じていた。それは『封魔の枷』如きの拘束力では、決してそのような魔法拘束具ではどうにか出来るような魔力でない。
魔法で枷を弾け飛ばす。両手両足が自由になる。あまりに長い時間同じ姿勢をとっていたせいか、自由になっても腕の関節が感じるのは解放の喜びではなく、痛みがくる。
筋肉が落ちていて、どうにも自立出来そうにない。仕方なく、腕を地面に付け、上半身だけをなんとか起こす形にして、彼らを見る。
そうして、目に入った数人を氷漬けにした。自分が氷漬けになった事も知らずに絶命したその塊を、俺はすかさず風魔法で砕いた。
「……」
残った魔術師や研究者達が絶句するのがわかった。
☆
彼らはその時に気づいてしまった。
自分達の目論見通り、化け物じみたそれを生み出す事には成功した。しかし目論見とは違い、それは自分達の手を一瞬で離れてしまったのだと。
精神操作の魔術はどうも効いていないらしい。
封魔の枷すら破るその魔力を見た時点で、彼らが束になっても敵わないだけの魔力がそこにはあったのだ。
☆
「私」は怒りに任せて魔力を全力で放出させ続けた。
圧力で潰し、感電させ、氷の刃で首を刎ねる。逃げようとするのであれば扉ごと燃やした。
皆が茫然自失とするか逃げようとするかの二択の中、1人だけ敢えて攻撃魔法を仕掛けてきた魔術師がいた。もっとも、その魔法が発動する前に魔術障壁を張っており、その魔法は「私」まで届くことはなかったのだけれども。
「最大火力で無傷とは……」
とその魔術師が顔を顰めながら言う。
私はそれには何も答えずに炎を彼に放つ。彼の方でも魔法障壁を張ったようだが、彼の身体ごと貫きその意味を成さない。魔術師は崩れ落ちる。
残ったのは、研究員が1人と、魔術師が1人。
いつも「私」に薬を投与する研究者。それに魔術師の方にも「見覚え」があった。
アンドレア・フロリオ。バラント国の英雄アンドレア。直接話してはいないが、以前どこかのパーティーで会ったハズだった。
「あなたがここにいるということは、これはバラント国の企みなのですね」
と私は彼に聞く。私は立ち上がれないので、大きく彼を見上げる形になる。
「ええ、対魔王用の人体兵器を作るのが陛下のお望みでした。まさかあなたを使う事になるとは思いもませんでしたが」
「そうですか。でも、それを正直に話したところで、あなたを許すつもりなど毛頭も私にはありませんが」
「でしょうね。命乞いをするつもりもありません」
と彼は言った。それにしては笑みを浮かべているように見えて、少し不思議に思う。
「その割には余裕ですね」
逃げられる、まさか勝てるとでも?
と聞いた私の問いかけに、彼は落ち着いた口調で首を振る。
「いえ、これでもかなり怖いのですよ。膝も笑いそうです。力の差は歴然ですから。あのパーティーでお会いした時です魔力差は歴然でしたし。それよりも、私は嬉しいのです」
「嬉しい?」
彼がパーティーの日に私と会っている事を覚えていて少し意外に思った。私はあの日、魔素制御が出来ずに初めこそ粗相をしたものの、あとは母の後ろに隠れてばかりいたハズだから。
会話をしている背後で研究員が逃げ出そうとしていたので、俺は研究員の両足を刎ねつける。叫び声が部屋中に響き渡る。しばらくしてその声が止み、呻き声が聞こえ始めた頃、彼はまた話し始める。
「あなたのような強大な存在を生み出せたという事に、です。きっとあなたは世界のパワーバランスをすべて変えてしまう。感じるのです、魔力量は今ですら、あの『偉大なる12人の魔法遣い』にも、それどころか『魔王』にも劣らないでしょう。やがて、どんな魔術師もあなたに平伏すようになるでしょう。そんなあなたの誕生に私が関われたという事が、今までの人生のどの瞬間より嬉しいのですよ」
「……そうですか」
なんだ、そんな下らない事か。
私はそう言って、アンドレア・フロリオの首を刎ねあげた。思考主を失った身体は前のめりに倒れ落ちる。そんな事どうでもよかった。そんな兵器を作り出す為に、家族は皆殺されてしまったのかと思うと、悲しくなる。
後ろを振り返る。
「ひぃぃぃぃ……」
私と視線が合うと、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、研究者は命乞いを始めた。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい。足がなくなり動けなくなりながらも、なんとかして逃げ出そうとしている。そのあまりの必死さに、私は頭を抱えたくなる。こんな矮小な人間に、私は日々の地獄のような苦痛を味あわされ続け、毎日毎日毎日毎日やめてくれと懇願し続けたのか。
「許してっ」
許す訳がない。
なお一層沸々と湧き上がり続ける苛立ちは、自身の血をも沸騰させかけそうな程、熱を持っていた。私はそのすべての怒りをぶつけるように、彼に魔力を叩きつけたのだった。